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魔王の世界征服日記
第121話 語り部――狂言師


 勇者と呼ばれる人間の英雄は何なのか。
 その解答を望むことは赦されない事なのか。
 ユーカはある種踏み込みたくない領域での話でもあった。
 キール=ツカサの研究材料であるという意味もあるが、それ以上に何か感じるモノがあったからだ。
 彼が魔術師を辞めて選んだモノ。
 俗に『マセマティシャン』と呼ばれていたそれは、魔術師とは考え方も違う、ある種異質な存在。
「おまたせしました」
 だから、彼女はこの命題から離れる事にした。
 それでも『他の糸口がないのだから』選択肢がなかった。
 何より、結果的にこの『世界』が英雄を欲し、そのために『魔王』と『勇者』を配置しようとするのは確かに判った。
 魔王の存在に呼応するように、その符帳が世界を歪める。
 いや、世界にその存在を明らかにするというべきだろうか。
 勇者が。魔王を求めて。英雄として。
「結局全て、お前の掌の上なのか?」
「まさか」
 くすくすというあんまりその場に似合わない子供っぽい笑い声が聞こえて。
 闇と思った場所から、小柄な姿が現れる。
「望姉も私も、所詮そのための手駒に過ぎないのですから」
「あら。終わり?あの怖い将軍様の真似、大分巧くなったんじゃないの?」
 魔城の一部の区画に刻まれた特等席。
 初めからそこはあつらえられていた。
 ユーカのために。
 彼女が望んだとおりに。
 キリエの殺害。
 フユの拘束。
 ここまでのシナリオを繋ぎ、精確に記述するには二人だけでは足りなかった。
 尤も強力な助っ人――それが彼女だった。
 カサモト=ユーカ。

「望姉」
 ヴィッツは不安げにウィッシュに声をかけた。
「あの……」
 時を遡る事、数週間前。
 サッポロから幾分か離れた場所にある砦、トマコマイ。
 二人は今、そこで隠れるように座り込んでいた。
「大丈夫。間に合ってるから。だからそんな顔しないで。ボクだって好きでしたんじゃない」
 気配を断って残骸の影に潜む二人。
 砦の体裁はととのえているものの、もうここは砦として機能していない。
 廃屋ですらない。ここは、『砦の姿をしたゴーレム』の、残骸が転がっているだけの墓場だ。
 折り重なるような壁と屋根の残骸の中に、二人は潜んでいる。
 ヴィッツは落ち着かずにそわそわと彼女の側で体を動かしている。
 よく見れば震えているのが判っただろう。
「望姉」
「ああん、もう」
 ぎゅ。
「大丈夫だって言ってるじゃないか。落ち着いて、落ち着いてね」
 ぼろぼろ。
 抱きしめた途端に声をなくして泣き始めて、しかたなくウィッシュはしばらくそのまま彼女を抱きしめているより他なかった。
「でも、でも」
 思った以上に彼女はショックだったようで、ウィッシュは
「判ってるって。やさしいもんね、ヴィッツ。終わったら一番に会わせてあげるから。謝らせてあげるから」
 あたまを撫でて慰めてやりながら、ウィッシュもかなり困惑していた。
 まさか、自分も動揺してしまうとは思わなかった――張本人なのだから。
 最後のはやりすぎたかも知れない。そう感じながらも、僅かな時間とはいえ、人と過ごした事に影響をされてしまった事を実感していた。
「ヴィッツは先に帰る?別に出てこなくて良いよ、ほら……そんなじゃ顔だせないし、絶対失敗するから」
 そう言う彼女は、腕の中のぬくもりばかり気になってしまう。
 自分で自分を見つめても、自信は戻らないばかりか逆に。
「何が失敗するというんだ、二人とも」
 そこに。
 まさかの油断から、無防備に姿をさらしてしまっていた。
「え」
 普通なら不意打ちを受けたかも知れない。
 気配を読んで先に逃げることだってできたはずなのに。
「……お久しぶりですね」
 ヴィッツは慌てて涙を拭いて、残骸の影から彼女を見上げる。
 世界に数名しかいないと言われている、『魔術師』、カサモト=ユーカが残骸に手を置いて、ウィッシュら二人を覗き込んでいた。
 相変わらず眠そうな顔をしている。
「そんな髪だったんだな。まあすぐに判ったが……目の色と髪の毛の色、やっぱり人離れしてるな」
 ユーカは体を起こして陽の中に身を晒す。じゃらりと言う全身が立てる細波のような音に、ウィッシュの直感は応える。
「……もしかして狙いは私達ですか」
「多分そう言うことになるかな。心当たりあるだろう」
 両腕を大きく広げる。
「『魔物が現れたらボタンを押せ』って、アキ司令に道具を貸して置いたんだ。尤も……ここでお前達と会ったのはただの偶然だ」
 声を殺した女の子の泣き声、そんなものが砦の影から聞こえてきたのだ。
 まさか魔物の二人組だなんて思うわけがない。
「ゆぅちゃぁあん」
 死角から声が聞こえた。ユーカは声の方に振り向いて、面倒くさそうに言う。
「判ってる、ミチノリ、お手柄だったんだから困らせるな」
 しっし、と言う感じに右手を払うと、小さな悲鳴みたいな声が聞こえた。
 顔が近すぎる。思いっきり鼻にヒットしていた――もちろん、わざとだ。
「はながぁ」
「五月蝿い」
 そのやりとりに、抱きしめられたヴィッツがくすりと笑う。
 少しは回復したのだろうか。
 どちらにせよ。
「出るよ、ヴィッツ」
 隠れていたって仕方がない。ウィッシュは頷く彼女を解放して、一緒に瓦礫をくぐった。
 そこにはユーカと、彼女にしがみつくような恰好のミチノリがいた。
「だめだよぉ」
「判ってるから、動きにくいから離せ」
「駄目、だめぇ。しーちゃんもつーちゃんもわるいこじゃぁないもん」
 思わず顔を見合わせるウィッシュとヴィッツ、そして苦笑するユーカ。
「悪いな、うちのは馴れ馴れしいんだ」
 ユーカが腕を動かそうとするとそれをひっつかまえてまだ彼女を拘束しようとするミチノリ。
「判ってるから離せ馬鹿!いや、もう離しても今日はお仕置きだ!今日は泣くまで赦さないからな」
 がーん。
 顔に縦線が走るミチノリだが、それでもユーカの腕に手が握りしめられていた。
「でも、でもだめ、だよぉ」
 いつもなら引き下がるのに。ユーカはそう思いながら、彼女の腕を握りしめるミチノリのふるえを感じていた。
 両目に涙がたまっている。
――この……馬鹿……
 いい加減疲れたようにため息をついて、彼の方を向いて頭を撫でてやる。
 ほとんど無意識に、ミチノリも手を離してしまっていた。
「大丈夫だから。お前のせいで話せないから、手を離せ」
「……ん」
 彼からようやく解放されて、ユーカはまず彼を逆に抱きしめる。
「さて」
 ウィッシュの方に向き直ると、彼女は苦笑して小首を傾げた。
「……当てられちゃいますね」
 ふふん、とユーカは笑う。
「まさか?ミチノリはお前達を案じているんだぞ。嫉妬するのは私の方だ」
 そう言って、びっくりしたように目を丸くする二人に微笑みを見せる。
「何をしたのか判らないが、どうせサッポロに出現したのはお前たちなんだろう」
 肩をすくめるようにして、ユーカは続けた。
「話してくれれば悪いようにはしない。もしかするとお前達より巧くやれるだろう」
 ウィッシュは何を言っているのか理解できず、二回瞬くと眉を寄せる。
「どういう……意味ですか?ユーカさん」
「魔王と勇者と、できれば、世界について知りたいと思っている。見届けたいと思っている。もし――その手伝いができるなら本望だ」
 キールの言葉。そして、あの時考えていた事はまさに今のこの状況に通じる。
 逃す訳にはいかない。
 答えに戸惑うウィッシュにユーカは続けて言った。
「……なあウィッシュ、私は、人間失格か?」
 ユーカの質問は端的で、且つ、ウィッシュにとってもしかしたら望む物だったのかも知れない。
「充分失格ですよ。ユーカさん」

「助かるよ」
 ウィッシュは酷く晴れ晴れとした笑みを浮かべて、ユーカに言う。
「お前の言っている事が本当で、充分取引に値する内容であればだ」
 ウィッシュの服の切れ端を受け取りながら、ユーカはにやっと笑みを浮かべる。
「でもユーカさん?ボクの言う事が嘘だとして、だったら誰が得をすると思いますか?」
 ユーカの顔を見て、ウィッシュは負けじとにやにや笑う。
「そうだな、嘘だと私達には不都合だろう」
「それは私も同じです」
 むっと口を尖らせたヴィッツがウィッシュの横から顔を出す。
 ウィッシュは彼女の肩を抱いて、ぽんぽんとあやすように叩く。
「そう言うことだよ。ユーカさん、嘘で得する人は、少なくともいないんだ。でも、誰かが巧くやってくれなかったら」
「……困ったものだな」
 呆れた口調でユーカは言うと、ため息をついて笑う。
 前代未聞だ。
 いや――今まで有り得なかった事ではない。ただ、余計なことに余計なところまで首を突っ込んだのがユーカなのかも知れない。
「ボクらはそのために作られたけど」
 ちらりとウィッシュは、ヴィッツを見る。
「ゴメンね。ヴィッツももう絶対駄目だもん」
「『も』ね」
 ユーカが確認するように言うと、ウィッシュは恥ずかしそうに笑った。
「あっはっはっは。……多分、今フユ将軍に会ったとしたら負けちゃって、『魔城の場所を教えられない』」
 だから助かったんだよ。
 ウィッシュはおかしそうに声を上げて笑う。
「ホント、前代未聞だよね。魔物の手助けをする人間だなんて」
「そう言うがウィッシュ。私から見れば――お前は魔物を滅ぼす手助けをしているんだぞ」
 ぱちくり。
 ウィッシュは不思議そうに瞬くと、にこりといつもの笑みを浮かべた。
「そうかもね。そうなんだろうね。でも、『魔王』に『勇者』を引き合わせる『導き手』は、システムに存在しないから」
 それは最悪のバグ。どこにも存在しないからこそ欠陥。
「できる限り自然を選んだからなのか、初めから欠落していたのか。ご存じ?神に滅ぼされた神は、本当はこの世界を支配するつもりだったんだよ」
 それを赦さなかった神は、『黄昏の猛毒』で神を滅ぼした。
「だから、もしかしたら初めから『作りかけの物語』だったのかもしれないね。――じゃ、追ってきてね。あとおねがい」
 ウィッシュはヴィッツを連れて、そのままトマコマイから下っていった。

 それが始まり。
「これからが始まりで、そして終わりですよ。あなたが望んでいた」
 ユーカは口元を歪めた。
「望んでいたのは終わりではなく、終わろうとするこの世界そのものだよ」
「変わらないです」
 ヴィッツはいつものように素っ気なく言った。


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