戻る

魔王の世界征服日記
第112話 魔王の目的


 魔城――即ち、ニホン一高いと言われるエタ山を指さした。
 そして懐から水晶を取り出して見せる。
「私が使っているのは、本来は行方不明の人間を捜す為の術だ」
 髪の毛一本でも在れば、その持ち主を世界中から検索して、その場所を報せるという便利な魔法。
 尤も『生きていない』場合や何らかの手段を講じて魔法の届かない場所に封印されてしまった場合、『存在しない』という反応が返ってくる。
 彼女は魔物の服の切れ端を水晶の上に置き、何事かぶつぶつ呟いて――水晶球が発光を始めるととん、と軽くそれを叩いた。
『うぃー、まあこのへんちゃうか?』
 びくっ!
 フユとナオはいきなり響いた謎の言葉に体を引きつらせた。
 妙に馴れ馴れしい、さりとて気遣いする必要のない気安い印象の声。
 勿論誰の声でもない。
 同時に光がぱっと瞬いて、部屋の一点を差した。
『どないやろ。んー……たぶん歩いたらつかんで』
 ぱんぱんとユーカが無表情で水晶を叩く。
『痛痛いって姐さんっ!あー、馬で一週間以内や、これ以上まからへんで!』
「まからんでよろしい」
 再びユーカが何事か呟いて、ぽんぽんと今度は柔らかく水晶球を叩いた。
 それで、まるで落ち着いたように光が消える。
「ちょっと精度が気になるが、まあ馬車が在れば一週間で着く距離、この方向だから」
 それは丁度ここからだと南西の方向。
「大体エタ山付近、まさに今魔物が大暴れしているあたりだ」
 フユは無表情にこくりと頷く。
「間違いないでしょう。その――魔王と勇者の関係が正しいのであれば、今まさに火急の事態ですから」
「そうだな。まあもっとも直接関係ない事だと思うが」
 ふとナオが顔をしかめた。
「……そんなとんでもないことになってるのか?」
 訝しがる口調で続ける。
「何でそんな。……魔王が本格的に人間を攻める事にどんな意味があるんだ」
 魔王の軍勢とは常に戦いを続けている。しかし、それは自然に存在する動物との争いにも似ていて、或る意味不可侵の掟のようなものがあった。
 言うまでもないが小競り合いの他は、よっぽどの事がない限り組織だった戦闘を行わないという事だ。
 実際にはトマコマイ砦のような事もあるので皆無ではないが、それでも人間を完全に滅ぼしたという実績はなかった。
 いや。
 シコクを除いて存在しなかったと言うべきだろうか。
「もしかしたら魔王からの挑戦か。さもなければ内部分裂か」
 ユーカは腕組みをして口をへの字に曲げる。
「先刻も言ったとおり、エタ山の方向に追うべき魔物が、戦闘によって蹂躙された土地もその周辺と言うことは、これを突破する必要がある」
 かつん、とエタ山を叩く。
「何か良い方策を考えながら、状況を見て下るしかないな。……どんな方法を使ったのか、我々より速く移動しているから追いつけないようだし」
 結局現状把握と方針決定すらままならないほど、思ったよりも状況は良くないと言う感じであった。
 それだけ話し合うと、明日朝から移動手段を手に入れる事を目的に歩き回る事にした。
「ユーカ、いちゃつく前につき合いなさい」
「将軍。人聞きの悪い言い方だが、それだけだとひがみに聞こえるぞ」
 言いながら、フユとユーカは連れだって部屋を出た。
 ぽやんとそれを見送るミチノリ。
「……いちゃつくのか」
 ナオに言われると、ミチノリはゆっくり顔を向けて、僅かに首を傾げ。
「いちゃつくよぉ」
 と嬉しそうに言うと初めて顔を赤らめた。
「どうでもいいから部屋に戻ってくれ……」
 しっし、と彼をでていくように右手で払うと、ナオは草臥れた顔で自分のベッドに横になった。
 フユとユーカは連れだって階段を下りると、そのまま宿の外に向かう。
――……ん……
 ふと宿の部屋のミチノリを思い、ちらりと視線を二階に戻す。
 まさか宿の外にでるとはユーカも考えていなかったからだ。
 しかしフユは振り返りもせず、既に暗い宿の外にでてしまっている。
「どこに行く気だ、将軍」
「できる限り人の目に付かないところへ」
 ざり、と足音が僅かに非難の声を上げた。
 それに気付いたように、フユが振り向く。
「何故」
「それは貴女が一番良く知っているでしょう」
 うそぶくフユだが、彼女の視線からは何も感じられない。
 『鉄面皮』の彼女らしい凍てついた貌。
――ふむ
 彼女に着いていく事について幾らか思案しなければならない条件がある。
 しかしユーカが心配しているのは自分の身ではなかった。
 ユーカにとってはフユが人間であることは確信して間違いない事で、誰かが化かそうなどと考えているとは思う必要がなかった。
 もっと別な事に彼女は気を取られている。だから、フユの様子を訝しんでいる。
「話だけなら食堂でも構わないだろう、判ってるだろうが今は」
「魔物如き、狩人たる我々に一体どれだけの脅威というのですか」
 これも事実。
 第一、ここが安全であることは既に確認したばかりだ。反対するには説得力が少ない。
「……ナオのことです」
「ナオ?」
 フユはそれだけ言って再び背を向けた。
 ユーカはため息を付いて、彼女の横まで追いついて一緒に歩き始める。
「貴女は隠し事も上手なようですが、今回の件、あまりに用意周到すぎるので」
「疑われていると言う事か。仕方がないな、占いなどという不確かな物ではなく、論理立てた予測通りに動いているからだが」
 フユは少し目を丸くしてユーカに視線を向けた。
 ユーカは相変わらずどこか眠そうな顔つきのまま続ける。
「私の知り合いに、シコクに住む元魔法使いがいる。魔術ではない方法論でもって世界を測る男だ」
 アキタの夜は、サッポロに比べると暖かい方だ。
 二人は、今回の事件のせいで全く人気を感じない町に靴音を響かせていく。
 そよ風すら吹かない、凪ぎの闇。
「魔王、勇者、そして円環の終焉。論理立てた予測の果てに見える世界……私は魔法という論理でもってこの謎に挑戦している」
 夜の穹は、手が届きそうな場所に見える星があるから。
 ユーカは星穹よりも蒼穹の方がずっと好きだった。
 一瞥だけするとすぐ視線を戻してフユの貌を見る。
「何を知っているのですか」
「何も。知らないから、調べる」
 フユの眉が吊り上がり、物も言わずに立ち止まる。
「人間の思考というのはそんな簡単なものではありません。そのぐらい――判っているでしょう」
 知らないことすら知らなければ、知る方法が判らない。
 調べる事ができるというのは、そこに至る経路を少なくとも予想できているという事だ。
「私達を使って何を調べようというの」
 ユーカは一瞬目を丸くしたが、すぐに顔をゆるめると踵を返し、宿を見つめる。
「……人の終焉というのは面白い」
 彼女は死という言葉を使わなかった。
 だがそれだけのことだ、フユは無言で彼女の背に一歩近づく。
「この先起きるであろう出来事を、どれだけ知ることができるか。歴史家ほどどん欲な人は居ないと私は思う」
 ちら、とフユを一瞥すると、そのまま宿に向かって歩き始める。
 フユは遅れないように彼女の後ろにそのまま着いていく。
「ナオは」
「無事だよ。きっと。そう言う風に仕掛けられた物語の上で踊るだけ。問題は……」
 そう。問題はそんな表層の事じゃない。
「そんな事には問題はないから、だからナオの事は安心していい。……これで、いいか?」
 ユーカが足を止めて振り向くと、まだ険しい顔立ちでフユが彼女を睨んでいた。
「……今私が一番知りたいことは確かにそれですが」
 言外に『忘れたのですか?』という聞こえない糾弾が聞こえた。
 だからそのまま沈黙して気まずくならないよう。
「疑うなら、何時でも背中から斬りつけられるような準備をしてくれればいい。裏切ったら、即、死だと」
 そして口元を歪めて笑みを湛えた。
「少なくとも、これだけは保証していいだろう?私は有益な情報を渡す。私は『人間』から一歩踏み外す。尤も魔女は常にそう言う存在なのかも知れないがね」


Top Next Back index Library top