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魔王の世界征服日記
第118話 決別


 ばしぃっ!

 鋭い音と共に弾け、フユが姿勢を崩して真後ろに跳ぶ。
「姉ちゃんっ!」
 振り返るナオ。
「!」
 ユーカはナオとまおの間に入ると、がしゃりと全身の鎖帷子を軋ませて右手を差し出し、左手を甲に押し当てる。
 ミチノリはたき火を挟んでまおから離れているが、位置的にまおとウィッシュ、ミチノリ、ユーカとナオの三角形を崩せそうにない。
「つぅ……」
 意識を一瞬持って行かれそうになった。
 瞬時の強打。多分額が赤くなってるんじゃないか。
 フユはそんな事を思いながら体を起こそうとする、が。
「――!」
 腰が抜けたように起きあがれない。
 脳が揺れて、朦朧としているのだろう、だが――フユはこういう状態になったことがなく、『戦場の彼女』ですらどう行動して良いか判っていない。
「ナオっ」
 確かに一瞬だ。
 だがナオは、ユーカの声を無視して敵に背を向けてフユに駆ける。

  ご

――っ!
 背中に斬魔刀を重ねるように振り上げる。
 同時に衝撃。
 肺の中の空気が一気に吐き出され、視界が赤くなるが彼は地面を蹴った。
 このまま倒れ込めばフユの上に重なる。
 殆ど本能的に地面を蹴って飛び上がった彼は、その勢いでくるんと宙を舞う。
 ユーカには、まるでナオがフユを宙返りで飛び越えるように見えただろう。
 実際には飛び越えて腰から地面に叩きつけられた。
「――ぁあっ!」
 しかしこちらは白兵戦で慣れた体。
 まるでばね仕掛けでも入っているような動きで、素早く立ち上がって態勢を整えるとフユの前に体を押し出す。
「まお!それにウィッシュ!お前ら!」
「諦めろナオ」
 呟くように吐き捨てるユーカ。
「別れる時に居なかったから無理もないが、奴らは魔物で、これが真実だ」
 よく見れば、まおは僅かに体を浮かせて居る。
 魔力か。
 それとも別な何かか。
 だらん、と両脚は力を加える必要がない為に真っ直ぐ地面に伸びている。
 そして、僅かに胸を反らせて彼らを見下ろす貌で。
「そう、私は魔王」
「まお!お前」
「少しは静かになさいな。見苦しい」
 再び割り込むように腕を振るうウィッシュ。
 今度は腰を落とし、刃を力に向けて振るい左腕を峰に押し当てるようにして――受け止める。
 ずん、と衝撃が刃を揺らし、一瞬両足をひきずるような跡を作る。
 まおは変わらない恰好で、僅かにスカートを揺らして、両足をバランスを取るように開いて着地する。
 みょんとバネのように髪が揺れる。
 同時。

  どん

 まおが右腕を下から上に振り上げると。
「わ」
 彼女の姿が一気に下に――いや、彼が丁度ちゃぶ台替えしのようにくるんと足下から飛ばされたのだ。
「ナオ!」
 叫んで顔を上に上げたその僅かな瞬間。
「!」
 フユはそれに反応しきれない。
 いつのまにか一気に接近したまおは、彼女の胸元側で体を沈み込ませている。
 半身で左足をフユに向け、上半身を左に向かって螺旋を描いて。
「――」
 小さなつむじ風がフユの顎の下をかすめる。
 ほんの僅かに背を反らせるのが早かった。
 まおは右掌が外れても気にせずそのまま体を捻りながら左へと体を沈め。
「えい」
 緊張感のない気合いを入れて、彼女の右足は地面を離れる。
 態勢が崩れているフユは、まおの右足が伸びてくるのが見えたが、左腕に右手を添えるのが精一杯。

  がしん

 まおの右回し蹴りが左腕に命中する。
 勿論体重差を考えればそんなもの大したものではないだろう。
 実際殆ど衝撃はなかった。が、直後にフユは全身を捕まれたような勢いで真横に弾き飛ばされる。
 姉弟そろって宙を舞い。
「――待って」
 まおはウィッシュにきっと視線を向けて睨み付ける。
「まおさま」
「ウィッシュ」
 今度は強い語調で言い切って、再び前を向く。
 地面に叩きつけられたナオとフユ、そして少し離れた場所にいるユーカとミチノリ。
――まお
 ユーカは自分の向けられた視線にとまどいの色が混じっている事に気付いた。
――無理しているな
「――!」
 と同時に、何が起こるのか判った。
「ミチノリ」
 声をかけながら、慌てて懐にしまっている道具を探す。
――間に合わない
「頼む」
 だが、いつもののんびりした返事は返ってこなかった。

「あの程度で私に勝てると思わないことだ」
 腰から落ちたナオに浴びせられる言葉。
 受け身を取り損ねたせいで、半身を起こすのが精一杯なナオの視界に。
 まおが見えた。
 こちらを傲岸不遜な顔で見下ろすその貌が、僅かに歪み。
「思い知らせてやろう」
 両腕を大きく振り上げる。
「頭を下げろ!」
 ユーカの声が響く。
 まだフユは起きれない。
 ナオは慌てて元の姿勢へ戻る。同時に――それが起こった。
 大きな金属同士を叩きつけたような甲高い音に全身を襲われたような、脊髄の裏側まで響く巨大な音。
 黒から赤へ、そして白く染まっていく視界と、耳に伝わり続ける音。
 だがそれだけだった。
 まるでスイッチを切ったように視界が暗く戻り――通り過ぎて闇に返る。
 ナオが体を起こして周囲を見回して、閃光にやられて視界がほぼ遮られている中、僅かに動く影が見えた。
 それはユーカが体を起こすところだった。
「ふん――まあ良いだろう」
 そして、変わらぬ位置から聞こえる声。
 まおの声だ。
 それも先刻の轟音の為にかすれて聞こえる。
「預かっているキリエ、返して欲しいか?」
 裏声で、しかも大きく尻上がりな疑問形。
 一瞬、その声色のために何を聞かれたのか理解できなかった。
「きり――え?キリエ?まて、まお!待て!」
「聞こえなかったとでも、言いたいのでしょうか?ならもう一度私から言いましょう」
 既にまおは体を浮かし、最初に姿を現したように胸を反らし、両手両脚をだらりと提げている。
 顔だけ下を向き、そこにいる人間を見下ろしている。
「キリエさんは『私』が預かっています。返して欲しいのであれば――」
「来なさい」
 つい、と顔を上げるまお。
 彼女の声に続いて、急に闇が訪れた。
 闇、ではない。
 それは影。大きな影。一瞬月が雲にかげったのかと思ったが。
「な――」
 否。
 それは雲ではない。
 彼らの真上に、つい先程まで瞬いていた星が全て消え去り、月の明かりすら彼らを避けている。
「私の城に。本当かどうか疑うなら疑っても良い」
 巨大な影。穹を覆い尽くす程巨大で、それは翼を広げた巨大な生物のようにしか見えない。
 鳥ではない、鳥ならばあれほどまで横に丸く広く、そして何より長い蛇のようなしっぽがあるはずはない。
「その代わり、私は城で全てを滅ぼす。何故なら、何故なら」
 そこで再び彼女は下、いや、ナオを見つめる。
 じっと。
 以前見つめた陽気でころころと良く動く貌ではない、冷たく研ぎ澄まされた冷たい金属のような仮面。
 ナオはその貌を睨む事も出来ず、見つめ返す。
「――それが魔王」

  ごうっ

 ナオは突然の突風に左腕を上げて顔を庇う。
 巻き上がった草や砂埃を右腕で払いながら立ち上がり、穹を見上げた彼の目には、既にまおの姿はない。
 ただ、影を残す『城』と呼ばれた巨大な生命体の姿が悠々と穹を飛んでいるだけ。
「……まお……」
 ナオの表情は複雑に歪んでいた。
「将軍?!」
 ユーカの声に慌てて振り向くナオ。
 フユを抱きかかえるようにして彼女を支えるユーカ。
 側のミチノリ。
――え?
「目を覚ませ、おいっ」
 必死な貌をするユーカのに、揺らしても反応のないフユ。
 ぐったりと力が抜けた彼女の体は、ただゆらゆらと揺れるだけで。
「……ねえちゃ……」
「しっかりしてくれ!将軍!」
 ユーカの慟哭のような声が響いただけだった。


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