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魔王の世界征服日記
第115話 戦闘


 戦場での一瞬の判断のミスはそのまま死に直結する。
 叫び声を上げる獣を中心にして、放射状に光の欠片が見えた。
 高熱のあまり土の主成分がガラス状に変成したのだ。
 通常、あまりに尋常ではない状況に出くわしたならば人間は状況把握のために混乱を来してしまう。
 しかしフユは速かった。思考する速度が早かった訳ではない。
 思考するより早く体が反応し、地面を蹴ってナオの元へと向かっていた。
 ナオを引きずるように獣から離れたのは殆ど本能的だったから、気が付いたらナオを後ろから抱きしめるようにしていた。
 そして、『姉としての彼女』より早く判断した『戦場の彼女』が、彼を彼女の後ろに運ぶ。
 懐から――言霊扇ではなく、束になった『符』を取り出し、ナオの方へと投げる。
「使いなさい」
「姉ちゃ」
 返事を待たず、彼女は再び懐に手を戻し、今度こそ言霊扇を取り出し構え直す。
 しゃんしゃんと薄く作った鉄扇は鈴のように鳴り、要に提げた飾り紐が生き物のように躍り。
 奏でる魂は彼女の周りに薄く魔力の流れを生み出す。
 この仕組みに、彼女の着こむ言霊を織り込んだ戦闘衣が反応して、魔法使いとは違う継続的な戦闘能力を引きずり出す。
 絶対的な魔力差が産む魔物との戦力差を埋める為のフユの『技術』。
「今のうちに畳みかける」
 指示を出すように呟き、すぐさま独特の韻律のある言霊を紡ぎ始める。
 同時に舞うようにしゃん、しゃんと言霊扇を降る。
 言霊は詠唱がそのまま現象へと転化される。あらゆるこの世の魔法の中で最も早く発動し、その効果の再現性は非常に高い。
 最も論理立てられた魔法だからこそ、記憶力と鍛錬の時間だけが力になる。
 彼女が放り投げた符は論理だけで作られたものだ。
 ナオのために調整した、ナオに合わせた符だ。
 彼の癖を全て知っているフユだから作れる、彼のための力。
――そんな事言ったって
 その符は良く見たものだから、使い方も効果も良く知っている。
 魔物狩りで使うようなものではないから混乱した。
 どこでどう使う?
――一体どうするつもりなんだよ!姉ちゃん!

 ユーカに油断はない。
 右手に衝撃波を発生させる護符を装備し、左手に諸刃の突剣を。
 彼女が作った魔術具の殆どを今回用意している。
 この時この瞬間のために造り上げたからこそ、出し惜しみはない。
「『勇者』を『魔王』の間へと連れて行かなければならないのはお前も知ってのとおりだろう」
 まだ足の裏が熱い。自分でもここまでの魔力を使えるとは思っていなかった。
 勿論ため込んだ魔力が幾ら高くても、どれだけの魔力量が在ったとしても操作できる大きさには限りがある。
 人間の精神では限界がある。その限界を支えるための『骨組み』になるのが言霊である。
 意識しなくても魔法を在る形に留め置き、自動化するためには必須とも言える。
 今の一瞬で発生した熱量を、あらかじめ言霊で設定した領域に展開すれば恐らく後ろに控えたこの魔物の部下も纏めて消し飛ばせただろう。
 しかしその『準備』には少なくとも一月かかる。
「私の半生分の魔力を一点に集中したのだ。骨まで熱が通りこんがり灼けただろう?」
 聞こえているだろうか。
 苦しげに大声で叫び、動かない体を痙攣させている。
 まだ生きているのだ。
――どうするか
 これ以上の攻撃ができる魔法もない。
 この魔物をばらす為の魔法も在るわけではない。
 両手に持った武器は護身程度しかない。だが、まだ生きているならどうにかしなければならない。
 錬金術は使えないが、この魔物を固めて動けなくさせる事は不可能ではない。
 それが気休めでも。
 彼女は懐の魔法道具を取り出そうとした。

  ざっ

――!
 左手を右手の甲に添え、一歩飛び退く。
「ユーカ、こんがり灼いて貰った御陰で」
 全身を揺すらせながら体を起こすイジィ。
 雄叫びを上げて上半身を逸らし、ばらばらと全身から埃のように粉を吹き出す。
 粉――熱量により砕けた体の破片が散り、肌の下から組織が覗く。
「喩え生きていようとも」
 そして、イジィはゆっくりと真後ろを向く。
「体が死んでいるなら充分――自らの手によって滅びを。ナオ、やっちゃいなさい」
 ナオに差しだした符は『憑依の符』。
 生きていないものに対して彼の魂を憑依させ、不死身(精確には倒す事は可能だが)の人形として戦場に赴く事ができる符だ。
 フユの真後ろで符を握りしめて倒れたナオを守る手段が必要であるが。

――な、畜生
 イジィは殆ど意識がなかった。
 初めは、今までに蹂躙した人間とさしたる差がないと踏んでいた。
 魔王の東征は最も昔、魔王がまだまだ勢いが残っていたころに行われた。
 イジィはその先鋒。多くの人間を滅ぼしてきた。自分の部下が蹂躙する前に一騎打ちをする習慣も、彼が生まれてからずっと行ってきた。
 彼の役割がなくなるまで、魔王が倒されるまでに何度も戦った。
 魔王が――勇者に倒される運命に流されるたび、彼はリセットされたが、それでも一度も戦いに負けたことはない。
 先程喰らったような強烈な魔法も初めてだ。
 強固な再生能力のある、自分の自慢の体が殆ど完全に破壊されるなどという経験も初めてだ。
 そして屈辱的なのは。
 その体に無理矢理押し入ってくる別の『人間の意志』だ。
 蹂躙される感覚。それは――今までに自分が行ってきた事が返ってきたように。
 あまりにソレはいらだたしい。
 第一、今自分は何をやっている?!
 感覚のない右腕を振り回すこの『意志』は何をやっている?
 聞こえない鼓膜を通して感じる悲鳴は誰の悲鳴だ?
 極度に特化された肉体能力。強力な再生能力が、ほんの僅かな断片ですら彼を『生者』として押しとどめようとする。
 もしかすると、今こうして目が見えず耳が聞こえないという闇の中にいる事はまだ幸せだったかも知れない。
 彼の体に残留している熱量をまき散らしながら、彼は彼の部下を片っ端から潰しているのだから。
 停まらない。止まらない。
 苦しそうな叫び声を上げる魔物は、叫びながら自分の部下に向かい拳を振り下ろす。
 突進する。全身を振り回す。
 気付いていないのか、そもそも判らないのか、先程魔物が部下と呼んだ魔物達は、暴れる彼にすがるように集まり。
 何の躊躇いもなく潰されていく。
 ぐしゃり、ぐしゃりと。
「あとは時間の問題だな」
「そうでもありません」
 今操られている魔物は、確かに今は『死んで』いる。
「あの術自体は、無機物にしか作用できないですから。再生が始まって内側から先程の魔物が現れれば、ナオは追い出されて」
「ついでに言えば、あの魔物自体を何とか出来なければいけない訳だが」
 時間稼ぎしている暇ではないだろう。
 しかしもちろん、このまま『自殺』させる訳にはいかない。
 本体の自殺はそのままナオの死に繋がる。
「……間に合いそうに、ないですね」

  ぎし。

 唐突に割り込まれるような感触。
 いや――ナオにとっては割り込んでいる方だから、『追い出されようとしている』のだろう。
 まだらに歪む視界。
 感覚を失っていく両腕。
 聞こえてくる内側のうなり声。
『くっ、まだ生きて』
――がぁああああっっ
 内側から染みこむように叫び声が聞こえる。
『――!』
 同時に。
 両脚の感覚が一気になくなる。
――逃がす、か
 内側から染み出してきた『意識』が、網の目のようナオに絡みついてくる。
 なくなった感覚の代わりに、直接、文字通り『心』を縛り付けていく。
 歪んだ視界が、彼の意思に反してくるりと周り、彼の姿が現れる。
 彼の『抜け出た』体だ。
『やめろっ』
 彼の『憑依』は、フユの言霊によるモノだ。彼の意思で抜ける事はできない。
『姉ちゃん!』
 視界は既に彼の意思では『見せられている』状態でしかない。
「そんな、まさか」
 聞こえた。
 外部の状況は判らない。
『姉ちゃん?!』
 自動的に固定された画面。
 揺れる画像の向こう側で揺れる視界。
 乱れる映像。
――きさっ……
 その時、視界が完全にブラックアウトした。
 まるでテレビがスイッチを切るように。
 全ての感覚が遮断される。

――……ゲームオーバー、ということか

「そ〜こぉまでぇ、かな?」
 がしゃん、と音を立てて崩れ落ちるイジィの体を、自慢の巨大な手袋で抱きしめるようにして受け止める。
 ミチノリの笑みは酷く明るく、一点の曇りもなく。
「終わったのか?」
「おぉわりぃ〜」
 ユーカの言葉にゆっくり首を回し、ミチノリは小さく頷いて応えた。
 倒れているナオを支えるフユがミチノリに目を向けて。
――結局……
 確かに魔物の再生は行われていた。魔物がナオを捕らえていたのも判った。だから、危険な状態だった。
――何だったというの
 ナオに向かう魔物を止めたミチノリ。ただ遮るようにして間に入っただけ。だというのに。
――……
 フユは納得できない顔でミチノリとユーカを睨み付けるしかできなかった。


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