魔王の世界征服日記
第7話軍隊
「そこ、私語は慎め!」
サッポロ防衛軍北兵舎3階。
まるで無理矢理とってつけたかのような訓練施設隅にあるこの建物は、通常教育が行われている。
兵団長は兵団と呼ばれる単位を司る階級である。今教壇に立って話をしているのはその兵団長だ。
百人長以上の階級では、軍隊で人間を扱うのではなく、集団として統率する術を求められるようになる。
寿命や年齢の関係上、百人長まで上り詰めるより早く促成栽培しなければ将軍なんかにはなれない。
実際今教壇に立っているのはそんな促成栽培された兵団長だった。
将来、将軍の地位につく可能性のある人間だ。
「よし、では続きだ。集団戦闘の基礎というのは、目標と目的、そしてこれを統率する人間が如何にそれを指示するかによって決まる」
机にほおづえをついて、甲高い声でがなりたてる兵団長の授業を見ているナオとキリエ。
普段は訓練を指示し、兵隊を育てている彼らも百人長候補として教育を受ける事になっている。
この教育、土日に行われているモノだ。
一応休日のため、この課程を受けると代休がたまる。そんなところだ。
「……良く判らね」
ぼそりと呟いて、それでもノートにメモを取る。
サッポロ防衛軍対魔軍所属であったため、ではない。
実際単調な攻撃をする魔物に比べ、人間の集団同士での戦闘では『戦術』が重要になる。
兵団長までは戦術が、軍団長からは国と国同士の『戦略』が必要になり、それぞれ学ぶ事になる。
なお、フユは将軍であるが集団戦闘の戦術を学んだわけではない。戦功と特異技能者であるいわば『名誉職』のような階級だ。
階級が付いてしまえば一緒なのだが。
少し話がそれるが、彼らの戦いは通常魔術のような不安定なモノには頼らない。
しかし、集団戦闘を行うということは彼らのような特異技能者も勿論存在しうる。
ミチノリのような治癒が得意な術者は後方に位置し、またフユのように殲滅能力のある術者はやはり後方から援護射撃を行う。
この為『戦略級』『戦術級』という名前で彼らの術は切り分けが為されている。
戦略レベルの術を単独で扱えるフユは英雄ではなく、『人間兵器』扱いされているとも言える。
「であるから、戦場では幾つもの技能を持ち、定められた目的の中目標を求めそれぞれの任務を達成しなければ、最大の目的である軍団の目標を得る事は難しい」
兵団は、それぞれいくつかの分野ごとに編成される。
通常、歩兵、重装歩兵、騎兵、弓兵の区分で兵団を結成する。
魔術を使える者は数えるほどしかいないため、兵団を構成することはまずない。
各兵団に言霊師が役割を与えられ、数名程度くっついていけるかどうかである。
魔術が異常に発達した西の国キョート帝国の親衛隊、帝国軍第2師団にのみ魔術兵団と呼ぶべき存在があるが、これも諸外国では内容を確認されていない。
つまりサッポロではその実態など判らないということだ。
そんな兵団でも構成される術者は言霊師でしかない。
ユーカのような本当の『魔術師』と呼べる人間や、ミチノリのような素質有る『祈祷師』というのは貴重なのだ。
何故ならば、言霊というのは非常に効果の範囲が狭く、それ故に再現性が高く術者でなくても効果をコントロールできるという点において日常的に使えるからだ。
尤も、びんぼー人には手の届かない高額な商品になるのだが。
フユはそんな言霊師を統括できる術師である。なおサッポロには二十名ほどの術者が存在し、兵役に就いている。
そんな軍制では、お抱えで魔術師がいるというだけで充分な脅威と言えるのだ。
サッポロが安定した平和を維持できているのは、何も不毛な土地という訳だからではない。
むしろ、酷寒の地でありながら肥沃な資源を持つサッポロは狙われているのである。
こんな寒い土地であるにもかかわらず豊富な農作物、そして鉄鉱石を初めとする鉱産資源がこの国の基盤にある。
つまり、狙われているにもかかわらず平和ってのは攻められないから他ならない。
それだけ頑強な砦や戦力を持っているからこその、防衛軍とも言えるかも知れない。
と言ったって、そんな事を知っているのはごく限られた人間なのであって、軍属といっても一握りの人間しかそれを理解していない。
実はアキはこのことを重々承知の上で生活をしている。
サッポロという安定した基盤が、彼ら『戦略レベルでの重要人物』の存在が平和に関わっているということを利用し、それを活用しているという事だ。
そして今、そのうち一つであるユーカがいない事も、彼女は言うまでもなく了承してしまったということだ。
司令としてそれは正しいと言っていいだろうか。
勿論、そんな悩みを理解する人間もいなければそれを指摘できる程詳しい人間もいないのだが。
「基本的な集団戦闘というのは、何らかの目標があり、その目標を達成する事が最大の目的なのだ。目の前の敵を倒す事はさほど重要視されない」
かつかつと白墨が黒板の上を踊る。
この世界の戦術は、基本的に歩兵によって真っ先に弓兵の射撃地域を確保し、敵に文字通り一矢報いる事が大切になる。
混乱に乗じ、騎兵が敵陣に切り込んで完全に切り崩す。
そして重装歩兵は盾となり、騎兵・歩兵の突撃を止める。
しかし実際にはもう少し小さな集団同士の小競り合いがあり、その勝敗が全体の勝敗につながる事が多い。
「目的のためにもっと具体的に目標を絞る。絞った目標を各人に与えることこそが、小集団の長としての……」
かつ、と白墨を叩くようにして彼は黒板に描いた絵を示しながら、話を止めた。
そしてぎりと歯ぎしりさせ、右手が一瞬宙を斬った。
「はごぉえっ」
謎の叫び声を上げるのは、額を押さえたキリエだ。
兵団長必殺の白墨スローイングである。
素直にチョーク投げと言えと各界から非難囂々のような気もするが、はじめに白墨と書いた限りはこの名前が適当だろう。
「今大事な話をしている最中だぞキリエ!目が覚めないようならもう一発」
「あーいえいええ!ねてません!」
真っ赤になった額を押さえながらあわてて立ち上がり、両手を体の横にあわせてきおつけの姿勢をとる。
ふう、とため息をついて彼女のその様子を窺い、やれやれと首を横に振ると抜き手も見せずにさらに右手にすちゃと列ぶ白墨。
「てめぇもだナオ!」
叫びと同時に、左手にも四本の白墨が踊る。
ひゅご、と残像を残し彼の右手が振り抜かれるのに合わせて左腕が消える。
か かかかか きん ぱきん
「団長……」
だが白墨はナオの元にまで届くことはなかった。
ナオの右手に握られた鉛筆。
その後端部で全て見切られて弾かれてしまったのだ。
音速を超えた鉛筆、彼はこの瞬間、奥義に目覚めたかもしれない。いや、それはない。
ちなみに最後のぱきんは、ゆらりと立ち上がった彼が踏み割った白墨の音だ。
「キリエはともかく俺は寝てないッスよ」
「何を言う、キリエはお前の妻だ。妻の責任はお前の責任でもある。当然私の白墨はお前にも届いてしかるべきであると思わないのか」
妙に淡々と冷静に言う。
というか、授業を進めた方が良いような気がするのだが。
ナオは口元を歪めて笑う。
「妻を憎んで俺を憎まず」
「わけわからんわ!」
すぱこーん。
ナオの言葉に怒鳴りながら、どこから出したのか巨大なハリセンでナオの後頭部を大打撃。
ちなみに張り扇と書き、紙ではなく竹の皮を編んだ丈夫な繊維質の板をジグザグに縫い合わせた両手持ちの訓練用武器だ。
このサッポロ防衛軍では結構ポピュラーな初心者訓練用なので、大抵の斬魔刀使いはこれを使ったことがある。
そして意外に重いこの一撃で顔面を机に強打し、ぴくぴくと怪しい痙攣を起こすナオを尻目に。
「兵団長、続きをお願いします」
「……あ、ああ」
授業は再開された。
この夫婦漫才ももはや慣例になってしまって、教場の人間はくすくすと笑うだけだった。
合掌。