デジカメ片手に
ぶらりご近所散歩
プチ「遠くへ行きたい」
 

この紀行文は主観的なもので、事実関係などが間違っているかもしれませんが、勘弁してください。

第18回「2005年春・京都〈新選組!編〉」壬生 
昨年一年間、わが夫婦が夢中になったNHK大河ドラマ『新選組!』。その旧跡を訪ねる旅を昨冬に予定していた。宿まで予約し、楽しみにしていたのだが、直前に娘がおたふく風邪に罹り中止。そのリターンマッチで新選組に縁の深い壬生を訪れた。というか、映画村で一日遊べるかなと思ったら、意外と見るところが少なく、まだお昼だというのに時間が余っちゃった。

沖田くん、ここだ。
“ 壬生”は四条大宮から少し南西に位置する。今でこそ市街地だが、新選組が江戸からやって来た頃は、都の外れで一面の田畑だった。今じゃ駐車場を探すのも大変な都会。でも、四条通から一歩、小道に入ると静かな京風の町屋が…と思ったのだが、通りには“誠”の旗がひるがえり、タクシーやレンタサイクルや観光客がひっきりなしに通り、おみやげ物屋や露店でジュースを売る店があちこちに。これぞ、大河バブル。

往時の面影が残る屯所。
写真は旧前川邸。新選組初期の屯所となった屋敷だ。新選組当時、壬生村の住人は壬生郷士と呼ばれ、武士を先祖に持つ、土着して富農だった。大きな屋敷が多かったようで、この旧前川邸は新選組隊士たちが何十人も起居し、道場や厩まであった。現在の持ち主は前川さんではなく、別の個人が住居として使用しているため、長らく未公開であった。2年ほど前から、家主のご厚意により休日などには一部公開されている。ここでしか買えない新選組グッズもある。
会津中将様お預かり、新選組!
新選組史上、最も知られる池田屋事件。その池田屋にも隊士たちはここから出動した。発端となった、勤王の志士、古高俊太郎を拷問した蔵も現存している。大河『新選組!』で最高視聴率を取った『友の死』、山南敬助が切腹した一室もある。家主さん一家は普通に、そこで生活しているそうだ。京都の歴史の奥深さを垣間見た気がする。写真はお笑い新選組、ではない。

鴨が刺し殺された八木家。
旧前川邸から坊城通りを挟んだ向かい、こちらは八木邸。初代の局長、芹沢鴨が暗殺された屋敷だ。江戸から京都へ幕府チームの傭兵としてやってきた浪士組。しかし、プロデューサー清川八郎の暗躍で朝廷チームへと鞍替え。それを阻止しようと幕府は、浪士組を江戸へ戻すのだが、幕府のために働こうと京都に残ったのが新選組の創立メンバー。筆頭局長は芹沢鴨。近藤勇、土方歳三より、尊皇攘夷業界ではスターだった芹沢。目立ちすぎて足を引っ張られたんだね。

お茶とお餅で一服。
八木家は現在、和菓子屋を経営しておられ、敷地内に売店・茶店もある。壬生で栽培されていた壬生菜を使った大福餅が名物。その名も『屯所餅』。名前同様、素朴な甘さが美味しい。八木邸内は、屯所餅と抹茶の接待付き観覧料1,000円を払えば見学できる。シルバーボランティアさんの解説も聞ける。芹沢暗殺の部屋は、その夜についた(と言われる)刀傷や、芹沢がつまずいて転んだ(と言われる)文机も残っている。旧前川邸より、商売ッ気満々。

慎吾ちゃんには似てないねえ。
次に訪れたのは八木邸から数十歩の壬生寺。新選組が大砲の発射訓練をしたとか、沖田総司が子どもたちと遊んでいたなどの伝承も残る。境内の壬生塚は隊士の墓や近藤勇胸像がある。昔は無料で入れたのだが、壬生塚の見学には100円が必要になっていた。管理費用もバカにならないだろうが、金のなる木に目の色変えるのが今の日本なんだろうな。
御利益はあるのか?ないのか?
局長像の隣には、局長イラスト付絵馬が。一体、近藤勇に何をお祈りするのだ?どんな御利益があるのだろう?中には、大河『新選組!』で近藤勇を演じた香取慎吾さんに、一年間撮影お疲れさまでしたと書いた絵馬もあった。新選組ファンの中には、昔から史実系、剣豪系、アイドル系、やおい系と様々な分派があり、それぞれに熱烈な応援を繰り広げている。大河『新選組!』の人気から、香取慎吾ファン、山本耕史ファン、オダギリジョーファンなど役者系も増えているのか。

土方歳三、萌えよ剣
壬生塚には昔、屋外に大きなプラスチックケースが置いてあり、中にはノートの束があった。ページを開くと、新選組に寄せる思いがイラストや文章でギッシリ。ここを訪れたファンが書いたものだ。しかし、今回は見あたらない。と思ったら椅子と机まで用意したコーナーができていた。写真は萌〜な土方歳三!マニアには堪えられまい。しかし、いくらオイラが新選組好きとは言え、ここまではついていけません。我々は、大河『新選組!』のテーマ曲を朗々と口ずさみながら、壬生寺を、そして京都を後にしたのだった。
the end

Visited 05.4.23 (C)YAJIKITA NET

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