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魔王の世界征服日記
第127話 這い寄る混沌


「まお、俺っ、どうしてっ、どうしたらっ」
 本人も何を言っているのか判らなかった。
 何が起こったのかまだ理解していなかった。
 まおは彼の刃を受けて体を浮かせ、人形のように体を突っ張らせて、そのまま力なく頽れた。
 胸と背中の二カ所の突き疵からはだらだらと、水袋に収めた液体が漏れていくように床を染めていく。
 朱。
「何で、その」
「あんまりとりみださないでくれるかな」
 かしん、と甲高い何かが締まるような音が響いて、世界が変わった。
 急に彼の周囲がネガティブに色を反転させて、丁度時が止まったように。
「おっと」
 声に顔を上げたナオは、色の変わった奇妙な世界の真ん中に、それが居ることに気付いた。
 小さな男の子。
 金髪で、蒼い吊り目。白いタキシード、黒いシャツに赤いネクタイを着こんだ奇妙な少年。
 こちらに向けて差し出された手には白い手袋。
 唐突すぎるその登場と、あまりに風景にそぐわないその服装。
「おやおや、なに?ボクのこと?いやぁ、なに?拍手喝采の方がいいの?」
 無邪気な顔で首をかしげながら聞く。
「誰だ」
 そもそも良く判らない事が多すぎて混乱する。
 ナオは、何から聞いて良いのか判らなかったが取りあえず言った。
「何なんだよ。なんだ?勇者と魔王のエンディングでも用意してくれたのか?」
 少年は目を丸くして左腕を袖をまくって見る。
 するとぺぽっと間の抜けた音がして、彼の細い手首に何かが巻き付く。
 その直前までなにもなかった――今、彼の言葉に合わせて現れた、と言うべきだ。
 腕時計だ。彼はそれをひとしきり眺めて呟く。
「そうだね、そろそろ時間だ。でもそう言う意味じゃない。それに、ボクは特典係じゃないしー」
 つい。
 彼は上目遣いにナオを見上げる。
 大きくて、その内側の奥の奥まで透けるのに、暗く冥く黒く、光が届きそうにない。
 つややかで透明度の高い、澄んだ黒水晶球。
「でも特典係よりも大事な特典を選ぶためにボクは現れたのかも知れないよ?」
 くすくす、と悪戯好きの子供の笑顔で笑う。
 何かを企む子供の顔。
「……誰なんだよ結局……ここって何なんだよ」
「ひとつづつ行こうか。僕の名前は――そうだね。にゃるらとーって呼んでくれるとありがたいかな」
 にゃるらとーは何かを謀るように彼をじろじろと眺め、やがてじろりとまおを見下ろす。
「そう、ここは今隔離された場所。今までキミが居た夢の世界とは別の場所。実際には殆ど変わらない、ボクが割り込みをかけてキミをスニフしてる」
 それならスニフキンかな?と自分で自分の言ったことにけらけらと笑う。
「場所っていうだけならキミは決して今の場所から動けない。動かない。だから夢。ボクの声が聞こえる場所っていうだけ」
 同時に急に何も見えなくなる。
 世界だと思っていた物に黒い帳が襲いかかり、全てが真っ暗になる。
 ただ男の子、にゃるらとーをてらす謎のスポットライトで切り抜いたような部分以外存在しない真の闇。
 突然自分の事が判らなくなって背筋が寒くなる。視線を降ろしても何も見えない。
 目に見えるのは、にゃるらとーだけ。
 彼の様子にくすくすと嫌らしく笑うとにゃるらとーは言う。
「判ったでしょ?今のキミはボクの掌の上。尤も、ボクはあーくんに手を出すなって言われてるから安心してね」
「だっ、だから、誰なんだよお前!一体何の用で現れたんだよ!」
 怒鳴るナオ。
 だが、にゃるらとーはくすくすと余裕を見せた笑みを浮かべる。
 先刻までと雰囲気が変わった。どこかナオをすっと覗き込むように鋭く目を細める。
「ボクはにゃるらとー、あーくんの為に踊るピエロさ。そしてキミには、そうだね」
 ううん、と軽く考えるそぶりをして、右手で顎を支える。
「アレ」
 そう言って左手でついっとまおを指さす。
「ボクさ、魔王さんとちょっとお知り合いでさ♪お願いされてる事もあってね。それが」
 と、今度は両手を自分のポケットに入れて、ナオを『見下ろす』。
「『物語を終わらせてくれ』なんだよねー。ね、ナオ君?キミが実質最後の英雄、勇者ってことになるのさ」
 そしてにゃるらとーは息を継ぐようにナオの様子を窺い、沈黙を続けそうな様子を見てから言う。
「何か。何でも、今なら全ての願いを叶えてあげよう。普通なら考えられない事ですら今なら叶えられる。世界を変える事も。――魔王になることだって」
 そこで、見覚えのある笑みを湛えた。
 それはここに来るまでに何度も何度も見せられた魔物の笑み。
 嫌らしい、口の端を吊り上げた笑み。
「さあ、何を選ぶ?」
「それは――いや」
 被せるように彼は応え、やがてゆっくりと思考の為沈黙する。
 どういう意味なのか。
「そもそも俺に特典を与える為に来た訳じゃないのに、それはどういう」
「だから言ってるじゃない。ホントはボクはここにくる理由はない。ホントは来ちゃいけないし。でもね、魔王さんの――ああ、いや、『魔王』のお願いでね」
 『魔王』は物語を終える為に。
 それは、事実上シナリオをひとつ、つまり勇者に斃されるという意味ではなく。
「お願いっておかしいかな。あーくんは『魔王』の異変に気付いて、さくさく終わらせなきゃいけないってね」
 でもその前にお願いされてるんだからお願いだよねー、と彼は続けてけらけらと笑う。
「それでね。今から『魔王』を退場させるから、代わりにキミに何か提案して欲しいってことさ。どうだい?これなら判るよね?」
「え?」
「魔王を退場させるの。判るでしょ?それがあーくんの『魔王』との契約だし、そのためにボクがここに来たの。で、折角だから今回の勇者にもお手伝い願おうってね」
 ナオはどくん、と自分の心臓が鳴るのを自覚した。
「ん?あ、もう決まってるみたいだね?」
 とにゃるらとーは自分の右手を耳に当てて小首をかしげる。
 ナオは何も言っていない。
 でも、にゃるらとーは目で彼の言葉を促す。
 決まっているはずのことを選択させる事には意味はない。
 ただその意志を確認することが重要なのだろう。
 ナオが黙っていると瞬きして可愛らしく催促する。
「……俺は、まおを退場させたくない」
「だーかーら?ボクにできないことはないって言ったでしょ?ボクにどうして欲しいの?」
 むいっと首を伸ばすようにしてナオに迫る。
 迫られて、彼は一歩退く(退いたつもり)。
「ダメダメー、逃げたってダメだよー。ボクはキミの首根っこを掴んでるんだから、キ・ミ・は・逃・げ・ら・れ・な・い♪」
 まるで襟首を捕まれているように視界が動く。
 そして、彼の貌が眼前で視界一杯になる。
「ボクにどうして欲しいの?」
「あ、あのなっ!俺はっ!」
 にゃるらとーの顔がにやついている。
 ナオはかーっと胸から首に、そして顔に血が上るような感触を覚える。
「俺は、まおにまだ居て欲しいんだ」
 ぱちぱち。
 見えたのは、にゃるらとーが二回瞬く瞬間。彼の顔が一気に赤い海に沈み――レッドアウトの直後めまいがする。
 ふっと気がつくと元の廊下で、元の視界で、にゃるらとーはもう手に届かない程遠くに居て。
 まおが足下に倒れていた。
「聞いたよ?確かに聞いたよ?キミは言ったよ?選んだよ?」
 そして、まるで自分は何の関係もないからと、責任を押しつける子供のように言う。
 にゃるらとーは。
 ただ混乱を与える為だけに。
「キミの最愛の、求めていたはずのキリエちゃんではなくてまおを選んだって事を」
 え?
 ナオがあっけにとられて、一瞬沈黙する。
 そして次の瞬間絶叫した。
「えーっっ!何?!何それ!ちょっと待ってよ、それってどういう事だよ!」
 騙された。ナオだけではなく、ここまで読み進めればだまされたと思うだろう。
「普通に騙されてると言えるでしょう。気がつかない方がどこかおかしいです」
 五月蝿い黙れマジェスト。
 同時にまおはがばりと起きあがった。
 それはまるで低血圧の起き抜けではなくて、元気な子供でもここまで起きないだろうという激しさで。
 ついでに、胸にあったはずの穴はなくなっている。血まみれだったはずなのに、ソレすら忘れている。
「あーくそー!ほんまにー!なんでー!」
 しかも大音声で叫ぶ。
「ちょっと待ってよなんだよー!何で私ここでこんな平気に生きてたりしてるのよー!」
 と文句を言いながら立ち上がるまおの真後ろには、先程から佇んでいたマジェストが咳払いでもするように言う。
「仕方がありません陛下。ここはそう言う世界なのですから。いわばギャグ?ギャグマンガ属性の世界なのです」
「ちょっと待ってよ。おかしくない?だいたいさ、私もう魔王じゃないでしょ?」
「えー、その辺はおいおいお話しなければなりませんが、陛下。取りあえず、そこで唖然としてる勇者殿にかける声があると思いますが?」
 ぎょっと首をくりんと回転させるまお。
 驚いて背筋を伸ばすナオ。
「あ、あはははー」
「……げ、元気そうだな」
 よくよく考えればかなり間抜けな会話である。
 つい直前まで殺し合っていた(というか一方的に殺されていたわけだが)のだから。
「ナオ様。まずはそろそろお開きのお時間ですので」
 マジェストが言うと、まおの向こう側から、ウィッシュとヴィッツがミチノリとユーカを連れてやってくる。
 勿論、その後ろに控えているフユ。
「ナオ!」
 一番後ろにいたのに、全員を押しのけるようにナオの元へと駆け寄って取りあえず両肩を掴んで揺する。
「大丈夫?ケガしてない?どこか痛くない?」
「いやその。……あのね、姉ちゃん」
 ちら。
「無事なの?」
 無視。
 フユには慣れっこなのか、既にそう言う感情はどこかに置いてきたのか。
 ともかくナオは全員のちくちくした視線を回避したくて、取りあえず何度も頷きながら彼女をふりほどく。
 そして、彼はまおに顔を向けて聞く。
「あのさ。あのさー、えと、まお?これって結局どういう事なんだよ」
 まおの方も目を丸くして?マークを幾つも飛ばしている。
 その代わりとでも言うように胸を張り、マジェストが説明を始めた。
「そうですな、今後ともよろしくというとこで御座います。ですが、我々も今後は活動を縮小しまして、世界征服は金輪際ぽいすてで御座います。よろしいですかな?」
 一瞬まおの顔がぱっと輝いたようにも見えた。
「えと、……何で?」
「魔王として世界征服を行うだけのですな。力はもうないのですよ」


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