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魔王の世界征服日記
第113話 おもわく


 エタ山はニホン一の山。
 歌にも謳われた名高い山だが、実はその深奥には魔城が存在した。
 と言っても魔城は前からここにあったわけではない。やろうと思えば穹を駆ける事も地を這う事もできる魔獣なのだ。
 勿論それは今だって同じ。ただ、一応定位置としてエタ山地下に決めて、いまそこにあるだけだが。
「魔王陛下」
 ふと思い出したようにそちらに顔を向ければ。
 にぱっと明るい笑顔を湛えたまおの顔を何時でも思い出すことができる。
「へいかぁっ!」
 ぶわわっ!
 取りあえず両目からだくだく涙を流して感動に打ち震えるのは、今更言うまでもないがマジェスト。
 そんないつもと全く変わらない彼が、今居るのは。

 戦場。

 既にシズオカ周辺地域は駆逐が終了している。
 彼のすぐ側に跪いて控えるのは軍団長、イジィである。
 元は東の統治権を持ち(無論魔物の中での話である)、小柄ながら力持ちというロシアの戦車兵のような軍団長だ。
 尤もこの喩え、読者と私以外誰も判らないが。
 いい加減彼は疑問を隠せなかった。
――有り得ない
 今までも、魔王の招集無しにありえなかった事が今実現し、歴史的に見て初めての事が起きていた。
――魔物による人間の大量虐殺。
 当然だった。何故なら――ここには既に許容できないほどの戦闘能力が集結していたのだから。
 東の軍団長イジィ、北の軍団長ドク、西の軍団長エフ、南の軍団長シェアが、完全武装で一所に集まってるのだ。
「マジェスト様」
 ドクが耐えかねたようにマジェストを呼びかける。
 マジェストはだくだく流した涙を右腕の一降りで振り払うと、何事もなかったかのように彼の方を向いた。
「なんだ」
「既に周辺は根こそぎ生物を荒らしました」
 そう。
 この土地は。
 彼らが命令により滅ぼした土地にはもう人っ子一人どころでは済まなかった。
 死せる大地としての蹂躙。彼ら魔物の中には、ありとあらゆる形で生命を滅ぼす事ができる方法を持った物が居る。
 端的な表現をすれば、この大地は完全滅菌されてしまっていた。
 簡単な譬えで言うなら、生肉をぽん、と棄てても腐敗しない。そんな世界だ。
「ならば次はその周辺だ。拡大せよ」
「しかし」
 マジェストが見つめる視線に、ドクは唇を噛む。
――……そんな
 視線が動かない。
 瞳に自分がうつっていない。いや――彼に触れることすらできない。
「総て滅ぼせ」
 マジェストはそう言い切ると、くるりと背を向ける。
――聞いていない
 マジェストの耳に言葉が届かない。
「マジェスト様!魔王軍最高参謀殿!」
 それでも声を張り上げるのを止める訳にはいかなかった。
「『土地の初期化』など、一体何故行うのですか!」
「必要だからだ。魔王陛下――『魔王』の意志であり、それをお望みだから実行する。それが我々の役割だ」
 即答。
 答えを紡いでから、くるりと再びマジェストは彼の方を向いた。
「やり直すのだよ、軍団長。この世を一度平らにしてもう一度人間が育つように書き換えないといけないのだよ」

 がたん、と椅子を蹴って立ち上がったまおの前にウィッシュは立ちふさがった。
 狭い魔王の執務室では、ただそれだけでもう身動きがとれなくなる。
 大きな執務机と、有り得ないようなソファにはさまれて、ウィッシュの向こうに見える出口があまりに遠い。
「どこに行こうというのですか?」
 ウィッシュにはまおの行動が手に取るように判った。
 もし彼女がまおの作りだした四天王のような存在で在ればこうは行かなかったかも知れない。
 魔王でありながら魔王の作った存在ではない彼女だからこそ、彼女を制する事ができる。
 マジェストは別格だ。魔王としても魔王を導く者として特殊な立場を与えられている。
 それ相応の『存在意義』がある。
 しかしそれはウィッシュにも同様――『Reason To Be』、生まれた理由が、親が居る。
 『魔王』ではない存在として、『まお』の一部を持って作られたために。
「どこって!」
 まおは焦った顔で、眉を吊り上げ、両手を思いっきり突っ張って。
 怒っているのに、そこに感じるのはむしろ焦り。
 どこか寂しそうな気配がするのは多分気のせいじゃない。
「まおさまはここにいるべきなんですよ。勇者をまたなければならないんですからね」
 そのためにウィッシュが動いた。
「でも」
「ええ、マジェスト様が動いたのは私の行動が問題だった可能性がありますね」
 だん。と。
 軽い音だったのに、ウィッシュは思わずそちらに目を向けてしまう。
『そんなことない』
 びく。
「……どうしてそんなことが言えるんですか?」
 先回りするようにしてまおに合わせて言うと、まおはびっくりして、続いた彼女の言葉に押されてしまう。
 そして、かたん、と自分の椅子に座ってしまう。
 もとのとおりに。
 ウィッシュはくす、と笑うとそのまま彼女の側に寄ると、彼女の顔に合わせるように膝をつく。
 そして、まおの両肩に自分の手を載せるときゅっと抱き寄せた。
 自分の頭のすぐ隣にあるまおの頭。
 右手で彼女の後頭部を押さえて、ゆっくり撫でる。
「『魔王』陛下は情け容赦なくなければなりません。まおさまは優しすぎるきらいがあります。だからマジェスト様が動いた」
「なんで?」
 まおはもう動こうとは思っていなかった。
 だから何もしなくても彼女は逃げることはない。
 でも、こうしていなければ彼女はきっと、そのまま。
 ウィッシュは思わず腕の力を込める。まおの震えを止めるように。
 力一杯抱きしめるには彼女は小さすぎて、止められるはずもないのに。
「今の状況は。魔王不在がもたらした人間の繁栄は求められる物ではありませんでした」
「どうして?」
 まおは当然の質問を彼女に浴びせた。
「それだけでパンクするからです。勿論、始めに考慮された限度というものもあります」
 まおの両肩を掴んで離すように、ウィッシュはまおを自分の真正面に固定する。
 もうまおの顔はくしゃくしゃだった。
「なんで?」
「ここは天国じゃないんです。これから地獄に戻る人間達に、地獄を忘れない為の訓練を行う場所なんですよ、まおさま」
 だから。
「その訓練を行う為のシナリオと、敵役(Aggresser)が必要なんです。その敵は、地獄をくぐるよりも凶悪な性格でなければならない」
 堪えきれなくなったのか、まおの両目にたまり始める涙。
「『魔王』陛下はそのために存在する」
「じゃあゆうしゃは?!」
 噛み付くように叫ぶまお。
「何で私がここにいるの!どうしてこんな事をしてるっていうの!」
 多分それはずっと思っていたことなんだろう。
 でも、そんな考えを持たなければならなくなったのは、最初に『勇者』の子供を殺してしまったからだろう。

 何も考えることなく。
 勇者と思った魔王が、全力を尽くした一撃で。
 消し飛ばした。

「どうして……私は魔王なの……」
「いいえ、まおさまは魔王陛下。『魔王』陛下が考えている事も判らなければ、『魔王』陛下が必要な訳でもなかったのです。ただ」
 ぱちくり。
 不思議そうに瞬いて、つい先刻まで大声を上げていたとは思えないぐらい不思議そうな顔をして、自分の顔が涙で濡れている事も忘れたようにウィッシュを見上げて。
「まおさま。全てを忘れてしまっているのですよ。何故あなたが『魔王』になっているのか。どうして今その姿なのか。自分が誰なのか」
「……ウィッシュは……知ってるの?」
 小さく儚い少女の言葉に、ウィッシュは笑みを浮かべた。
 どこか自嘲めいていて、それでも目の前の少女に優しく見えるように。
「私は」
 でも、彼女は答えるつもりはなかった。
 それで物語を終える事が出来ないから、彼女は進めるしかない。
 それが狂言回しの役目――彼女に与えられた設定なのだから。
 ただ彼女は設定に従う訳ではないし、それに縛られている訳ではない。
 『彼女』の望みの為には、今はマジェストの方が最も正しい選択、設定通りの行動なのだから。
「まおさまと一緒に、世界の終わりまで物語を……」
「――だめだよ」
 まおはウィッシュの言葉を遮って。
 意外に強い言葉で言う。だから彼女は少し驚いて、まおが両手を押しのけた事に気付くまで少し時間がかかった。
「ありがと。……でもさ。やっぱり私が『魔王』じゃん」
 まだ目尻に涙が残ってるし、みみたぶは赤いし、何より泣いたのばればれな枯れた声。
 でも声にある意志が感じられる。
「魔王は部下の勝手な行動をいさめなきゃ。それにさ」
 両手でごしごしと目をこすって涙を強引にふき取ってにやりと笑う。
 不似合いで滑稽な、だから妙に可愛らしい笑顔。
「まじーも、ウィッシュも、やっぱり私にとっては大事なんだよ。きっとね」


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