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魔王の世界征服日記
第125話 魔王再臨


「おかしくない?あれだけずたずたに切り裂かれて生きてる人間いる?あはっ、そうじゃないよね」
 ついっと引き絞られる目。
「そうじゃないよね」
 声色は変わらないのに、突然周囲が凍てつくように錯覚させるような抑揚。
「ねえナオ?あんたまだ信じてるんだぁ。自分が夢の中にいるなんて。まさか」
 くすり。
「今もまだ、醒めない夢の奥底で横たわってるってのに、今更夢?はん、それこそバカにしてない?ねぇ、ナオ」
「ま……」
「夢の中で夢を見るほど貴方は脳が緩いの?」
 反論も、まして彼女がいつの間にか近寄っているという事実に反応するよりも早くまくし立てる。
 早くなければコレは意味がない。
 物理的距離が近い事は言うまでもなく影響力が強いのだが、それだけ逆に感づかれるおそれも高くなるのだから。
 まるで恋人同士がテレパスでもあるかのように感応するのと同様に。
「ここは既に夢の中なんだよ?」
 再びくるんと身体を回しながら彼女はナオから離れる。
 くるん、くるんとひねりながら彼の前で軽やかに舞う。
 反転するたび、まるではねるように
「指示は私。お膳立てはヴィッツ。止めがウィッシュ。貴方、目の前に大好きだったはずのキリエの殺人実行犯がいるのよ?」
 そこでにやりと笑みを湛える。
「貴方の知らないところでキリエさんはばらばらのずたずたの肉塊に変えられました。犯人は私。さあ、どうする?」
 右手をすちゃっと掲げると、そのままついっと自分の前に降ろしながら右の膝をついて項垂れる。
 顔を上げてぺろりと舌を出すと立ち上がる。
「夢?夢ってなんだよ、それに……まお、お前」
 まおの一人芝居のような道化に、思わずナオは状況も理解できずに聞いた。
 立ちつくして。
 彼女のあまりに変わり果てた様子に。
 そして、自分の行動の『無意味さ』を理解できずに。
 まおはただ笑う。
 立ち上がって。
 無邪気な雰囲気のまま、冥い表情で。
「そう。私は魔王。あなたは、私を倒しにきたんじゃなかったっけ」

  どん

 まるで風が吹き付けるような感触がしたと思うと、続いて水の中に放り出されたような錯覚を覚え。
 それは、まおが魔力を放出――いや、その場を魔力で『満たした』結果だった。
 魔力とは一時的にソレをためるコンデンサのようなものに封じておかなければ拡散して消える。
 だからこそ『命の雫』のようなものに詰め込む事で人間は強大な魔法を操る。
 しかし同程度の密度の魔力を、今のまおのように空間に放出し続ければ、何も何年も貯める事なく同等の事を行うことができるのはいうまでもない。
 つまり今ナオは――刃物で全身を包まれているのとほぼ同じ条件にあるといってよかった。
 でもまおにとっては、まるでナオを抱きしめてるのと変わらない。
 満たした魔力の隅々まで自分の意識を満たすことが出来るのだから。
 彼の心臓の鼓動も、呼吸も、血流も、肌のふるえもひきつりも、汗のにじみすらもわかる。
 それが彼女にとっては偽りの命であると判っているのに。
 あたたかくて、大切に感じられて、安心する。

 こんなにも離れた位置で、こんなにも身近に感じられて。

「あなたは――私を倒せるの?」
 なぜかうれしくて、涙がでそうな程に感極まって。
 ウィッシュがヴィッツに割り込んだ時にはすでに決まっていたから、判っていたから、それがウィッシュとの取り決めの一つだったからこそまおは上機嫌だった。
 勇者がまおの想定していた一番うれしいシナリオの上に乗っかっている今のこの事実に。
 間違いなく喜んでいた。
――だから何の気負いもなく全力で。
「えい」
 まおはただ右手を動かしただけだった。軽く、とんと掌底で扉を押す感覚で。
 だがナオにとってはそれは、全身を巨大ななにかで叩かれるのと同じだった。
 鳩尾を中心に、彼の身体がびしりとつっぱる。
 まるで大きなボールを抱かされたような、不自然な恰好。
 だのに両脚は地面から離れない。両脚は地面に釘付けにされ、引っ張られている。
「がぁあああっ」
「ほらほら♪がんばらないと」
 彼はその場から全く動いていない。
 動こうともしていない。
 しかし、真後ろに押される感覚と、両腕両脚を引っ張られる感覚は本物だ。
 丁度人形をつまんでもてあそんでいるような。
 びきびきと全身の筋が伸びきるような感覚。
「そうそう。そう言えばさ」
 まおが小さく首を傾げる。
 右手の人差し指で頬を押さえて。
「貴方のお姉さんだったかな?この城の外にいたのは?」
 一瞬全身の感覚が消える。
 それは錯覚。しかし間違いなくナオの意識が総てその言葉の続きを促す。
 貌が引きつる。でも声にならない。
「一人であんなところにいて大丈夫かな?」
「あぁああっっ!」
 反る。首が反り返る。
 まだ力が加えられる。
 逃げるだけの余裕がある。
 気づいたのか無意識なのか――ナオはさらに背を反らせて拘束から逃れようとする。
 いきなり拘束が解ける――そこまでためられていた自分の力で一気に反っくり返る。
 ごろん、と床に投げ出されると、何も考えずに床で一回転して立ち上がる。
 だが眼前に――一気に接近するまお。
 くすり。
 小さく笑う彼女の口元だけがアップになる。
 嘲笑を湛えた彼女の口元だけが――
「――ぐ」
 背中に衝撃。
 何が起こったのか、既に視界だけで理解する事はできなくなっている。
 音?いや、方向感覚が戦闘中になくなっている。
 今のナオには全身の皮膚の感覚だけが鋭敏になったような状況だ。
 判るのは気配――自分とまおの距離感覚しか既にない。
 石畳という不安定且ついい加減な足場すら、雲の上のように掴めず。
 最初からもみくちゃに振り回されてしまったからか、三半規管が多分麻痺している。
 水平感覚もなくなっている。
 そんな、まるで着色済みの明度の高い闇の中で、ぞわりとした水のような感触が忍び寄ってくる。
 中央、水を操る塊がいる。
 それがまおで、明らかに彼女が自分目指して走り寄ってくるイメージ。
 判っていても体は言うことを利かない。

 それは明確な死のイメージ。

 ずどん、と音がしてまおの右手が頬をかすめ、左腕で胸元を押さえつけられて、壁に組み付けられた格好になる。
 両膝をついた格好で、完全に動けないナオを見下ろす格好のまお。
「勇者ってさ」
 左手であごを掴み、真正面からナオを見つめる。
「そう言う責任のなかで魔王とた立ち合うんだよね」
 平和とか。
 ヒトの命とか。
「自分の中にある何かと向き合う事が出来なければ、棄てるモノを選べなければ私は」
 右手で、表情から力のなくなっているナオの貌を撫でる。
 あごから、鼻、額を前髪を払いあげてそのまま顔を被せるように。
「ぉ!んんん!」
「戴くからね」
 両手を離す。
 その時、久々に重力を思い出したナオの体が床に向かって落下する。
「ぜんぶ。世界も、何もかも」
 キミの命も。
「別に逆らってもいいわ。それぐらい赦したげる。だって、私は魔王なんだから」
 すっと彼女の体が離れる。
 視界は真っ暗で、赤い絨毯を引いた石畳が眼前にある。
 毛羽だって頬を差す絨毯でも、今は体を起こす事が出来なくて、むしろ気持ちが良い。
「ナオ。キミは――可愛いよね。ずっと側に居てもいいよ。キミは大事にしてあげる」
 一歩さらに遠ざかる。
 ナオは立てない。
 叩きつけられるという事は、全身の筋肉がそのたびに収縮するため、非常に疲労する。
 恐らく今のナオは疲労の蓄積がピークに達していて、全身の筋肉が悲鳴を上げているのだろう。
 だから動けない。
「でもね」
 まおは重ねて言葉を紡がなければならない。
「他の人はじゃまだよね。キリエはもういないから、あとはやっぱりおねーさんだよね」
 まおはナオが動かないのを確認するように一呼吸。
 そのままくるんと一回転して、髪の毛が収まるのを待つようにぴょんと足で跳ねる。
「ウィッシュ、ヴィッツ?たしか、フユの事良く知ってるよね?お願いできるかな」
「御意」
 すっと頭を下げる二人。
「ナオ、あなたは」
 くりっと頭だけナオに振り向いて。
 そこで、小さな衝撃と体の中心から広がる冷たさ。
 けふ。
 げっぷのように押し出された胸の中の空気。
 口の中に広がる鉄の味。
 背中に密着する気配。
 顔は見えない。丁度背中側だから、貌を見せなくて済む。
 自分の体は触らなくても判る。
「も」
 けふ。
「……もう少し、丁寧にやってよね」
 がら空きの隙だらけの背中からの一撃。
 この感触なら鉄製の刃、それも切れ味の悪い即席の武器。
 でも残念ながら心臓直撃ではなかった。
 口の中に混じる血の味に血反吐を吐こうとして唇が震える。
「俺」
 両脚が浮いている。
 いつもの、まおの力ならばふりほどくのも簡単、この状態で刃を抜く事だって簡単にできる。
「……ごめん」
 肩からタックルするような態勢のまま、ぶん、と斬魔刀を振るいまおを投げ捨てる。
 ずるんと彼女は刃を滑って、地面にごとんと倒れ込んだ。
「痛、痛いって、ねえ」
 ごとごとと転がって、まおは体を起こした。
 顔をしかめて、まるでただ転んで起きあがったかのように。
「何するのよ、丁寧にやってって」
 どん。
 今度は真正面から。
「ごめん」
 彼の体を受け止めるしかなかった。


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