魔王の世界征服日記
第114話 最終手段
ウィッシュはふう、とため息を付くとくすくすと小さく笑う。
「ではどうしても止めると言うのですね」
ウィッシュの言葉はどこか明るい。
彼女――まおの行動は簡単に予測できる。だから、ここまでは充分予測通りの展開だ。
「とめるよ。だってさ。……勇者がここまでこれないじゃない、そんなことされたら」
「そうかも知れません。でも、そのぐらい越えて貰わなければ勇者とは言えません」
それでも。
「違うね。そうでしょ?ホントはそんなじゃない。勇者ってのは、ここに来る前に既に決められている」
まおはじっとウィッシュを睨み付ける。
自信たっぷりの、魔王の顔で。
何時か見せた魔王としての風格で。
今まで忘れていたものの一つかも知れない。
僅かに残してきたものかもしれない。
「勇者は私を倒す資格があって、私を倒さなければならない。……倒せなければ、一度リセットしてしまう」
「強制的に、ですが。まおさま。……今回は初めてのケースなのです。シナリオを無視してまで、こんな事はありえないのですから」
「だよね。私のミスから生まれたことだけどさ。…なに、ゆうしゃって言うのは結局、そんな『わざと作られた試練』を越える事がひつようなわけ?」
魔王に辿り着くために。
そしてそれこそがこの『英雄譚』の正体。
魔王という『仮想敵』に対して立ち向かう『英雄』を作りだし、産むためだけに存在するストーリーテラー。
「まおさま」
ウィッシュは彼女の名前を呼んで、そこで一区切りした。
ゆっくりと深呼吸するようにそのまま名前を飲み込む。
大切な者を守るように。そのまま、自分の拳をきゅっと握りしめる。
何かが崩れてしまうのを、必死で押さえるように。
「……魔王を止めるという意志にお変わりは在りませんか」
「ない。喩えウィッシュが『魔王』ってのをどれだけ大切に思っていて、どれだけだいじなものなのか教えてくれたってダメ」
実際まおはこの魔城に軟禁状態が基本だ。
マジェストがいない今、彼を止める為にここからでるにも一苦労する。
尤も、案内役はマジェストと限る必要はない。
彼女は魔王の看板だけを背負って、ただ勇者と対峙する為だけに存在する。
それが、どれだけ『正しい事』だとしても。
彼女には耐えられるものではない事に気付いてしまった。
人間がどれだけ残忍であるか。
人間がどれだけ魅力的なのか。
人間がどれだけ信頼できるのか。
それを――彼女は知りたいと思った。
いや、本当は遙かな昔、それを知っていたような気がする。
『彼女』は、魔王を選ばざるを得なかったのかも知れない。
「私は人間になる。ヒトならこんなにやな思いしないんだもん、魔王なんかやってられないんだもん!」
まおは全力で叫んだ。
そうしろと言われたかのように。
そうしなければならないかのように。
そしてウィッシュは、彼女の思ったとおり、それを望んでいた。
まおの真剣さを、知っていても表現して欲しいと望んだから。
「判りました。では思い出させてあげます。まおさまが何者だったのか。――それを思い出してから、果たしてまおさまが今のマジェスト様を止められるのであれば」
過酷かも知れない。
それでも彼女がマジェストを止めるというので在れば、多分。
もう二度とまおを魔王の座に座らせる事は出来ないだろう。
「――幕を、上げましょう。最後の仕掛けの為の」
結局南へ向かう為の交通手段は、そんなに簡単に手に入るものではなかった。
「なんだか俺達、いつもこんな感じじゃね?」
ナオはシコクでバグと出会った事を思い出しながら、後ろのユーカに顔を向ける。
「そうだな。……まあ、今度はあんな連中に会うことはないはずだが」
ユーカは苦笑して応えると、黙々と前を見て歩くフユの背に視線を向ける。
「まあどんな化け物がでたって今回は将軍も居るからな」
そう、危険だろうと関係はなかった。
少なくとも彼女、フユにとっては。
結局馬車は調達できず、歩いて南に向かうことになった。
少なくともアキタから馬車がでていないのであって、シズオカに向けて下るうちにどうにかなるだろうという考え方だった。
もしかするとダメかも知れない。しかし、ユーカの『物語』説が間違っていなければ、何か手だてがあるはずだった。
そう言う事で、野宿の徒歩の旅が始まった。
最初の二日ほどは特別何も起こらなかった。意外かも知れないが、彼らは徒歩での旅が当たり前なのだ。
ちゃっちい鍛え方をしてるようなあのミチノリでさえ、いつもにこにこを絶やさないし、遅れる事はない。
『あの魔物を始末するのであれば、邪魔する全てを排除する』
フユは躊躇う理由はなく、そしてそれが彼女の今の偽りない気持ちである。
彼女には何の躊躇もない。それが彼女の戦士としての強さなのかも知れないし、女性としての弱さとも言えるかも知れない。
「……私にはナオが居ます」
おおーという比較的間の抜けた、どこか嬉しそうな声が上がる。
言うまでもないがミチノリの反応だ。
ユーカはユーカで口元を歪めて笑っているが。
しかし、ナオは笑っていない。いや、笑えない。
「姉ちゃん」
彼にとっては当然の言い分を言おうとして――フユがそれを遮った。
もう少し精確な表現をすれば、それに一番先に気が付いたのがフユだった。
全員が立ち止まり、ナオは腰に提げた斬魔刀に手を伸ばす。
「おや」
向こうは気付かなかった。
いや、その言葉を漏らした時には既にフユを筆頭に戦闘態勢を整えてしまっていた。
両手に言霊扇を閉じて携えるフユは僅かに半身になってそれを睨み付けている。
「人間か」
それはまるで人間の姿を真似ていた。
まるで――そう、この修飾語句が意味するところはなにか。
それは一人の男に見えた。だが、せむしの彼は人間ではなかった。
瘤ではない。決して猫背なのではなかった。彼のその背は筋肉の塊が盛り上がっているのであって――
「――!」
全員が一気に気色ばむ。
『言葉を解する』魔物――しかも、彼らの知る二人組以外の魔物。
そして彼の後ろにはやはり幾つかの蠢く影。
「話せる?!」
「おいおい、魔物にも話せる奴がいたっておかしくないだろ」
銀色の鱗のような物を着こんだ彼が少し動くたび、甲高い金属の擦れる音が響く。
彼の両手に握られた、幾重も重なった刃が凶悪な光を放つ。
威圧的な存在感に、皮膚の裏側まで鍛え上げられたような筋肉の盛り上がり。
魔物の中でも最も恐れるべき存在にして、人間とは桁はずれた能力を持ちながら――決して人間と戦ったことのない、『軍団長』の一人。
東の軍団長イジィだ。
「どれ」
彼は体を起こした。
ぎしぎしと麻縄を捻ったような軋みを上げる全身の筋肉。
いや、実際には彼が身につけている鎧のようなものが音を立てたのだ。
それは鎧ではなく、薄い柳刃を鱗のように編み上げたものだ。もし人間ならそんな酔狂な鎧を着ようなどとは思わないだろう。
触れただけで指先は短冊状に切り裂かれてしまうだろうから。
むき出しの両腕なんか、ただ動かすだけでずたずたになってしまうはずだ。
よく見れば獰猛な顔つきに感じられる彼の顔も、実は自分の血に染まっているのだろう。
魔物特有の再生能力と頑丈さ故に鎧を着こなしているだけ、だということだ。
「じゃあまず俺が相手だ。おめぇら手を出すな」
きしきしと刃を軋ませ、笑うように体を揺すると一歩彼はさらに踏み出した。
「人間!これはゲームだ。俺の後ろには俺の部下が居る」
そう言ってくいっと右腕を振り、親指で自分の後ろを指さす。
「勝てば赦してやる。だが敗北は――」
きしきし、と神経質に全身が軋む。
「残念ながら、この周辺一帯から魔物以外の全てを消し去る。命の限り戦え」
細波のような笑いが響き、魔物は鷹揚に歩みを進める。
「ゲーム」
ぎし。
フユが両手の言霊扇を大きく開き。
ナオは手元で素早く斬魔刀を回す。
「――開始、だ」
どん。
音に喩えるなら地鳴りか太鼓か雷鳴か。
爆発するようなその音と同時に刃の塊は一気に間合いを詰めた。
「くっ」
ぎゃりぃっ
火花が激しく飛び散り、フユは両手で言霊扇を前に構えた格好のまま後ろへと押し戻される。
突進を押さえただけでも充分驚異に値するだろう。
――見えなかった
フユだけではない。
そこにいた全員がイジィの動きを見ることが出来なかった。
「おおおおおおっっ」
ぎゃぃんっ
位置は最適。
イジィがフユを押し込んだ為に、フユの右手に居たナオはイジィの真後ろに位置した。
だが、振り下ろした斬魔刀はイジィがただ差し上げた左手に阻まれ、彼が握り込む刃を鳴らしただけに過ぎなかった。
金属が軋む音が、まるでせせら笑う声のように聞こえた。
勝てない。
「『焔』」
フユは殆ど本能的に真後ろに飛び、言霊扇を眼前で振るう。
大きく奏でられる空気の震えが、ひょうひょうと彼女の周りでむちを振るうような音をたてる。
同時にそれが彼女の周囲の空気を遮断――真空の壁を一瞬だけ造り上げる。
ごぅん!
脂の焦げる臭い。
「――!」
ナオは転がるようにして距離を離していた。
既に彼の手に斬魔刀はない。
突如襲った『痛み』に我を忘れて取りあえず飛び退いたのだ。
それでも彼の右手に痛みが残留――いや、今の一瞬で火傷を負ったのだ。
フユの真後ろで、右手に何かを握ったユーカがいた。彼女が魔法を使ったのだ。
まるで残滓のように輝いていた右手の宝石――こぶし大の『命の雫の欠片』が完全に沈黙する。
効果の発生は瞬時、今の瞬間で回避できたフユとナオはまだましな方だろうか。
先程のイジィの突進同様――恐らく状況を把握できた人間はいないだろう。
単音節で一瞬のうちに効果を発生させる『インスタント』と呼ばれる魔法。
喩えるなら魔力を収めたぎりぎり溢れそうなコップを用意しておくのだ。
そこに僅かに魔力を注ぐことで一気に効果を発現させる――そう言う意味では広域殲滅用言霊とやり方は同じ。
違いは、擬似的な魔力を維持するための触媒を利用するか否か。
そしてその魔力を維持させる為に必要な『命の雫』により、使える魔法の純粋な能力が決まる。
「がああああっ、ぎゃあああっ」
言葉で表現しがたい叫び声が続く。
当然だろう、いかに丈夫であろうと、どれだけ再生能力が在ろうと。
一瞬で金属を灼熱させるような熱量でもって全身を灼かれれば、命があるだけでも勿怪の幸いという奴だ。
「生きているか。――私の半生を賭けた魔力でも殺しきる事は出来ないとは、業な魔物」
或る意味最終兵器。
或る意味『これが最後だからこそ』使った一撃。
命の雫の欠片はさほど多いわけではない。流通しているのは二流品以下。
『何かのために』と見つけた命の雫に魔力を込めておいたと言ったって、命の雫が一級品のものでなければここまでの効果は無かっただろう。
そして、これは二つとないからこそ。
「さて、魔物よ。これで約束を守るべきだな」
これで殺し切らなければ今度こそ全滅する――