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黒猫

黒猫リンカの物語


-7-

 ディフは落ち着いて語り始めた。
 「いいですか、被害者のサフィックスのことをまず考えて下さい」
 「サフィックスの?」
 「彼はたいそうな吝嗇家だった。その彼が、何の値打ちもない宝飾品のためにわざわざ旅費を出してまで人を招待し、大事な客として扱っている。まず、この事自体がおかしなことだと思いませんか?」
 昨夜は、自分だって思っていなかったくせに。
 あの後、夕食を途中で中断されたことで空腹になったディフとホアミーは、フラッグスに頼んで軽い夜食を作ってもらい、それを食べながらそういう事情を聞いていたのだ。しかし役人達はそんなことは知りようがない。
 「それはおかしいと思うが、しかし、物の価値はその人間にしかわからないと言ったのは、君じゃないか」
 「ええ、確かに言いました。そしてこの場合大事なのは、ブレスレットその物ではなく、それを取り戻す、ということだったのですよ」
 「...?なんだか、それがどう違うのかよくわからないのだが...」
 野次馬の人々も同じ思いだったろう。口々に、
 「そうだそうだ!」とか、
 「わかるように言えや!」という声が飛んだ。
 「サフィックスという人は金が好きだが、積極的に大きく金を動かして儲けるというタイプではない。金貸しという人々は大抵そうなのだが、こういう人は、今ある金や、これから入る金よりも、失った金のことにいつまでも執着する。金だけではなく、物にたいしてもだ」
 確かにサフィックスはそういうタイプだろう。探偵志願だけあって、人間観察の目は並よりも上らしい。
 「彼はたぶん、そのブレスレット自体よりも、それを持っていかれた、ということにこだわっていたのだ。そして、奥さんがいるという話を聞いて、多少の出費は覚悟でそれを取り戻しに行ったのだが、間の悪いことに市にぶつかってしまい、果たせなかった。こうなると、表には出さなくても彼の心の中でますますそれに対する執着が募ったことだろう」
 「それで、いくらお金を出しても取り戻そうとして、ホアミーさんを招待したのね」
 コール嬢ちゃんが言ったが、
 「いや、お嬢さん、彼はそんなに甘くない。もし、ただ取り戻すだけならそんな出費は必要ないんだ。自分でアンディーゴまで行く方がよほど安上がりだし、それよりもホアミーさんにお金を送って郵便で届けてもらえば代金は買値の1.5メガと、郵便代くらいですむはずだ」
 「ええ、私もそういう方法になると思っていたんですよ。それがこんな招待を受けたんでよほど大事にしていたんだろうと」
 「そうでしょう。それなのにサフィックスがこんな、彼の性格に合わないようなことをした理由はただ一つだ。つまり彼は、ホアミーさん、あなたを殺してブレスレットを手に入れるつもりだったんです」
 「ええっ?」
 「サフィックスが?」
 思いがけないディフの言葉に人々はざわめいた。
 「あなたが死ねばブレスレットはただで手に入る。約束した旅費だって払う必要はない。それだけでなく、あなたは裕福な商人なのだから、旅をする時でもかなりお財布には余裕を持たせているでしょう?家を綺麗にした分や、ここの食事代くらいは、それでお釣りが来ると考えていたんですよ、サフィックスは」
 「そ、そういえば彼は手紙の中で、ちょうどこの近くの村でめずらしい市が開かれるから、掘り出し物が見つかるかもしれない、と書いてきた。不用心だからゆうべは言わなかったが、実はそのことを考えてちょっとまとまった金を持ってきているんだ」
 人々はまたざわめきをもらした。
 「そんな市などないのでしょう?」
 ディフは確認するように見回して訊ねる。人々はその通り、と首を振る。
 「彼はホアミーさんを殺そうと考えたが、自分の家や、その辺で殺して死体が見つかったらすぐに自分が疑われる。だから、殺人の舞台としてこの水晶亭を選んだのです」
 「な、なんでさ?うちに恨みでもあるのかい?」
 女将がびっくりして叫んだ。
 「いや、単に都合が良かったからですよ。自分が客を呼んで〈水晶亭〉の食事でもてなすとなれば、村中の人が興味津々で集まることが目に見えている。そこで隙を見てホアミー氏を毒殺すれば、急に人が死んだということで大騒ぎになる。混乱のうちに適当な誰かに罪を被せることも出来るだろうし、あるいは病気だという風に持っていくつもりだったのかもしれません。とにかく彼は大勢の前で正々堂々と人殺しを行うつもりだったのです。それが...」
 「それが、どうして自分が...?」
 「それが事故です。手違いだったんですよ。あの時、急に蜂が入ってきて、猫が食堂中を走り回りましたね。ぼくも猫に気を取られて自分の皿を守ることしか考えていなかったので、正確なところはわからないのですが、彼はたぶん驚いた拍子に使おうとしていた毒草を自分の皿に落としてしまい、それに気づかずに食べてしまったんでしょう」
 「ああ...」
 「なるほど、そういえば...」
 人々はそれぞれゆうべの情景を思い出しながら納得していったようだ。
 「結局、サフィックスの野郎、自業自得だったんだな」
 「天罰ってもんだよ」
 人々は口々に言い、役人達もこの説明には納得したようだ。
 名探偵の演説で一件落着、ってわけだ。
 これで、いいんだ。
 誰も無実の罪に問われることなく、馬鹿なサフィックスは自分で使おうとした毒で死んだということで、自殺ということにもならず、司祭を呼んでちゃんとした葬儀も行われた。
 ホアミーはフラッグスを自分の家の料理人にと誘っていたが、礼儀正しく、しかしきっぱりと断られ、未練を残しながらイーリスに帰っていった。サフィックスのブレスレットの方も記念に誰かにプレゼントしようとしたが、これも誰からも婉曲に断られていた。
 ディフの方はよほど暇と金があり余っているとみえ、その後もまだ滞在して、フラッグスに次々といろいろな料理に挑戦させている。
 コール嬢ちゃんはそんなフラッグスを前よりもちょっとだけ気にしている、ような気がする。
 オレは相変わらずののんきな毎日だ。
 たまにディフがつぶやく時だけはちょっと忙しかったが。
 「しかし...トリカブトは、あのまま食べさせようとしたって苦くてすぐに気づかれてしまうのになあ...それに、自分で食べて気づかなかったのか...?よほど緊張していたということなのかなあ...」
 ディフがそんなことを言い出す度に、オレは「遊んでもらいたがってる猫」になって、やつの膝の上にかけ登ったり、木ぎれをくわえてすり寄ったりして、考えを集中させないようにした。
 そのことをあまり追求されると面倒なことになるかもしれなかったからだ。
 まったく、この「名探偵気取り」の男が、疑問を持ったが最後「丸く収まったんだからこのままにしておこう」などと考えるわけがなく、役人を呼んでなんだかんだとややこしいことを言うかもしれないんだ。
 それで真実にたどりつけばいいが、「誰も彼も疑っておかしな結論を出す」役人達の手にかかって、フラッグスや、この水晶亭の誰かが殺人犯として引っ張られては困るのだ。オレは、コール嬢ちゃんだけじゃなくて、他の人々のことだって気に入っているんだから。
 そして、この場合真実は絶対にわからないに違いない。
 あの時実際に何が起こったかは、オレしか知らないんだから。

 オレは決してディフの推理を間違った方向に向けたわけじゃない。
 サフィックスは本当にホアミーを殺そうとしていたのだ。
 猫は好奇心が強い、というのが本当かどうか知らないが、とにかくオレは好奇心の強いタイプだ。
 あのケチオヤジが客を招いて食事をさせるなんて一体どういうわけなんだ、と思っていたのは村人だけじゃなく、オレだって同じだった。
 そしてオレは村人達より有利だった。オレは好きな時にサフィックスの屋敷に入っていって、開いている窓やドアから忍び込み、サフィックスの様子をうかがうことが出来たからだ。
 そうやって見ていると、サフィックスはホアミーからの手紙を手に一人でクツクツと笑ったり、「これで丸儲けさ...前にソレリくんだりまで行った旅費を引いても釣りが来るかもしらん」などと一人言を言っていた。
 そういう一人言と、例のつたない「読心」を合わせれば、サフィックスの考えは手に取るようにわかった。
 そして、人目を忍ぶように家を出て森へ向かうサフィックスの後をつけてみると、彼は毒殺用のトリカブトを採集していた、というわけだ。
 それだけではない。
 彼は苦労して蜂を生きたままつかまえ、用意してきた容れ物に移して持ち帰った。
 ホアミーが家に到着する前に、サフィックスは摘んできた草をすりつぶして、出た汁を小瓶に詰めていた。
 オレがなぜそれを見ているだけで放っておいたのかって?
 そのまま人が死んでも平気だったのかって?
 もちろんそんなことはない。
 そんな危険があったら、オレは絶対なんとかそれを邪魔していた。
 もし、サフィックスが本当にトリカブトを採っていたのなら。
 そう。
 あれは、トリカブトじゃなかったのだ。
 葉っぱはかなり似ているが、全然無害のニリンソウという植物だった。毒物とかの知識は闇術師の得意分野だから、オレも普通のヤツより詳しいんだ。
 花の咲く時期だったらサフィックスにも違いがわかっただろうが、今はあいにく違った。
 とにかく、サフィックスはそれをトリカブトだと信じていて、他のことはしそうになかったのでオレは放っておいたのだ。
 あの草をサラダかなんかに混ぜたところで、ちょっと味が変になるくらいの害しかなかったはずだ。まあ、フラッグスにとっちゃ大問題だろうが、仕方ない。余計な真似をして、サフィックスが他の方法を考えたりしたら邪魔するのが難しくなる。
 問題は蜂だ。
 蜂一匹に刺されたくらいで人が必ず死ぬなんていくらサフィックスでも考えないだろうし、蜂に「客を刺せ」なんて命令出来るはずもないので(サフィックスが闇術師なら別だが、そうだとしたらトリカブトとニリンソウを間違えるわけはないし、大体、殺しなんかもっと手際よくやるだろう)、蜂に関してはオレは悩んでいた。
 それであの晩気をつけて見ていると、サフィックスはこっそりと、上衣のポケットに手を入れた。そしてそこから蜂が飛びだしてきた。
 つまり、蜂を猫が追いかけて食堂が騒ぎになるのを利用して、人に気づかれずに「トリカブト毒」を客の料理にかけようという算段だったのだ。
 オレはわざとその作戦に乗ってやった。
 オレの考えが正しいかどうか確かめたかったからだ。オレもちょっとディフのような探偵気取りのところがあるようだ。
 蜂を追いながら見ていると、サフィックスは素早く反対側のポケットから小瓶を出し、中の液体をドレッシングの容器に入れた。なるほど、ドレッシングならちょっと味がきつくなってもわからないだろうという計算だ。そして、自分はドレッシングを使わず塩だけでサラダを食べ...
 それで終われば、誰も死ぬはずはなかったのだ。
 だが、実際にはサフィックスが苦しんで死んでしまった。
 一体何が起きたのか。
 あの時オレだけが気がついたのだが、というよりも、それを見た人間がいても別に気にしていなかったのだろう。倒れたサフィックスの体のそばで蜂が死んでいたことを。
 針はなかった。
 サフィックスを刺して死んだのだ。
 もちろん、偶然のことだろう。
 だが、これこそ天罰だったのかもしれない。
 普通、小さな蜂一匹に刺されたくらいで人は死なない。だが、普通でない場合があるのだ。
 過去3年くらいの間に蜂に刺されたことがある人間がもう一度刺されると、体内の免疫機構が過剰に反応して逆に体に害をなすのだ。ひどい場合には死んでしまう。
 そう、サフィックスのように。
 サフィックスが蜂をつかまえた時に、気づかずに刺されていたのだろう。気づいていたって蜂一匹に刺されたくらい、何でもないと思っていたに違いない。
 そう、その後で再び蜂に刺されたりしなければ...
 そして、宴会が始まり、邪魔なサフィックスの死体は外に出され、蜂の死骸は人々の足下で踏まれてバラバラになり、最後には埃と一緒に箒で掃き出された。
 サフィックスが使った小瓶も、彼が倒れたときに転げ出たのか、床の隅に転がっていたのを、ロムおばさんが台所に持っていって洗ってしまった。

 ディフさえいなければ、たぶんその場にいた全員の合意でもって、「サフィックスは病気の発作で死んだ」ということで片づいていただろう。
 それをあの探偵気取りが余計なことを言い始めるから、オレがあの夜働かなきゃならなくなったんだ。
 前にも言ったとおり、オレは〈水晶亭〉の人達が好きなんだから、万が一にも誰かを人殺し扱いさせるわけにはいかないんだ。
 森に行って本物のトリカブトを採って(猫の手でうまくひきちぎるのはなかなか骨だったよ。食いちぎるわけにいかないんだから。大体、猫の足で森まで行くのだって一苦労なんだ)、手頃な布を探してくるんで、サフィックスの上衣の下に隠して。
 オレが猫に似合わないこんな労働をしてる間、あの役立たずはのんびりとフラッグスの美味い夜食なんか食ってたんだぜ。オレは疲れて寝過ごして朝飯抜きになっちまったっていうのに。
 とにかくこれでなんとか「殺人を目論んだサフィックスが失敗した」って話に誘導できるだろうと思ったが、実際ディフのやつ、ちょちょっとキーワードを「通心」してやるだけで見事に餌に食いついてくれた。
 (ホアミーを殺す)
 (旅費)
 (計画違い)
 (食事に毒)
 とか、そんなもんだ。
 まあ、責任は取ってくれたということで、それについては勘弁してやってもいい。
 後は、もうこの件はさっぱりと忘れて、さっさと街へ帰って欲しいものだ。こいつがいるとまたややこしいことが起きる...いや、なんでもないことがややこしくなりそうな気がするんだよな。
 ああ、やだやだ。
 オレは、この平和な村でのんびり暮らしたいんだから。

The End

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