戻る

魔王の世界征服日記
第119話 戦いの意味


 原因は判っている。
 でも、だからって信じられる訳がなかった。だから叫ぶ。
「フユ将軍!」
 ユーカはぴくりとも反応しない、自分の腕の中の少女を見つめる。
 判っている――いや、もう少し正確に言えば判っていた、と言うべきだろう。
 つ、と視線を上げて、顔をゆっくりと後ろに向ける。
「ユーカ」
 ナオに声をかけられて、そのまま彼女は顔を彼に向けた。戸惑う顔をした彼、そして彼を見通した向こう側に佇む。
 ミチノリ。
「姉ちゃんは?」
 眉と眉の間に小さく立て皺が刻まれる。
 普段からそんな感情とは無縁な彼女には珍しく、悔しげな顔でいらいらと首を振った。
「……済まない。魔力の中和が間に合わなかったのだろう」
 ユーカは説明するつもりでそう言ったが、ナオには届いていない。
「姉ちゃんはどうなったんだ?」
 ナオは焦ったように続けた。彼女は唇を噛んで、一度瞬きをしてから顔を上げた。
 彼は一歩近づく。
「生きてるよ」
 だが、ユーカより早くナオの後ろからミチノリが声をかけた。
「ああ生きている。だが、意識が持って行かれてしまっている」
 そう言うと、体をずらしてフユの顔をナオに向けた。
 額の中央、赤いこぶのようなモノが出来ている。
 まおに攻撃される前に受けた、ウィッシュの疵が大きくなってきたのだろう。
「って、大袈裟な、気絶しただけなんだろ?」
「違う」
 ナオの呆れた声に、ユーカは即答で切り返す。
「文字通り持って行かれてしまっている。理由も方法も全く判らん、ただ判るのは、明らかに体が生きているのに死んでいると言うことだけだ」
 ユーカ自身自分で何を言っているのかさっぱり判らなかった。
 フユの心臓は動いている。医学的に言えば脳死のようなものだろうか。
 普通生きているなら何らかの反射があるはずなのに、あらゆる反射がない。
 文字通り心臓だけが動いているという、奇妙な状況だ。
 有り得ない。先刻まで確かに生きていたのだから。
「フユ姉」
「多分、まお……魔王か、さもなければウィッシュだ。……今は、それぐらいしか判らん。……すまない」
 咄嗟にミチノリに声をかけて、魔法を拡張するつもりだった。
 彼の『能力』に働きかければ、喩え魔王であろうと魔力の中和が可能になったはずだった。
 ナオはぎりっと歯ぎしりさせて、もう一度夜穹を仰いだ。
 先程まで自分の頭の上にあった魔城の姿がまだそこにあった。
「だったら聞くしかない」
 直接。本人から。何故、どうして、どうやって。
――キリエだって
 人間の死体を見慣れている訳ではないと言っても、見慣れたキリエを見間違うだろうか。
 酷いものだった。間違いなく背中からばっさりと一撃。
 その後、切り刻むように何度か斬魔刀を叩きつけたような切り口が背中にあったのを憶えている。
「……絶対にキリエだって殺されてるんだ」

  キリエさんは『私』が預かっています。返して欲しいのであれば――

「嘘だ」
 今更迷うわけがない。ナオは確かに彼女の死体を見た。アレは良く化けた魔物でもなければ絶対にキリエだ。
 検分がどうか確認している余裕はない。
「まて、ナオ」
 悲壮が顔に表れているのに気が付いたユーカが声をかけるが、無言で睨み返して応える。
 そして、右手で斬魔刀の重さを確認するように一度握り直して、振り上げる。

  ぶぉん

 鈍い空気を裂く音が響き、斬魔刀は弧を描いた。
「あぁぁ」
「なんだ、五月蝿いぞミチノリ」
「うぇぇ」
 ユーカとミチノリは眉を寄せる。
 一度顔を見合わせて、ふいっともう一度上を見る。
「おーちー」
「うわああああああっっ!」

  視界一杯に、魔城の腹が見えた。

 弾けるように立ち上がると、ユーカはそのままフユを抱えて走り始める。
 続くように、僅かに遅れてナオも走り出す。途中でミチノリの腕をひっつかんで引きずるようにしながら。
「ななな、何だ何だ何だなんだーっ!」
 魔城チゼータは、彼らの真上からゆっくり降下を始めているところだったのだ。

 はっきり言って死ぬところだった。
 ナオは地面に完全に倒れ伏して、大の字で荒い呼吸をしている。
 ユーカは一応女性の面目だろうか。動けないのは同じだが、両脚を揃えて座り込んでいるだけだ。
 どちらにしたって足がもう動かない。
「……いや……穹を飛ぶ必要はなくなったわけだ」
 どどーん。
 呟くユーカの向こう側にそびえる壁。
 壁ではない。チゼータと呼ばれる魔物の体、即ち『魔城』だ。
 こうして外観を見る限りではただの岩山のように見える。肌というか、質感は鱗のようなものではなく、鮫肌というか。
 岩肌。もろ岩盤。
「魔王の城って、自由に移動して、穹まで飛んで……」
 ナオも呼吸が整ってきたのか、言葉を区切り区切り言う。
「……殺されるところだった」
 魔物ではあるが。
 魔城に殺された勇者。少し情けなく感じる。
 ごろん、と体を転がして、地面から引き剥がすように起きるとあぐらを組んでふいっと魔城を睨み付ける。
 一応なりとも、宿敵の居る場所。尤も、宿敵よりはなんというか。
 魔王。
 自覚などないが、ないに等しいが、それでも魔王と勇者は対の存在。
 それに今や他人ではない。
――まお
 彼はゴーレムとして彼女と戦った記憶はない。
 しかし勿論、それ以外で直接出会った記憶はある。
「ナオ。勇者って、この期に及んでなんだと思う」
 ユーカは側でへにゃりと座り込むミチノリの頭を撫でながら聞く。
 どうやら精神安定剤のような役割でもあるんだろう。
 こころなしか彼女の顔色がいい。
「……生贄か?」
「言い得て妙だな」
 と言うことは、ユーカもそう思っているということだ。
「色んな特典がある、罰ゲーム。私はそう思うな」
 ナオは彼女の答えにふん、と鼻で笑いながら、顔に不敵な笑みを湛える。
「四の五の言ってる場合じゃないよな」

  預かっているキリエ、返して欲しいか?

――それに
 フユに目を向ける。彼女だって。
 きっと――ユーカの言葉を信じるまでもない。他に有り得ない。
「返して貰わないといけないから」
 ユーカは口元を歪める。
 それはどこか寂しげにも見える。
「魔王を倒せば何か貰えるんだろう。――姉ちゃんを。キリエを返して貰う」

 魔城中心部、魔王の執務室。
 いつものように大きすぎる椅子に腰掛けて足をぶらぶらとさせて、寂しそうな顔をして。
 まおが座っている。
「魔王陛下、無事着陸致しましたぞ」
「わかーってる」
 そしてやはりいつものように、不意をついたように姿を現すマジェスト。
 でも、まおは顔を上げない。
「どうしたのですか?勇者はもう準備を終えてるのではないですか?」
 まおはふい、とマジェストに顔を向ける。
 ジト目。
「……なんでございましょう」
「あーのさー、まじーは邪魔だからむこーいっちゃってよ」
 がーん。
「な、何故にそのように」
「なにゆえぢゃなくて、ぢゃま。判る?」
 そしてゆらぁりと立ち上がると、そのままくるりと振り返る。
 ジト目全開。半開きなのに全開とはこれ如何に。
 ともかく思いっきり半開きの目で彼を上目遣いに睨み付ける。
「まじー。あんた勝手にリセットしようとした挙げ句、なに?その言い訳が『魔王がやる気になるまで』だって?聞いたよ。ドクから」
 まおは猫背気味に構えて、右手を胸の前から一気に振り抜いて、肩の高さのまま真横に伸ばす。
「『私』が居るならどうせ……マジェスト、あなたは必要ないもの。判ってるでしょ」
「そんな」
 マジェストはまおが何を言っているのか理解できなかった。
 同時に。
――棄てられた
 脳裏に閃く言葉。
「何故!なぜですか魔王陛下!」
「『魔王陛下』じゃないよ、マジェスト=スマート?」
 ぴくり、と彼の貌が歪む。
「……まお、様?」
 まおはにこっと笑みを浮かべて。
 胸を反らせて、右手を自分の胸に押し当てる。
「そうだよ♪まじー、もうこの物語は終わる。ううん、終わらせるの。こんなバグだらけの物語なんか」
 右手をくるっとひっくり返し、掌を見せて。
 親指を立てて拳を作り――下に降る。
「作り直せなんか言ってないんだからね」
「……しかし」
「人間の望みは深くて、たった一人で支えられるようなものなんかじゃないの。幾ら巧く作ったってね」
 そしてまおは、どこか自嘲気味に微笑みを歪めた。


Top Next Back index Library top