魔王の世界征服日記
第3話理由
「だって、だぁってぇ」
すんすんと鼻を鳴らしながら、ミチノリは両腕を激しく上下させる。
だだをこねると言う奴だ。
「ゆぅちゃぁんが悪い!みっちゃんはみっちゃんは」
「五月蝿い」
一喝するが、この数年間、みっちりつちかった謎の根性はそんなものでは怯まない。
「ゆぅちゃが無理してんの判るんだよ!だいぃち、みっちゃんだって」
「煩いと」
「うるさくてかまわない!」
とうとうぶち切れた。
ユーカも流石にびっくりして後ろに倒れそうになって、右手を腰の後ろに付ける。
ぎゃくに、ミチノリは身を乗り出す――といっても、背丈が実は足りなくて、結局見上げることになるのだが。
「みっちゃんは我慢しないよ!いっとくけど」
それでもいいの?
ミチノリが感情を爆発させる事はほとんどない。
人前ではいつものんびりした貌でのんびりと過ごしている。
眉を吊り上げて、挑みかかるような話し方(それでも普通の人よりかなりのんびりに聞こえるのだが)が出来る相手というのは、妻であるユーカだけ。
いや、もう少し精確に記述するなら、ユーカ以外の人間はそんな彼の姿を見ることはできなかった、と言うべきだろう。
もはや。
そんな事情を知ってか知らずか、ユーカはめをぱちくりとさせて小さく頷く。
「何を我慢するんだ」
どうやら動揺から立ち直ったらしい。
右手で体を起こし直して、再びミチノリを高いところから見下ろす。
「……そのぐらい、少しは察しろ。今更……まったく」
そう言って再び、自分の胸の前ぐらいにある彼の頭をむんずと抱き寄せる。
「今言っただろう。世界が滅ぶようなものだと。この世界を造り替えられる可能性があるんだと」
それは全てが変革するということだ。
変わってしまうこと。変わらないで居ようとすること。変わる必要のないこと。
「永遠はない。全て変化していくもの。だからといっても。……変えられても良い訳じゃない」
抱き寄せたミチノリの首筋、丁度後頭部の生え際付近を彼女の右手の小指がくりくりと動く。
ユーカはミチノリの柔らかい女の子のような細い髪が好きだった。
特に生え際の付近を指先でつついたときの彼の反応が好きなのだ。
だから、変わらない癖になってしまっていた。
ミチノリも今はおとなしく抱かれている――結構昔は暴れていた気もするのに。
「その辺の馬鹿な連中じゃなく、ミチノリ。……おまえなら別に何も遠慮はいらないだろう」
少し腕をゆるめると、ふいっと彼は頭を上げて、にぱっと笑みを湛えた。
「んじゃここで」
ごすん。
「いーぃたーぁいぃ」
「煩い馬鹿。それより重要な事があるだろう。――今から、どこへ何しに行くのか、だ」
理由なんてものは、そんなに深く考える必要性はない。
結局人間のどんな行動も、後付で理由が語られる。
だったら、根拠のない行動であってもそれは理由も根拠もある論理立てられた行動となってしまう。
それが人間なのだ。
しかし、この世の中の物理法則というのは、れっきとした根拠を必要とする。
だのにそれが打ち破られる――もっと精確に言えば、もっともっとより正しく言えば、この世の生み出している物理法則というものが実は何らかの嘘だったら。
そう考える輩がいる。
さらにそれだけならまだいい。
この世を疑うという方法論でもって、自らの世界を構築してしまう輩だっている。
これが――困った連中のやり方だった。
「誰が目に付けたかも判らないし、どれがそのきっかけだったかは判らない」
相変わらず雲を掴む以前に、どうやってその情報を知り得たのかを聞きたくなるほど不自然かついい加減な話である。
「ただ判るな。私が何を言いたいのか」
10年前のあの時関わった『勇者』の話。
たまたまなのか、選ばれたのか、関わってはいけない部分にまで深く関わってしまったユーカ。
そしてその時知った『せかいのひみつ』。
彼女自身なんとも理解できなかったが、判っている事がいくつかある。
神と呼ばれた存在は、人間に対して特別な感情を抱いていなかったということ。
この世界を創ってから、神は神によって滅ぼされてしまったこと。
神が望んでいたのは、この世界を統一――もしくは自分の手中に収め、自由にできるという権力を欲していたということ。
神だったものが今人間としてその辺に居るらしいということ。
そして――結局神のちからというものが、今もまだこの世に存在し、それを使うことが出来るという事実。
「……ませまちさんじゃないの?」
「『マセマティシャン』だ。良い点ではあるな。奴らの中には恐らく『神』の生まれ変わりが混じっているんだろう」
彼らの情報源もそのルートも謎が多い。
旧世代のアイテムとか言っているが、実際彼らの使っていた『E.X.』自体、実際にこの世のものである可能性は実は低いし。
低いというのは彼女自身、それを触らせて貰ったことがあったのだ。
実はウィッシュにも聞いた。
未だにウィッシュとは仲が良く、時々会ってお茶をしてたりする。
「ついでに言えばな。……魔物達は絶対そう言う真似はしない。それも確認済みだからな」
うーん、と首をかしげて唸るミチノリ。
「それで、どうしてゆぅちゃとみっちゃんなの?」
かなり省いた物言いだが、ユーカには一応通じたようだ。
「私が行かなければならない理由は一つ。私が気付いてしまったからだ。それに」
それに。
彼女自身矜持がある。自分の力と知識に対する。
そして何より、あの頼りない魔王の貌を憶えているから。
どこか哀しげな感じを持っているのに、でも大人びた感じの子供の喜ぶ貌を。
まるっきりただの子供とも言えなくないのだが。
「見て見ぬふりというのは、私には出来ないようだ。だからミチノリ、お前を巻き込むんだ」
「なぁんでー!」
非難する彼の驚いた貌に、ユーカは悪戯っぽく笑みを湛えて言う。
「何故か、教えて欲しいか?」
それがどこか嬉しそうで、何かを期待しているようで、でもミチノリにはそれが判らなくて、結局どうするかというと。
「いらない」
ぷい。
「あ、そう?なら納得しなくても私はお前を連れて行こう。どうせお前も満足するんだろ?」
にやり、と笑うと彼女は立ち上がり、彼の首根っこをひっつかむ。
「う、うにゃぁっ」
「こら、猫みたいな声を出すな。可愛いじゃないか」
ずるずる。
こんなかんじで、ユーカはミチノリを引きずって出口に向かう。
「ああ、どうでも良いかもしれないが、ミチノリ。今シコクはぱらだいすらしいぞ」
本当にどうでも良いかもしれない。
シコクは、魔物が全て居なくなったことによって、断絶されていた国交がまともに回復した。
そのため名実共に娯楽国家として歩むことになり、今や健全な賭博や様々なイベントがいつでもどこでも開催されていると言う状態だ。
まさに以前のあの暗さはない。国を挙げてのお馬鹿なイベントなど、昔の軍事国家が今や……という感じになってしまった。
「そ〜ぉなぁの?」
「そうだ。今度一緒に遊びに行こう。お化け屋敷・THE・魔物街や、シズオカのエタ山を模した『Mt.エタドライブ』とかいう高低差の激しいジェットコースターもある」
魔物街は、一つの街をそのままそっくり魔物に貸し出して、安全且つスリリングな体験のできる場所に仕上がっている。
協力・魔物提供はマジェスト=スマート劇団と言う名前らしい。
ちなみにウィッシュからの情報で、全て本物であることも確認がとれている。
ユーカがその話を聞いたとき、相変わらず資金不足なんだと思ったものだ。
Mt.エタドライブはニホン一のエタ山を模した高低差をくぐり抜ける最速コースターという売りだ。
どういう機構なのかは知らない。
「え」
「私は絶対楽しいぞ!」
「やだぁ〜!やだやだぁ、ゆぅちゃのいじわ〜」
ずるずる。ずるずる。
どんどんフェードアウトしていくミチノリの声。そして。
がしゃん。
道場に断絶の音が響き、静寂と闇が訪れた。