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共生記 

2007年9月、僕は緩和療法に入りました。緩和療法とは病との共生だそうです。共生の月々の記録です。
この記録が何ヶ月も、何年も長くなるように祈って、別ページにしました。日記を月ごとにまとめたものです。  

2007/10/28

 

2007/9

髄外腫瘤のCA療法26日間終了し退院。髄外腫瘤はまだ残っており、1ヶ月後再入院予定。

白血病の治療手段が尽きたことを機会に、思い立ってホームページを憑かれたように作成。苦し紛れだったのかも知れない。誰かに聞いてもらいたかったのかも知れない。

行きたいところがあれば今のうちに旅行なども行っておいたほうがよいと先生に言われ、九州や大阪へ旅行。旧い友人たちと20年、30年ぶりの再会を果たす。地元でも何人もの友人と会い、酒浸りの毎日。

体調は良好、血液状態も良好。月末最後の方で左下肢が痛み、髄外腫瘤がまた動き出した。

 

2007/10

CA療法2回目、25日間の入院。アクラシノン5日間+キロサイド皮下注射14日間の軽い治療で吐気もほとんどなく、輸血もしなかった。入院時の症状は元気で、血液学的には寛解だが遺伝子的に再発中、肺などに髄外腫瘤あり。

入院中も元気でラーメンなどを食べに外出を繰り返した。

退院時の末梢血は良好。肺の髄外腫瘤は小さくなり、痕跡と思われる影が写る程度。マルクはしなかったので骨髄の様子は不明だが、外来でマルク予定。

髄外・遺伝子再発中ではあるが体調良好なので、病気との共生をめざし、移植16ヶ月目になるさい帯血を育てるような軽い治療を今後も続けることになった。現状25日間入院、20日間自宅療養のサイクル。

自宅療養中は免疫力を上げるために楽しく過ごすようY先生から指示あり。毎日1時間ほどの犬の散歩と時々の飲み会などで免疫アップに努める。

3回目のCA療法のため、11月14日頃再入院予定。

 

2007/11

退院後20日間くらいは良好なQOLだった。病気との共生のため免疫を上げるという口実で飲み会に参加したり、懐メロの音楽CDを借りたり、鉢台を作って仕事の真似事をしたり、ハナちゃんマメちゃんと散歩をしたり、毎日を楽しめた。

退院後20日目過ぎたころから髄外腫瘤と思われる痛みが両足に現れた。段々ひどくなり、鎮痛剤で抑えたがロキソニンが効かなくなり、オプソも効かなくなり、デュロテップパッチでも効かなくなった。鎮痛剤の副作用で吐気がでて食事も食べられなくなった。

外来での血液検査ではブラストが30%くらい出てきた。2回目の移植後、遺伝子的には再発したものの、さまざまな治療で抑えながらも血液学的には寛解を1年半維持してきたが、それがあっさりと破られた。病気のとの共生を考え始めてわずか2ヶ月での暗転だった。

ベッドが空かず入院は2週間遅れ、11月28日入院した。入院前1週間ほどは痛みと吐気で寝込み、病院へは電車で行けずタクシーで行った。入院翌日の11月29日、3回目のCA療法を開始した。

 

 
 

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