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魔王の世界征服日記
第122話 まお


 まおは執務室で退屈そうに足をぶらぶらさせている。
 後ろに控えるマジェスト。
 二人は完全に沈黙して、ただまおがあしをぶらぶらとさせているだけ。
 こう言っては何だが、はっきり言うと魔王の待つ部屋とは思えない。
「まお様」
「んー?なーに、マジェスト」
 ふい、と彼女は笑いながら振り向く。
「できれば、今まで通り魔王陛下と呼ばせていただきたい。それがダメなら、せめて」
「なにまじー。今まで嫌がってたくせに」
 まおはけらけらと応え、再び前を向く。
「それともなに。やっぱり変かな?変だよね。いきなりこれじゃね」
 マジェストは彼女が今までのまおと違う事には気付いていたが、今までの魔王とも違うことに気付いていた。
 まおが全くの別人である可能性はあったが、それは違う。
 まおの記憶がある別物である――そうでなはい。
 まおそのもの、今までのまおが『違う物』だったのではないか。
 もしかすると魔王という存在は――
 だがマジェストの思考はそこでストップする。
 そしてリセットされて元に戻る。
「変ではございません、陛下。陛下は私をからかって喜ぶ性格でしたから」
「なによー、それじゃホントにただの嫌な奴じゃん♪」
「ただの嫌な奴ではございません。本当に嫌なお方です」
 むと眉を寄せて振り返るまおの前に、マジェストはいつものように直立不動で。
 どこか優しい顔をしていた。
「私は今までずっと振り回されておりました。魔王陛下はまお様であり、魔王ではないとするなら、――どなたなのでしょうか」
「だれだって?そりゃ、私はまおだよ?ずっと色々放置してたからね。そろそろ何とかしなきゃなって思ってるの」
 本当に色々。それこそ言葉で言い尽くせない程沢山の様々な事。
 今更と考えること。
 人間のこと。
 そして何よりこの世界のこと。
 今まで繰り返してきた戦いのこと。英雄の伝説のこと。
 そして、この未完成な世界のこと。


 今よりも狭い執務室。
 体に合う椅子と机。
 そして、その前で佇む、りりしい顔をした男――人間。多分、彼は勇者。英雄。魔王を倒す為に顕れたもの。
 その古い風景の中は不気味なほど静まりかえっていて、血臭が漂い、そして魔王は草臥れた笑みを湛えている。
 頬杖をついて。
 魔王と勇者。
 まさに今、その雌雄を決する時。いや――魔王はこの人間の手によって滅ぶべしと考えている。
 何故。
 他人の記憶のようなそれを、まおは思い出そうとしていた。

「神は居ない」
 魔王は足を組み、執務室にマジェストを呼びだして話していた。
 幾分かマジェストより体格が良く、威厳が感じられる程年をとっているように見えないが、間違いなく先代の魔王だ。
「は。魔王陛下」
 恭しく一礼する。今のマジェストを考えると、あまりに違和感を感じる仕草である。
 姿形が変わらないだけに特に酷い。
「人間は辿り着いたか」
「いえ、有り得ない――とは言い難いのは確かで御座います。最初にかけてしまった物を取り戻す手段もございませんからな」
 マジェストはその姿勢のまま言うと、面を上げた。
 魔王はふむ、とため息をついて、組んだ足の上で両手を、指を絡めて合わせる。
「マジェスト。そろそろ勇者が幕引きにくる頃だろう」
「その通りで御座いますな」
 その割に落ち着いた口調で、焦りも何も感じていないようなどこか気怠げな雰囲気が漂う。
「今回はここで待ち受ける。そのつもりで頼む」
「承りまして御座います魔王陛下」
「それと」
 魔王は言葉を継ぐ。
 今伝えなければいけない内容だ。もう、死ぬ事がはっきりしているのだから。
「そろそろ人間共もそれなりに力を付けてきている。……いつの間にか、危険な手段と引き替えに様々な力を得ている」
 そもそも魔法は魔物にしか扱えない物だったはずなのに、数人とは言え、人間の中に魔法を使う物が居る。
 言霊とは比較にならない、強大な魔力だ。
「『マセマティシャン』の事で御座いますか」
 マジェストが聞くと、魔王は鷹揚に頷き、そのままううんと唸る。
「奴らは我々と敵対している。尤も忌むべき存在だ」
 奴らは天使に気づいた。
 天使をばらしてこの世界により深く潜り込もうとしている。
 危険な存在だが、彼らは『神々』ではない。だからこそ、魔王は弱っていた。
「『黄昏の猛毒』は我々にとっても猛毒だ」
「おっしゃるとおりでございます」
「シコクの閉鎖が不充分かも知れないか?……ああ、困った」
 魔王は頭を抱え込んだ。こういう姿を見ることができるのはマジェストだけだった。
 酷く苦悩した彼の顔。
 何故魔王が苦悩するのか。それも、たかが人間如きに。
――いや、それは矛盾していない。人間だからこそ、彼は胸を痛め、頭を抱えるのだ。
 軍団を前にしてはとても見せられない光景だが、これが神の定めた摂理なのだ。
「陛下」
「マジェスト。貴様はリミッターが有るはずだ。……しかし、お前に匹敵するだけの魔物もいない。であれば」
 彼は腕を組んで胸を張る。
 長身のマジェストですら、魔王の身長には敵わない。
「こちらも『切り札』を持つべきではないか?」
 切り札。
 強力な隠し武器、圧倒的で逆転のチャンスを得られる懐刀。
 しかし性質上、それを大量に持つことは出来ないし、使い捨て――まさに切り札だ。
「御意。早速準備に取りかかります」
「頼むぞ。人類に変化があったから、この俺にも変化が訪れたのだろう。……恐らく、この記憶は留めるのが難しいだろうしな」
 マジェストは訝しげに眉を寄せると首を傾げる。
「それはありえません、陛下。記憶は連綿と繋がるもの。それを遮る事など」
「有り得ないか?今までの俺と違う俺になってしまえばそれは否定できない。自分の考えだからこそ、記憶は後から再生する事は簡単だったんだ」
 全く別人の記憶を得たところで、それはただの邪魔なデータの塊に過ぎない。
 データの羅列は理解できたとしても、記憶のような正しい状態で認識できるとは思えない。
「人間に対応するため、俺は余計な事を知りすぎた。――多分、魔王としてもおかしい状態ではないか?マジェスト」
 マジェストは返答に困った。
 本当なら嘘でも即答すべきだったのかも知れない。
 そう思い返しても遅い。その彼の僅かな沈黙が肯定を指し示すことだってあるのだから。
「俺には魔王は合わんよ。無理だ。似合わないスーツを着こんでるようなものだ」
「馬子にも衣装という言葉がございますよ」
 魔王は吹き出した。
「それは間違いだろう、マジェスト」
 気付いてマジェストも笑う。が、彼は本気だった。
「陛下。似合わないと思って着こなしていていいんですよ。間違いではございません」
 そうするより他、存在意義などないのだから。
 そう。
 それが魔王。――定めと言うので有ればあまりに哀しい定め。
 魔王は苦笑を浮かべたまま、どっかと背中を背もたれに沈める。
「……だからだ。……マジェスト、お前には世話をかけることになる」
 彼がそう言って僅かに目を閉じると、マジェストは優雅に一礼する。
「構いませぬ陛下。このマジェスト、何時いかなる時でもいかなる状態であろうとも、魔王陛下を導く存在」
 彼の言葉を聞いて、魔王はふん、と鼻を鳴らした。
 マジェストは本気だ。彼の言葉に偽りも間違いもない。
 だから、だ。
 魔王は大きなため息をついて、顔を上げた。
「ではこの馬子は、似合わぬ衣で勇者を待つとするさ。今回の勇者は、どうなんだろうな」
「既にアクセラを突破した模様で御座います」
 そうか、と呟き、眉根を揉んだ。
「では急ぎ対勇者用魔物の製作に急げ」
 は、と答えてマジェストは引き下がった。
 表向き、人類の中から勇者を摘出し始末するための隠密性の高いユニット。
 いわば勇者暗殺を果たす為の魔物。
 しかし実際には違う。
 切り札――魔王が考えている最悪のシナリオを回避するための『システム』。
 正確に言えば、今回はまだ何とか話が収束したものの、次回は全くの未知数。
 これ以上人間が「ひみつ」を知ってしまえば、困ったことになるだろう。
 既に黄昏の猛毒は解析が終了してしまっている。人の手には負えないはずのそれを、使おうと躍起になっている。
――それは神の意図に反する。神の愛に対する反逆だ
 そのためのシコクだったというのに。
 全く、母はとんでもないおまけを残してくれた物だ。
 魔王は呆れたように大きくため息をついて、全身から力を抜いた。
――余計なことを知らなければ、俺ももう少し楽に魔王をやれたんだろうが
 人の変化というものを知れば、自ずと変化の必要性に迫られる。
 それだけのことだ。
「さあ、勇者よ、どうでる?」
 しかし魔王は、その日のうちに滅ぼされた。『黄昏の猛毒』によって。

 魔王は、その日を最後にして完全に滅んだ。
 魔王を埋め合わせる必要性がそこに生じた。
 だが魔王存在は既に、『黄昏の猛毒』により半壊してしまっている。たとえ魔王そのものが『魔王』とは違うと言っても。
 少なくとも元に戻す方法と、元の彼を生じる方法はなかった。
――だから
 まおは。その時、魔王を選んだ。人々を救う、その手段になると信じて。


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