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魔王の世界征服日記
第123話 強敵?


 がたん、と大きな音がして、周囲が闇に墜ちる。
 同時。
 まるで初めからそうであったかのように。
 閉じていた目を開き、薄明かりに目が慣れるように。
 ナオは薄暗い石造りの廊下に立っていた。
 かび臭い匂いと、ランタンから薫る獣油の臭い。
 壁に揺らぐ影の形が描く凹凸が、現実感をゆっくりと失わせる。
 足下が不安定なように感じる。
 そんな歪な空間。
 彼の足下には、今まさに突き立った斬魔刀によりえぐれた絨毯がある。
 染み出してくるような朱(あか)。緋色が酷く欠けた暗い暗い紅(べに)。
 距離感が狂うような暗さから感じる孤独。
 だがナオは迷う理由はなく、そして惑わされる事もない。
 否。
 既にそれが惑いなのかも知れないのに。
 迷うことなく足を踏み出す。
――どうせ、俺を待ってるんだろう?
 ならこれは誘いだ。
 これが魔王流の歓迎なんだ。
 ナオは自分の足の裏に感じる絨毯の感触と、耳に届くさくさくという極めて小さな音に引かれるようにしてゆっくりと廊下を進む。
 他の何も感じない。
 風も吹かず、音もせず、ただひたすらに続く廊下。それは距離感も時間も失わせる。
 その中を右手に提げた斬魔刀の重みを感じながら歩く。
 重く遠い道程。
 何時までも同じ風景が続くだけなのに、何故かどこまでも深みへと落ち込んでいくような錯覚。
 振り返りたくない。その瞬間に何かが待ち受けているかのような感覚。
 このまま歩いて、たどり着く場所はどこなのか。
 間違っているとは思えない。思わない。魔王が自分を呼んでいるのだとするのであれば。

「流れ的に言って、案内を出すのが適当なのよね」
 まおは腕を組んでくるりと振り向く。
 マジェストは彼女の後ろですっと跪く。
「は。いかように」
「そーねー。私が直接出向くか、それともやっぱ、ほら、『してんのー』とか出すとか」
 四天王は一応居る。実際彼らはそのために待機しているようなものだ。
 だが彼女の口振りを考えれば、それをするつもりはないのだろう。
 マジェストもあえて何も言わなかった。
 まおは様子を窺うようにちらりと後ろを見て、そしてくりんと体を一回転させる。
「じゃ、まおうらしく罠をはろうか」
「は」
 にやっと笑みを浮かべる。
「ほら。なんだっけ。強い奴をたおすと魔王を倒せる武器が手に入るってイベント、おやくそくぢゃん」

 おぉおおおぉぉぉぉぉんんんんん……
 ナオは目をつり上げた。
 静寂を打ち破った声が彼の前から地響きのように鳴り響いた。
 唐突に現れた――本当に、何もない虚空からいきなりそれは牙をむいた。

  ごぉうっ!

 左腕に衝撃。
 腕が弾けて体が錐もみ状にねじれようとする。
 足下がもつれて、一気に真後ろが見えた。
 そこで大きくたたらを踏み、偶然体のかしぎが停まる。
 だがそこまで。完全に背中を向けた彼は、もう一度何かの衝撃を受けて今度こそ前のめりに倒れる。
 ごろごろと転がりながら、彼は何が起こったのかを把握しようとした。
 しかし、自分の状況すら把握しきれないままに、地響きのようなうなり声が聞こえた。
 体に当たるなま暖かい風――それは、呼吸か。
 やっと自分が地面に俯せになっていることに気づき、両手で体を弾き態勢を整える。
――!
 斬魔刀がない。
 そんなはずはない、と僅かに隙を見せたのが致命的だった。
 真正面からそれが襲いかかった。
――何なんだ一体!
 体に当たる風圧。
 なのに――何も、いない。何も見えない。そこに存在するはずの脅威が見えない。
 全身を走る衝撃に彼は当然の疑問を抱いた。
 今度は無様に転がりはしなかったが、崩れた態勢から立ち直るまでの僅かな時間が必要だった。
――どこだ
 殺気の出所を探る。
 これがもし実体のある魔物ならば、必ずどこかにそれはあるはず。
 さもなければこんな幻みたいな攻撃、ありえるはずがない。
 再び、咆哮。
 同時。

  轟!

 彼は姿勢を思い切りよく倒し、地面を這うような勢いで地面を蹴った。
「!」
 すると思いの外軽い感触が彼の肩に触れ、同時に悲鳴のようなものが聞こえた。
 勿論身体を支えられるはずもなく、そのまま地面に転がるナオ。
 地面は石畳のはずなのに、妙に柔らかい感触に彼は倒れ込んだ。
 右手に――斬魔刀の感触。
「――、は、離れて下さい」
 頭の上から声。
 僅かに顔を上げると、目の前に衣服。いや。何か中にある。
「うわっ」
 がばりと全身を起こして気づく。
 今、彼は少女を押し倒している恰好になっていることに。
「……ヴィッツ」
 一瞬の罪悪感と同時に浮かぶ疑問符。そして、訝しげな顔をして、彼は斬魔刀に左手を添える。
「さすがにそこまで頭が弱いわけではないのですね」
「さらりと酷いことを言うな」
 だが今の科白で、ナオは確信した。
 まお、ウィッシュ、ヴィッツはいつも一緒にいた。
――だから。
「『魔物』だったんだな」
 びく、と貌を引きつらせた。
 そして、汚いものを見るように、酷く嫌そうに貌を歪める。
「そうです。それがなにか?」
「まおもだけど……話して、判る相手だと俺は思っていた。……」
 右腕が震える。
 掌に汗が滲む。
 斬魔刀の重さが気になって、指が震える。
「話して?理解し合える?」
 ヴィッツは言葉尻を上げて、それこそ――挑発するように甲高く叫ぶ。
「私達とあなた達が?まさか。異質すぎるのに理解はできません。せいぜい、行動の予測ができる程度」
 人とは違うのだから。
「何故貴方に近づいたのか。――理由は簡単、まお様に近づかせないため」

  ごぉおおおおん

 一瞬ヴィッツの姿が歪み、陽炎のような渦が彼女の周囲に走り、先刻から聞こえていた獣の咆哮のような音が響く。
「結局まお様は貴方を勇者として選んだようですから、結論は同じでした」
「まてよ!俺、お前に剣を向けたくな」
 ぱしゅ、と空気が引き裂かれた音。
 殆ど本能的に避けたが、目の下から耳にかけて朱の筋が開き、ゆるりと膨らんだ赤い粒はたらりとおとがいに向けてこぼれる。
「……ヴィッツ」
「どうしたのですか。私は先刻からずっと貴方を攻撃しています。かかってきたらどうですか」
 右手をついと肩の高さに前に差し上げ、たらんと右手の甲を見せるように人差し指を下に向ける。
「――折角だからジュースの代わりに、ナオ、命もらえないかな」
 口元を歪めて笑みを――嫌らしい笑みを浮かべる。
「っ!」
 同時、彼女の右手が翻った。

「魔王陛下。どちらを罠にするおつもりですか」
「勿論両方だよ?あったりまえぢゃん。どうせ『あの人達』の隠しプログラムの一部は解析されてるんだよ。今更幾つ渡したところで同じ」
 既にウィッシュを通じてヴィッツには連絡が入っているはず。
 もしかすれば、もう戦闘状態に入ったかも知れない。
 そんな時だ。
 まおとマジェストは既に執務室を出て謁見の間にうつっている。
 ここにある異様に背の高い玉座に座ると、まおの小柄さがより引き立ってしまう。そんな場所。
「しかしながら陛下、次もう一度黄昏の猛毒を食らっては、このシステムその物が崩壊します」
「そうね?それもいーんぢゃない?まじー。私はね、そんな小さな話をしてるんじゃないの」
 まおはマジェストににっこりと笑みを浮かべてみせる。
「私はね。まだ本気で人間を救うための世界を組み立てなきゃいけないんだっておもってるんだ。ただそれだけなんだけどね」
 まおはふん、とすこし得意げに鼻を鳴らして腕を組む。
「どうせ、私が作ったこの世界も、『あの人達』に作らされた偽物の天国」
 初めはそのつもりではなかったのに。
「0からつくりなおすために、眠りにつくのもひつようなんじゃないかな。どうせまだ――」
 まおは、一瞬笑みをかげらせる。
「まだそとにはでられないんだからさ」

 多分、本当なら今の一瞬でけりはついたのだろう。
 かいん、と甲高い音がして手のひらより大きな金属片が石畳をはねた。
 斜めに切り裂かれたような、斬魔刀の切っ先。
 ばくんと大きくえぐりとられた斬魔刀は、ナオが握るには少し軽いぐらいになってしまっていた。
 キリエの特注品であるこれは、今のように切っ先がない状態でちょうどバランスがとれている。
 ナオがとり回すにはちょうどいい重さと重心の位置に。
「……今のは」
 だが、決して狙っていたわけではない。
 青眼に構えた格好のまま、彼は立ちつくしている。
 ヴィッツを目の前に。
 彼女は右手を突き出しているような格好で、地面にへたり込んでいる。
 右手には黒い、ちょうど柄だけの剣のようなモノを握っている。
「E.X.って名前は聞いたこと、ありますか」
 ヴィッツは泣きそうな顔で、身体を震わせている。
 いつか、フユに追いつめられた時のように。
「――存在を削り取るこの世で最後の武器です」
 なのに。
 なぜか彼女の方が追いつめられているように見える。
「総てを消し去ることのできる最終兵器」
 Extirpater of eXistence――それはその形態から名付けられた後の名前。
 そして。
「前の勇者が魔王を倒すときに使った武器です」


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