徳 の 起 源

―他人を思いやる遺伝子―

マット・リドレー (岸由二 監修、古川奈々子 訳、翔泳社、2000)

 

人間は社会的動物です。社会性の動物は他にも、昆虫から霊長類までいろいろありますが、人間の社会は血縁関係にない者同士が集まってかなり大きな共同体(群れ)を作り、互いに協力し合っているという点で、他のいかなる動物とも違っています。時には他人と争い、法を破り、人を殺し、戦争までしながら、しかし一方では自分の利益を犠牲にしてまで社会を維持し、それに頼って生きている、人間という動物。

この、人間の社会的本能を、本書では「徳」(virtue)といっています。つまり本書は、人間が他のいかなる動物とも異なる社会を作り、自己利益の追求を抑制しながら、助け合い協力し合って社会を維持していけるのは、一体なぜなのか、という問いに答えようとしているのです。

あまりにも大きなテーマ。しかも著者は科学ジャーナリスト。でも、素晴らしい本です。細かい専門的な点ではいろいろ議論もあるでしょう。個々の論点の煮詰め具合とそれらの相互関係もやや曖昧かもしれません。しかし、このテーマを考えるための材料はほぼ出そろっていると思われるし、それらに対するバランス感覚は見事です。

この本が40年くらい前に書かれていたら、内容は全く違ったものになっていたでしょう。この40年間に起こったことの中で最も重要なのは、生物学・動物行動学の革命です。「利己的な遺伝子」の言葉で知られる「社会生物学」によってなされた、驚くべき発見の数々。また、霊長類の行動と社会に関する膨大な研究の成果。次に重要なのはゲーム理論、特に「囚人のジレンマ」の衝撃と、それに対するコンピュータによる数学的アプローチの貢献。それから、文化人類学・比較社会学などによる、現代に残る原始的部族社会の実態に関する正確な知識の蓄積。これらすべてを踏まえ、近代経済学と国家論の根本命題とをそれに結びつけることによって、本書は成立しています。

副題にもあるように、本書の結論を一言でいえば、「社会は遺伝子の産物」だということです。しかし、「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンスは、自分が「遺伝子の利己性に人々の関心を集めたのは、それを正当化するためではなく、利己性の克服の必要を認識してもらいたかったからだ」といっていますが、すべての遺伝子が利己的だとしても(実際にそうなのですが)、人間が本質的に利己的だということにはならないし、人間が利己的な遺伝子の利己性を克服しているから社会が成立しているのだと考えるのも、無理があります。すべての遺伝子の利己性にもかかわらず、人間は遺伝子によって社会性を獲得している、というのが本書の主張なのです。

当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんね。しかし、どうやってそれが可能なのかを説明するのは、簡単ではないでしょう。しかも、人間は他の動物とは比較にならないくらい巨大な社会(国家)を作り、また人は様々な反社会的行動もするのですから。各分野の専門家たちの本書に対する評価を知りたいものです。

 

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