戻る

魔王の世界征服日記
第116話 決闘


 既に四天王の殆どは散った。
 各方向へと軍団を侵攻させ始めたのだ。
「マジェスト様」
 残ったのはドクただ一人。
「なんだ」
 ドクは納得していなかった。
 だから、今回、今期の魔王に従い――『魔王』の行動に疑問を抱く。
 そもそもマジェストの行動そのものが、彼にも疑問だ。
「私は魔王陛下と共に行動します」
「……どういう意味だ」
 マジェストの顔は変わらない。
「ヒトを殲滅する必要性が理解できません」
「成る程一理あるが」
 マジェストは大きく頷くと腕を組み、ふむ、と顎に手を当てる。
「しかし困った事になるな。魔王陛下は自らの失敗を気にしておられる。一度その失敗を帳消しにするのが我々の努めだと、こう私は考えている」
 くい、と顎に当てた手を眼鏡の中央にあてて、ずれを直すような仕草をする。
「一度人間を平らにしてしまえば良い。陛下は今なら立派に魔王を努めなさるであろう。だからこそ我々はその準備をするだけの事だ」
 マジェストの顔色は変わらない。
 淡々と話すその姿は、機械的とも事務的ともとれるが――決して感情を感じさせるものとは言えなかった。
 ただただ絶対的。それが間違いでもなければ、願いでもない――唯一の真実であるような口調。
「今はお時間を必要とされているのだ」
「たしかにそうかもね」

  わぁぁん

 遅れてお椀が響くような轟音が轟き、マジェストとドクに瞬時の暴風が叩きつけられる。
 砂煙に目を庇い腕を上げると、ひょぅと撫でるようにつむじ風が舞う。
「まおさま、ちょっと飛ばしすぎですよ。スピード違反です」
「……スピード違反ってなんだよー」
 ぶーぶーと後ろを向いて、そこにいるウィッシュに文句を言う。
「スピード違反はスピード違反です。減点!免停!」
「……免許なんかないよ」
「だったら無免許だから」
 つむじ風の正体は言うまでもなかった。
 マジェストは意外な物を見たように目を丸くして、まおを見返すとすぐに跪く。
「魔王陛下!どのようにしてここまで」
「無免許にスピード違反でそのまま交通刑務所に行くような方法で」
 まおの代わりににこにこ笑いながら言うウィッシュにジト目を向けながら、まおは小さくため息を吐いた。
「ウィッシュの魔法だよ。お城から出して貰ってさ」
 両手を腰に当てて、呆れ顔で二人を見つめる。
「まじー。あんた何やってるか判ってるよね」
 ぷんぷん。
 かなり怒っている。
 普通に怒って然るべきかも知れない。しかし、マジェストにとっては意外な事だ。
 何が――そう、現状が。
 今彼の身に何が起こっているのかが理解できない。
 どうして閉じこめたまおが彼の前に居て、彼の娘とも言えるウィッシュが彼の味方ではなく、まおを助けているのか。
「……魔王陛下こそ、一体何をしたのですか。その、陛下は」
 そもそもウィッシュを使うとまおが言い始めた時点で『魔王』の自覚が戻ったのだから、まおの代わりに『魔王』を行う事が彼の目的だったというのに。
 『魔王』として人間を減らし、人間を追いつめる必要があった――はずだ。
 勇者を選ぶのはそれから――いや、既に定まっている勇者以外を始末すれば済む話だ。
 それが『魔王』としての在り方の一つだ。
「マジェスト。いい加減にしなさい」
「ま……」
 まおは絶対者の言葉でそう言いつけた。
「余計なことをする必要はない。良いことまじー?私は魔王。あなたは?」
 違う。
 マジェストは直感的に間違いに気が付いた。
 『魔王』であればもっと横暴なはず。『魔王』としてならばここまで苛々しないはずだ。
「魔王……軍団参謀長」
「そう。よくできました」
 今彼の目の前で笑顔を見せて、胸を張っている少女は、まおだ。
「だったら参謀長は私の言うことをきかなきゃいけないよね」
 魔王ではないのに絶対的な、有無を言わせないその態度と言葉。
 マジェストは混乱していた。
 何故?いや、何故ではない。
 理由は彼の目の前にいる。まおの後ろに見える。笑っている。彼女――ウィッシュ。
「今すぐに退かせなさい。作戦は中止。判ってる?これは魔王としての命令だからね」
「ウィッシュ」
 まおの後ろに声をかけるが、ウィッシュは返事をしない。
 ただ小首を傾げ、瞬きを数回。
 そして小さく頷くと、まおの耳に口を寄せる。
「まおさま」
 小さく頷くまお。
 両腕をゆっくり自分の真横にさし上げると、掌を内側に向けてゆっくりと前に閉じていく。
「!」
 気が付いたが遅い。
 勿論ゆっくりゆっくり動くまおから逃れる事は出来たが、今までのまおであれば絶対に行使しなかったから油断――油断?していた。
 ソレは油断ではない。
 『そうでなければならない』という一つの枷、『設定』だ。
 既に遅く、彼の体は不可視の巨大な何かに捕まれてしまっている。
「魔王陛下っ」
「止めるよね?」
 ぎり。
 全身に軋み音が走る。
「わっ、判りましたっ!た、ただちにっ!ただちに全軍を撤退します!」

 全軍撤退の命令の直後、異変が起きた。
「連絡が取れません」
 マジェストは部下の報告に舌打ちをする。
「れんらくとれないって?」
 彼の後ろで腕組みをして、左足の上にのせた右足をぶらぶらと振り回す。
 イメージとしてはやんちゃな子供。
 でも、その笑顔には影はなく、『Breakdown innocence』を地でいく子供。
「ええ。北に向かわせたイジィの軍です」
 マジェストはくるりと振り返ると言う。
「突っ走ってるのかも知れません」
 よっと、とまおは両脚をリズムを取るようにして振り、全身のばねを利用して跳ぶ。
 着地。ぽて、と小さな音を立てると彼女は体を伸ばしてちらりと後ろを見る。
「――ウィッシュ」
「まおさま」
 ぼん、と空気が破裂する音がする。
「私が行くから」
 ウィッシュが使った魔法なのだろう。
 まおの衣装が、真後ろから風を受けているようにはためき、大きく孕む。
 『暴走ちょー特急』という高速移動の魔法だ。
 勿論スピード違反にもならないし、免許もいらない。
「まじーは撤収して城の準備して。多分移動させなきゃ間に合わないと思うし」
 御意、と応えようとして彼は一瞬額にしわを寄せて小さく首を傾げる。
「……間に合わない、とは?」
 今にも飛び立ちそうなほど体をばたばたと震わせるまおは、顔を一生懸命マジェストに向けながら悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「うん、この物語の最終章にね」
 まおは自信ありげに思いっきり笑みを浮かべて、元気良く両腕を振り回しながら。
「さーぁって、いっくぞー!」
 前を向いてクラウチング・スタートの姿勢。
 いつの間にかウィッシュがすぐ側に立っていて、右腕を穹に伸ばしている。
「よーい!」
 と言いながら自分の右人差し指以外を折り畳み、左手で親指を逸らせる。

  ぱぁん!

 甲高い、空気を切り裂く音と共に、まおは地面を蹴った。
「じゃあマジェスト様。そう言うことで」
 すちゃ、と何事もなかったかのように左手を挙げてウィッシュは言う。
 ごうごうと風切り音を立てて遠ざかっていくまおに視線を送ると、マジェストは言った。
「……何をした」
 マジェストが真剣な顔で言うのを、彼女は涼しげに流す。
「ご存じのはず」
 そして、それ以上何も言わずに背を向けて。
 一瞬彼女の背中が揺らめいた――それは、まるで翼を伸ばしたようにも見えたが、すぐに不可視の圧力に変わり、彼女を一気に加速した。
 二人を見送ると、マジェストは不服そうにため息をつき、くるりと後ろを向いた。
 エタ山の地底に沈めた魔城チゼータを起こさなければならないと思うと。
「……面倒を残してくれましたね」
 それも、予定外も予定外、あまりに外れた内容なだけにマジェストは大きく空を仰いだ。
「どうするおつもりだというのですか、魔王陛下――それから」
 こほん、と彼は咳払いをする。
「あんまりぴちぴちのスパッツを履かないようにと注意しておかなければなりませんね。まずはシエンタをお仕置きしなければ」
 きらりと光る眼鏡は彼の本当の貌を覆い隠していた。


Top Next Back index Library top