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魔王の世界征服日記
第120話 決戦


 魔城の入口はあっさりと見つかった。
 ぐるりと回るとあまりに大きな円柱が二つ。
 恐らく十人あまりの大人が囲っても手が届かない位の太いその門柱は、やはり怖ろしく高くそびえ立っている。
 そして、何かを待つかのような暗闇がその向こう側へと広がっている。
「もしここで引き下がったら」
 隣に居るユーカに言う。
「ああ」
「ニホンを攻撃するのかなぁ」
 いつもの笑みでミチノリは継ぐ。
「そうだな。どちらにせよ、さがるという選択肢が既にない」
 そもそもそんなつもりはない。
 ナオは斬魔刀の柄にかけた右手に力を込める。
 ぎしり、と巻き付けた滑り止めの布が軋み、斬魔刀の重みが消え失せる。
「行くぞ」
 そして門柱の間の闇へと、足を踏み入れた。
「あ〜」

  ばたぁん。

 あからさまに大きな、まさに扉の閉まるような音がして。
 一瞬闇に包まれる。
 ぼ、ぼっと炎の灯る音と共に、周囲が明るくなる。
 ナオとユーカは真っ赤な絨毯がしかれた、大きな城の中にいた。
「……ミチノリ?」
 そう。
 二人だけそこにいた。
「またかよ、おい」
 振り返るがそこにあったはずの入口は、何故か遙か向こうまで伸びる赤い絨毯の廊下へ。
 周囲はいつの間にか、暗闇を削り取ったようなただひたすら暗い城内。
 闇を蝕むのは不自然な焔、それを点すランタン。
 どこからどこまでも不自然なのに、作りつけの芝居の背景のようなリアリティがそこにある。
「……放って置くしかないだろ」
 ユーカにもどうやったら出られるのか思いつかない。
 色々パターンは考えられるが、果たして出る必要があるのだろうか。
――時間的に……
 幾らでも時間があるように思える。
 でも本当に時間があるのか、その確たる保証が存在しない。
「そう……だな」
「なんだ、大丈夫だろ?」
 ユーカの歯切れの悪さに思わず首を傾げるナオ。
「いや。ああ、そうだな、こちらの方が危険だし、大丈夫だろう」
 ユーカは応えるが、引っかかるものを感じてどうしても安心できなかった。
 何かが、起こるような気がした。
「しかしここから先、どうやって進めばいいんだろうな」
「それ以前に、どうなってるんだよ一体」
 確かに魔物の大きさはかなりのものだったが、それでもこの不自然に長い廊下を説明できない。
「まあ、それは幾らでも説明できる。所詮魔物の体組織の構造やその不自然さを見れば判るだろう。自然じゃない」
 通常、同じ環境下にある生命体は、どれだけ違う存在になろうとも、どれだけ遺伝情報が違うとしても、大まかな構造は同じ。
 容貌を見れば簡単に判るだろう。しかし魔物はそうとは限らない。
 犬のような姿をしていても脳味噌の場所が違う。
 ヒトのような姿をしていても骨格が違う。
 その存在。
 その能力。
 その行動。
 全てが普通の生命体とは説明が付かない、『訳の分からない存在』こそ魔物の魔物たる所以なのだ。
「魔術師として論理的に説明できない例外。実は魔物存在そのものがその一つだ」
「んな……じゃ、魔術師って何をしてるんだよ」
 ナオの言葉に思わず肩をすくめ、微笑みを浮かべる。
「そうだな。そう言う不自然をどうやって説明しようか考えてるのさ」
 立ち止まって居ても仕方がない、と取りあえず前に進み始める。
「だから『勇者』と『魔王』の関係なんかも調べてるのか?」
「いや、それは違う。謎の一つであり、魔術師として基礎的な知識の一つとして、この世界の構造その物を揺るがす……」
 それはまず、暗闇から訪れた。
 唐突にユーカの声が聞こえなくなったと思うと、足下の絨毯も消え失せている。
 ナオはすぐに腰を落とし、斬魔刀を構える。
――来たか
 この魔城は魔物であり。
 既に魔物の腹の中にいるのだから、何が起こったって不思議ではないのだから。
「ナオ」
 びくっ。
「っ」
 思わず声を出しそうになって、斬魔刀を声の方向へ向ける。
 削りとられた闇の空間から、すいっと姿を現したのは、白い見慣れた麻の服に赤い刺繍と飾り紐をあしらった上着、赤い袴。
 そのまま神社に居ても不自然さのない『言霊師』の装束。
「どうしたの、ナオ。来てくれたんでしょう?」
「そんな、居るはずない」
 斬魔刀を両手で構え、その切っ先をぴたりと青眼に構える。
「正体を現せ、この野郎っ!」
 一気に踏み込み、手首を返すだけで一気に斬魔刀を旋回させると、肩で峰を受け止める。
 重心を中心にして切っ先を回す事で素早く刃を振りかぶって――
 止まる。
 いや、止められてしまう。
「ナオ」
 フユの右手がナオの貌に当てられて、ナオは体を動かせなくなる。
 柔らかい。フユとナオでは『何をやったとしても』彼女が一番正しい。
「ありがとう」
 そして、すいっと側に寄る彼女に何も出来ない。
 何よりこれだけ近づかれてしまえば斬魔刀は振り抜けない。
「さよなら」
「っ」
 右手をそのままに、左手が何の前触れもなくすっと彼に向かって突き出されて。
 やばい、と感じたナオが体を捻る。
 それでも右手が離れない。まるで吸盤のように動こうとしない。
 だから。
――痛
 じゃっと空気を切り裂く音がした。
 見た目ではかなり遅く感じたはずなのに、明らかに怖ろしく早い音が。
 彼女の左手が、ナオの脇腹を削っていた。
 服が、紙くずでも気軽に引き裂くようにびりびりに引き裂かれ、まるで何かを押し当てたような後を残す。
 そして、耐えきれなくなったように皮膚が裂け、内側からまくれるようにして肉が押し出される。
 塊のような赤い光沢と同時に。
 それはまるで自分の力で外に弾けようとしているようにも見えた。
「っ」
 痛いどころの騒ぎではない。
 まるで弾けるようにして体をくの字に曲げる――無意識のうちに。
 力無く崩れ落ちるナオ。
「死んで頂戴、私のために」
 すい、と彼女が足を踏み出す。
 体が反応する。
 痛みに意志が反応しない――でも、訓練された体は倒れたその状態から逃れようと藻掻く。
 ぱん、と両手が地面を突き放し、エビが後退するようにしてふらりと立ち上がると、右腕で腹を抱えてふらつきながらフユを正面に捕らえる。
「何故?ナオ、私が頼んでいるのに」
 彼女は顔色を変えない。
 ぽたり、ぽたり。
 床を叩く水滴の音。
 左手を彩るまだら模様。
 ゆるりと右手がさし上げられる。綺麗な、美しい細い指。
 決して汚れていない右手。
「死んで。判る?」
 ナオは眉を顰める。
「姉ちゃんの為なら?」
 そんなはずはない。
「……ふざけるなよ」
 姉の姿をした横暴な存在。
「姉ちゃん、ごめん。でも」
 我慢するだけなら構わない。肉全てがえぐれてる訳ではないから、出血は筋肉の締め込みだけでどうにかなる。
 そして、この両腕に構えるのはキリエの斬魔刀。
「――この魔物には我慢ならない」
 何故なら、姉は。
 フユは絶対に自分のために動こうとは考えない女性だったのだから。
 ただ姉の姿をしているから、それに斬魔刀を振り下ろすなんて事は避けたかった。
 そんな事は酷く嫌だった。喩えそれが魔物であったとしても。
 そう確信できたとしても。
 姉に向けて刃を振り下ろす事だけは避けたい。――女性に手を挙げるような真似はしたくない。
――だから謝る。
「ナオ?」
「それ以上、姉ちゃんを侮辱するんじゃねええ!」

――それでいいのよ、ナオ

 ナオは優しすぎる。フユは、魔物を恐れない彼に『恐がれ』と教えた。

 まるでスローモーションで振り下ろされる斬魔刀。

 それは物理的なモノであるのかも知れないし、『可愛らしい』魔物その物なのかも知れない。
 しかし、それ以上が今現実として目の前にある。
 だから。
 両腕にずしんと伝わる手応えのなさと岩を叩く感触に、ナオは驚くより安心していた。
 ぎん、と刃が欠ける音と、両手に伝わった痺れ。
 手応えなく消え去るフユの姿。
 それは脇腹を裂いた魔物の一撃よりも軽く、フユの言葉を脳裏に反芻させた。
 彼女に抱きしめられた感触を。

  お願いだから私の言うことを聞いて怖がりなさい

 ぎしりと彼は歯ぎしりをして、眉の間に鋭い谷間を刻む。
「絶対――赦さねぇぞ」
 意識が戻らないフユの姿を思い出して。
 しかしそれが、魔物がフユの姿を借りた事に対する怒りなのか。
 それとも、自分が感じている気持ちと感情に対する憤りなのか。
 それを理解できる程自分を知っている訳でもなければ、それを理解しようとする程冷静でもなかった。
 だから。
「まお!」
 彼は敵を見つけた。


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