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魔王の世界征服日記
第9話勃発


 出発から十日。二つ目の大きな駅を出発したユーカとミチノリ。
 馬車のシステムとしては、街道沿いに宿場街にある『駅』と、街の外にある『駅』どうしを繋ぐように作られている。
 宿場がない駅は小さな物から大きな物まで様々だが、簡単な宿泊施設と馬を休ませる施設があることは共通している。
 アキタから下る場合、トーキョーまでには後一つチバラギ民主主義帝国に大きな駅があるだけだ。
「もうすぐトーキョーだな」
 がらんがらんと街道の石畳を蹴る木製の車輪。
 時々大きく跳ねて、喋るのも億劫になるような場所でもユーカはまったく応えない。
 本人『こつがあるんだ』というのだが……よく判らない。
「(こくこく)」
 正反対に青ざめた顔で壊れた人形のようにかくかく首を縦に振るミチノリ。
 もう今にも死にそうな顔をしている。
「失礼、どちらからこられました?」
 ユーカの左隣に座る男が声をかけてきた。
 ミチノリから目をそらし、そちらに視線を向ける。
 この馬車に乗り込んだ時、一緒に乗った男だ。日に焼けた焦げ茶色の髪に似合わない白い肌、そしてぱりっとした身なりからどこかの騎士か何かだと彼女は思っている。
「サッポロからだが?」
 彼女の答えに、小さく数回頷く男。
「ああ、やはり。そちらのお連れさんが非常に苦しそうでしたから」
 そう言うと彼は懐から小さな包みを取り出し、すっとユーカに差しだした。
「長旅でお疲れでしょうし、どうぞ」
「……これは?」
「単なる酔い止めですよ。この辺りに住んでいる人間でも、最初のうちは慣れませんからね」
 ユーカが戸惑った顔のままで受け取ろうとしないので、男は強引に彼女の手を取りそれを握らせる。
「この辺ではごく普通の風習ですよ。どんな人間でも初めての物事があり、苦手な物はあるものなんですから」
 にこり。
 ユーカは形良く笑みを作るこの男を、瞬時信用できないと感じた。
 別段怪しいところがあるわけではない。ただこの手の笑みが彼女は怖ろしく嫌いなのだ。
 ただの好き嫌い――実際気にしても仕方がない。
「悪いが受け取れない。私はこいつの苦しむ様を楽しんでいるのでね」
 そう言うと彼女は薬を彼の手の上に戻し、視線をミチノリに戻した。
 ミチノリは一瞬残念そうにして、今の彼女の言葉にびっくりして、半泣きでユーカを見つめる。
 にやり。
 びくっ。
 そんなかんじの二人に、男はくすくすと笑った。
「しかし、サッポロですか。私も一度だけユーバリの方に行ったことはありますけど、それきりですね」
 通常サッポロまで出かけよう、などと国外の人間は考えない。
 寒いから。
 常冬の国と呼ばれているぐらいである。
「成る程、これだけ馬車交通の発達しているトーキョー近郊で、貿易でもしているようだが」
 ユーカの言葉に男はにこやかなまま返事をせず、少しだけ小首をかしげて言う。
「商売というのは、何も商品だけ動く訳ではないのですよね」
 したり顔で笑みを湛え、彼はゆっくり様子を窺うように彼女を見る。
 そして、やはり口元の笑みを絶やさずに言う。
「金品は勿論、人の心も運ばれてくるのです。……情報、という名前のうわさ話も、ね」
 ユーカは自分の貌が変わっていないかどうか――今の言葉に動揺していないか酷く気になった。
 少しでも気が緩んでいては、いけない。
 もっとも彼女はミチノリのことは全く気にしていなかった。
 実際ミチノリは相変わらずただ気分悪そうに視線を泳がせているだけだ。
「……サッポロで大事があったそうですよ。えっと、そうそう、オタル駐屯の近衛軍と親衛隊が決起、だとか」
 サッポロの首都はオタルにある。
 当然、サッポロを治める政府もここにある。
 どこにも記述してないし説明もないが、サッポロは『サッポロ国』と呼ばれ、対魔軍はトマコマイにある。
 実は王族による完全な王政だけではなく、共和制やここサッポロのような民主制の国も存在する。
 当然社会主義国もあるのだが、こちらはむしろ少ない。
 特殊と言えば特殊なのが商業国家連合体である。民主主義的政治に近いものの、意志や政治より金銭的な価値観がそこにある点に普通の人は違和感を感じるだろう。
 賄賂ではない。それがルールなのだ。
「決起?……武力政変か」
「そうですね、既に実権は移行している可能性が大きいですね。せいぜい噂なので、それ以上は」
 この時期いきなり政変というのは不自然だと彼女は感じた。
 ユーカ自身は軍に所属とはいえ、あくまで籍を置いているだけという意味であり、完全に軍属、つまり軍人とは言えない。
 協力者という方が近いだろう。
 これはミチノリも近い、が彼の場合は軍に雇われているという身分の方が正しいだろう。
 やはり軍人ではない。
――タイミング的には、出立前後には準備があった物と思って間違いないか
 ユーカは自分がどれだけの存在か、その本質はともかく影響力がどれだけあるかは承知しているつもりだ。
 だがそれと自分本来の探求は別問題になる。
 当たり前、といえば当たり前なのだが――『影響力』が今回のようなパワーバランスに抵触する場合、個人というものは既に今人ではなくなる。
 たとえばそれは王族の誰かだったりしても同じ事。
――……狙われたか?
 ふっと頭を過ぎったのはあの二人の顔。
 そんなはず無いと思いつつ、どこから話が漏れるかは分からない。彼らが決して関与していないとしても。
「お帰り、お気をつけて」
 男の貌は変わらない。
「どうもありがとう」
 簡単に御礼だけ答え、会話がとぎれる。
 がたん、がたん。
 馬車は揺れて、停まることなくただひたすらトーキョーへ向かう。
 今日はツクバの宿場町で一泊だが。
「ゆぅちゃぁん」
 青い貌のまま、いつのまにか考えに耽っていたユーカに、ミチノリは声をかけた。
 まるで下から覗き込むように。
「大丈夫」
 今さら戻っても。
「行くぞ、ミチノリ。……出来る限り早く戻ろう」
 みんなが考えているより、魔術というのは万能ではない。
 今すぐに戻る事に意味があるなら、すぐに帰りたい。
 何故今トーキョーに向かっているのか、それを知らなければこんなにも心配にならない。
「ゆぅちゃぁ」
「うるさい。五月蝿い煩い」
 ぽかぽか。
 容赦なく拳を降り注ぐ。もちろん痛くない。
 丁度すぐ側にいたものだから、側で見ているとだだっ子が文句を言っているようにも見えなくない。
「お前なら判るだろう。すぐ帰ったって意味はない。私は、私がやらなければならないことをやるだけだ」
「う〜んん」
 ぽかり。
 一発、彼の頭の上で停まる。
 そのまま、首筋に掌を落として抱き寄せる。
「早く、帰るぞ」
「うん」
 そう答えるのが精一杯だった。


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