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魔王の世界征服日記
第117話 追求


「魔物は完全に沈黙してますね」
 回復しかかっていたのだろうか、炭化した体の一部に大きな亀裂が走って見える奥の体は、妙にみずみずしい。
――今度こそ死んでしまったようですが
 ユーカの魔力によりほぼ完全に芯まで灼けて居たはず。
――何故?
 これを見る限り、また生き返って襲いかかってきてもおかしくはない。
 のに。
「良ければ行こう。少なくともここはこれで安全だろう」
「待ちなさい」
 フユはユーカの言葉に立ち上がり、きっと彼女とミチノリを睨み付ける。
「フユ姉?」
 その異常な雰囲気に気が付いたナオは呟くように声をかけるが、まだ体力も回復しきっていないせいで――いや、フユに届かないのはそれだけではない。
 彼女自身いい加減に苛ついていた。
 ユーカへの疑惑、一番信じられないものを。
 フユは完全に敵を見つめる目でユーカを睨み付けている。
 袖の中にある鞘に隠した言霊扇は何時でも振り出せる。
「まだこの魔物は生きています。違いますか」
 ミチノリはにこにことしたまま小首をかしげ、ユーカはふむ、と腕を組む。
「ミチノリ、どうなんだ」
「んーーぅんー」
 彼は妙に長い間で唸る。
 そして何かを願うようにちらりとユーカを上目遣いに見つめる。
 ちなみに、決して背が高い方ではないユーカだが、ミチノリは小さい。
 普通にしがみついて少し頭を下げているだけで、腰にくっつく子供のようにも見える。
 ちょっと見ではユーカの後ろに隠れているようでもある。
「だ〜ぁいじょぉ〜」
「敵は再生しています。確かにナオを助ける事は出来ましたが、それがこの魔物の死と決めつけて良い物とは思えません」
 しかしミチノリの貌は変わらない。
 ただひたすらににこにこしている。
「で〜ぇもぉ〜ぅ」
「大体、何故クガはこの魔物が死んだ事を理解しているのですか。何か、クガがやったとでも?カサモト」
 ちらり、とミチノリに視線を向けてからフユに顔を向けるユーカ。
 小さく肩をすくめて見せて、そしていつもの貌で言う。
 どこか面倒臭そうな、眠気の残る気怠い貌で。
「ミチノリの『祈祷』は、生来からの能力みたいなものだからな。私にも説明はつかん。が、生きているモノと死んでいる物の区別はつくらしい」
 こくこくと頷くミチノリ。
「こいつに話させると長いし五月蝿いから私が簡潔に説明する。ナオに向かって歩いていた時ですら既に死にかかっていたのだよ」
 そしてミチノリを引き剥がしながら、彼女は大きく両腕を広げてみせる。
「どんな生き物であっても幾ら何でも何時までも生きられる訳じゃないだろう。私の魔力で既に殆ど死にかかっていたんだからな」
 尤も、完全に死ぬ前に何らかのエネルギーを与えればおしまいだった、と付け加える。
「……つまり、別にクガが何かをやったわけではない、と」
「そぉ」
「ああ、何もしていない。ただ予見して割り込んだだけだろう?」
 何故か最後は語尾を上げて疑問調で言うと、視線をナオに向ける。
「どんな感じだった」
 ナオは目を丸くして自分を人差し指で指さす。
「俺?えっと、丁度そのー、雁字搦めに絡め取られたみたいになって、途中で姉ちゃんの声が聞こえて」
「最後は?」
 フユが振り向いて、優しい声で言う。
「ああ、ふっと暗くなって感覚がなくなった。その直後、いつもみたいに元に戻ってたかな」
 フユの声は、彼を元に戻そうとして巧くいかなかった時の叫びだろう。
「丁度その前後でミチノリが割り込んだ形かな。納得いかないか」
 理屈は成り立っている。
 でもフユは、彼女はどうしても気になっていた。
 それ以上何も判らないから、ただ唇を噛むのが精一杯だったのだが。
「……いいえ、少なくとも納得出来ましたから」
 ちら、とナオに視線を向けると、それだけで歩き始める。
「それじゃ行こう」
 ユーカは彼女に合わせて踵を返し、再び魔物の居る方向へと歩み始めた。
 その日は結局それ以上南に向かったところで何もなく、またあの魔物の言葉通りであればこれ以上先に人の住む町はおろか、食料の調達も難しいはずだった。
「姉ちゃん?」
 無言で歩いていたフユが、すっとナオに体を寄せた。
「後で、いつもの治療をするから」
 実際徒歩でシズオカまで向かうのは難しい。
 その日の野営は丁度日が沈む直前に見つかった小さな林を利用する事になった。
 すっと帳がおり、穹に星が瞬き始める。月は半月、半分に欠けたそれは頼りない光で夜の草原を照らし上げる。
 彼らはたき火を準備し、寝具の準備をすると食事の準備を始める。
 通常幾らか持ち歩いている保存食を調理するか、採れるなら食材を調達する。
「植物ぐらいしかなさそうだ」
 ユーカはぐるりと林を見回して言う。
「キノコと、ゼンマイと百合根があった。これで良いだろう」
「ん〜じゃぁ〜みっちゃんに調理させてぇ」
 材料を手早く刻み、鍋にぽんぽん放り込んでいく。
「あ、じゃあ任せていいか」
 ナオが確認するように聞くと同時、フユが立ち上がる。
 ユーカがつい、と視線を向けると、彼女はこくりと頷いてナオが答える。
「カタシロの『後遺症』を治して貰うわ」
 多分読者の殆どは忘れていると思うが、戦闘時に使用した『カタシロ』は深刻なダメージを刻む。
 この為、常に直後に(度合いは勿論強弱あるのだが)言霊による治療を行う。
 フユ曰く必須の治療だという。
 別に毎回温泉に行くわけではない。特にこんな場所で簡易的に治療する場合には贅沢は言えない。
「ああ」
 ユーカはにや、と口元を歪める。
「何なら耳栓をしてやろうか」
「あなたは何を言ってるんですか」
 即座に鋭く突っ込みを入れると、ナオを引きずるようにして木々の向こう側まで移動する。
「……何で耳栓を」
「ナオ。黙りなさい」
 ぴしゃりと言うとまず地面の様子を調べるように片膝をつき、彼女は札を二枚ぺし、ぺしと地面を叩くように並べる。
 そして一言二言言霊を吐くとナオに手招きしてそこに座らせる。
「耳栓なんか必要ありません。どうせこれで向こうには声は届きません」
「ちょ」
 しっと口元に指を当てる。
 フユの貌は真剣その物で、巫山戯ているようには見えない。
「ナオ、あなたには話しておかなければならない事が幾つかあります。できればカサモト達に伝えたくない事だから」
 そう言うと手早く符を準備しながら、ナオに横になるように顎で指図する。
 ナオは納得行かない貌のまま素直に横になる。
「カサモトが、勇者と魔王のシステムについて何かを調べているのはもう知ってるでしょう?」
「ああ」
 ぺたぺたと寝転がった彼に符を張っていく。
 今回は軽度な治療かと思ったが、意外にその符の数が多い。
「手先とは言わないまでも、間違いなくカサモトは何かを知っている。それはきっとナオ、あなたの危険に関わる事」
 そして魔女が、人間という『倫理』を持たない存在であると言う告白。
 フユは先程の戦いを終えてから完全にユーカを敵視していた。勿論、ナオの安全がその下敷きにある事は言うまでもない。
「……俺が勇者、だから?」
 フユは困ったように視線を逸らして沈黙するが、一呼吸の間を置くともう一度彼を見つめて頷く。
「もし彼女の言う通りであるなら、ナオ、あなたは生死に関わる危険の中に投げ込まれる。確実に生き残る手段があるとしても」
 ぺたり。
 既に何枚も彼の上に張り付けられた、傷ついた精神を癒す符。
 具体的にはカタシロの言霊により強引に別の体に出入りした際の疵を癒すものだ。
 別の体で死にかけたり、実際に死を体験してしまうと前回のように治療するのが最も早い。
 特にこの間は大きさも重さも違う、負荷の大きなカタシロだったから必須だった。
 今回はこれでも充分なはず、というフユの判断だ。
「それでも、いい結果になるはずはない、でしょう」
 最後の一枚を張り付けて、その手を載せたまますっと顔を彼に近づける。
「姉ちゃん」
「私はナオ、あなたのことを心配してるのに」
 つい、と。
 さらに顔が寄る。
「ちょちょ、ねーちゃんっ」

  ごぉうっ!

 その時、突風の煽りが二人の上を通り過ぎた。
 言霊は発動し、ナオに張り付けられた符は瞬時に燃え尽きて消える。
「あらあら、冗談だったんだが」
 同時に声が、思わず側で聞こえた。
 慌てて体を起こすナオと、悠々と立ち上がるフユ。
「何用ですか」
 立ち上がって振り向き、フユの眉が吊り上がった。
 ユーカは背を向けており、その向こう側。
 たき火が見える。いや、その焔が揺らめくのに合わせて複雑に揺れる人影。
「――お前」
 フユは後ろで息を呑むナオの気配に舌打ちする。
 焔の隣の小さな影、そしてそれを覆うような大きな影。
「まさか、あなた達は人間じゃなかった、と言うわけですか」
 険しい顔立ちの少女、Tシャツの上に袖のないタンクトップ、薄手の上着、短いフレアスカートにスパッツ、大きめのスニーカー。
 ひとくくりに纏めた髪の毛はアップにして、大きめのピンみたいなモノを差している。
「――『魔王陛下』」
 音はなかった。しかし、もし音が見えたならこう見えたのだろう。
 陽炎のように彼女の周囲が揺らめき、その界面が地面を走りそこにいた全員を撃つ。
「『軍団長』を滅ぼしたようだな、人間」
 良く通る鈴を鳴らしたような少女の声、勿論聞き覚えがある声。
「まお」
「『贈り物』はお気に入りだったようですね」
 ウィッシュは続けて奏でる。
「ではもう一つ」
 呟くように言うと右手をさし上げて、軽く振るった。


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