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徒花は血のごとく 2

どうせ実らぬ徒花ならば、せめて艶やかに咲き誇れ
<珠玉の毒>を巡る伯爵と鳩の女王の駆け引き。
旭春とその周辺をも巻きこんだ抗争が次第に激化しはじめるなか、佐伯毒草園は奇妙な沈黙を貫いていた。
そして鳩の女王のささやきに耳を傾けたフェイツイが取った行動とは。
シリーズ第9-2弾 B6size/138page/600円





 いまだ夜の名残に包まれた室内には、壁時計がたてる振り子の音が響いていた。
 ソファに腰掛けて、足元に視線を落としたのは日付が変わる間際のこと。だがすでに夜は明けて、カーテンの隙間からは朝日が射しこんで来ている。
 毒草園を訪れたフェイツイの消息が途絶えて、すでに三日。
 疲労も焦燥感も限界に達しているが、美知留は無意味に夜明けを待っていたわけではない。
 海をも見渡せる高台に建つ屋敷は一軒のみ。坂を登る車のエンジン音を聞きつけて、美知留はソファから立ちあがった。
 そのまま部屋を飛びだそうとして、我に返って踏み留まる。感情のままに行動すれば、落ち着きがないと彼に叱責されてしまいそうだ。
 意識して息を吐きだして、ソファに体を戻す。それでも耳をそばだてることは止められない。
 エンジン音が停止して、車のドアが開かれる。エントランスを進む足音を聞き取ることはできなかったが、かすかな振動から彼が屋敷内に足を進めたと知る。
 その後に続いた沈黙は長いようで、実際にはほんの数分のこと。背後のドアが開かれる音に、美知留は待ちきれずにソファから立ちあがった。
「少しは休んでおけと言ったはずだ」
 聞こえてきたのは、抑揚に欠けた小言。だが主を欠いた屋敷の応接室へとまっすぐに歩んできた男は、美知留が素直に休んでいるはずがないと分かっていたのだろう。
 無言で視線を落とした美知留に返ってきたのは、ちいさな吐息のみ。
 ……昔から、決して口数が多くはなかった。
 ソファの向かい側へと進む男の姿を、そんな感傷を持って眺める。
 男の目線は、ヒールを履いた美知留のそれよりも少し下。実際の身長よりもちいさく感じてしまうのは、痩せぎすな体型のせいだ。だが目をあわせれば、その印象はがらりと変わる。感情を映さない目は深淵の闇を湛えていながら、その視線は刃物よりも鋭い。こちらの内面をすべて見透かされるような気がして、無意識のうちに威圧されてしまうのだ。
 自分たちが絶対の忠誠を誓う主に、穂高と呼ばれる男。美知留にとっては伯爵に引き取られたばかりの幼い時分に、面倒を見てくれた兄のような存在である。とはいえおなじ屋敷に住まい、兄妹のように過ごしたのは四、五年。いつしかその姿を見かけることが希になり、主の指示で海外に渡ったという噂を聞いた。その間に美知留自身も屋敷を離れ、周囲を欺く生活がはじまった。
 心優しいあの人を騙さなければならない罪悪感に胸を締めつけられながら、それでも主の命を果たそうと必死だった。彼のことを考える余裕も失っていたのだと、いまなら分かる。
 だから、彼が定家穂高という名前で美知留が勤める小学校に赴任してきたときは目を疑った。記憶にある彼とは雰囲気が違いすぎて、同一人物とは思えなかったのだ。
 穂高が派遣されてきたのは、自分だけでは心許ないと判断されたからだろう。事実、あのときの美知留は白い魔女の言葉に惑わされて、感情を乱されることも間々あった。未熟すぎると責められても仕方がない。だがそんな姿が魔女の気を緩めさせたのだと逆に褒められて、咎を受けることもなかった。
 主は、美知留に甘すぎる。
 仲間たちに非難されていることも知っていた。正しすぎる言葉だと思ったから、反論する気もない。汚名は、今後の働きで雪ぐしかないのだ。
 穂高とともにフェイツイの側仕えを命じられたときに、そう決意した。だというのに、一ヶ月もしないでこの醜態だ。
 吐息とともに感傷を振り切って、美知留はまっすぐに穂高を見た。
「それで、結果は?」
「良くも悪くも、予想どおりだ」
 なんの進展にも結びつかなかったと、穂高は無表情なままに告げる。
 フェイツイが消息を絶ったあの日。美知留が彼女に付き添わなかったのは、行き先が佐伯毒草園だったからだ。毒草園に隣接するアパートには、美知留が接触を禁じられた神庭旭春が住んでいる。休日だったこともあり、万が一の場合を考え、仲間に代理を頼んだのだ。
 フェイツイに付き添ったのはモナと呼ばれる女性だ。伯爵の配下は美知留のように幼い頃から彼の元で養育された人間が中心だ。だが成人後に見いだされ、伯爵に仕えることを選んだ人間も少なくない。後者に属するモナとはこの屋敷ではじめて顔をあわせたのだが、その優秀さは以前から耳にしていた。
 むろん彼女ひとりに仕事を押しつけたわけではない。フェイツイの移動時には、警護の車が三台以上つくようにしていた。
 だというのに、フェイツイとモナを乗せた車は忽然と姿を消してしまった。
 否。物事に完璧などというものは存在しない。自分たちの警護に不備があり、その解れ目を敵に突かれただけだ。
 フェイツイの探索を最優先しながらも、美知留たちが行ったのは警備の検証作業。敵の目線で、自分たちの動きを俯瞰する。その作業を繰り返すうちに、敵の目的や痕跡が見えてくる。
 その結果、モナと酷似する女性が都内の病院に保護されているのが分かった。
 寂れた繁華街の片隅で意識を失った状態で保護された彼女は、身元を示す品を身につけていなかった。発見された状況を思えば、なんらかの事件に巻きこまれた可能性も高い。そう判断され、警察に付き添われて入院していた彼女が目を覚ましたのは、病院に運ばれて丸一日が過ぎてからのこと。意識を取り戻しても彼女は警察の質問には一言も答えず、無表情に天上をみつめ続けていたという。
 彼女の情報を入手し、モナ本人であると確認が取れたのは昨夜、日付が変わる直前のことだ。すぐに伯爵の息のかかった施設に移し、経緯を確認するために穂高がモナの元へむかった。
「彼女は、なんて言っていたの」
「背後から襲われて、気づいた時には病院に運ばれていた。それだけだ」
 肩を竦めながらそう呟いて、どさりとソファに体を投げだす。穂高の行動に音が伴うのは珍しい。彼も疲労が溜まっているのだろう。

      〈中略〉

 空を見上げれば、いつも夕暮れ。
 否。赤みを帯びた橙から濃紺へと繋がるグラデーションは明け方のそれだろうか。幾度となくそんなことを考えてみたが、上空で薄白く輝く三日月は常におなじ位置に留まったまま。東も西も分からない場所で悩んでも仕方がないことだと、いつものよう思考を放棄する。
 吐息を洩らしながら視線を地上に戻せば、すでに見飽きた庭園の光景が目に映りこんでくる。白亜の煉瓦に囲まれた庭は緑に包まれ、さまざまな色合いの花たちが咲き乱れている。どれも見たことのある花だが、不思議と名前までは知らない種類ばかり。それが幼い頃に過ごした屋敷や、七生の所有地で見かけた種類なのだと気づいたのは、この場所に連れてこられて二日目のことだ。
 あれから、何日が過ぎただろうか。
 色を変えることがない空は人工のもの。いまは真冬だというのに庭を散策するフェイツイは軽装のままで、肌寒さを感じることもない。周囲に咲き乱れる花々も、本来の開花時期は春か夏。気まぐれに散策するには十分な広さを持つこの庭園は、それ自体がひとつの温室なのだろう。
 主人に面通しすることもなく、フェイツイに与えられた空間。寝起きは庭の片隅にある平屋建ての家屋でしている。主寝室と、庭を眺めるための居間。あとは最低限の水まわりだけを備えた家屋は、温室の内側にあるとは思えないほどの広さがある。けれど常に薄暗い室内に馴染めず、気づけば庭を散策していた。
 食事を運んでくる女性たちはみな寡黙で、ここに来てから碌に口を利いてないと、ふと気づく。唯一の例外は、朝食後に現れる金髪の女性だろうか。来るたびにフェイツイの体調を尋ねてくる女性は、つらつらとどうでもいいことを話しながらフェイツイの腕に注射針を突き立てて、採血を行う。
 一度だけ、自分の血をどうするのだと聞いたことがある。だがそれまで無駄口を叩き続けていた女は冷ややかに笑って、知る必要がないことだと切り捨てた。彼女にとって自分は、実験用のモルモットにすぎないと気づいたのはそのときだ。
 時間の流れが止まったこの箱庭は、フェイツイを飼育するためのケージに過ぎなかったのだ。
 ……彼女の誘いに乗ったのは、軽率だったかもしれない。
 出入り口を探そうと壁沿いに歩き続けることに飽きて、噴水の縁に腰を降ろす。円形をした噴水の中央にすえられた像は、なにかの神話がモチーフだろうか。貫頭衣を纏い、弓を手にした女性像はまっすぐに頭上の三日月を見上げていた。
 静かに鼓膜を打つ水音は彫像の足元から流れ出て、水面に無数の波紋を広げてゆく。揺らぐ水面を眺めていたフェイツイが視線を移したのは、噴水のすぐ脇に根をおろした灌木だ。背丈は一メートルほど。赤みを帯びた紫の花を咲かせる灌木が甘い匂いを漂わせていると気づいて、フェイツイは首を傾げた。その花のかたちや色に見覚えはない。だがその匂いをどこかで嗅いだことがあるような気がしたのだ。
 美しくはあるが、花自体が小ぶりなせいで地味な印象しかない灌木。だが木の成長に合わせて噴水の一部を取り壊した形跡があるから、それなりに大切にされているのだろう。
 そんなことを考えながら、灌木に歩み寄る。箱庭に入れられたまま放置された自分が、この木よりも価値がないと言われたような気がして腹が立った。
 八つ当たりにすぎないと知りながら、艶やかに咲く誇る花に向かって毒の息を吹きかける。
 美知留が活けた芍薬を、吐息ひとつで散らせた光景は記憶に新しい。花が一瞬で色褪せて、花びらを落とす姿など見たくもなかったはずなのに、自虐的な衝動を抑えることができなかった。
 ゆっくりと、肺の空気をすべて吐きだしてから、一歩下がって花が死にゆくときを待つ。
 だかいくら待っても花は艶やかなまま、枯れる気配すら見当たらない。
 ……これは、造花?
 不審に思って花に指先を伸ばしてみる。だが触ってみても、生花だとしか思えない。
「それは、おまえの姉妹だ」
 首を傾げようとしたフェイツイは、唐突に響いてきた声に体を強ばらせた。息を止めたままふり向いて、声の主を視界に映す。いつの間に近づいていたのか、黒いドレスを纏う女性は、フェイツイのすぐ後ろに立っていた。
 髪も瞳も、黒曜石を思わせる艶やかな漆黒。だが彫りの深い顔立ちはアラブ、あるいはオリエントの香りを漂わせている。美しい女性だが、胸の前で腕を組んでフェイツイを見下ろす視線は男性的だ。肩に止まる白い小鳩の姿がなくとも、彼女のあざなを間違えることはなかっただろう。
 鳩の女王が放つ威圧感に飲まれて、フェイツイは我知らず後ずさっていた。



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