魔王の世界征服日記
第111話 選択
「延期?」
追跡を開始して一週間が経過した。
ナオご一行様はアキタで足止めを喰らってしまっていた。
「突然魔物の侵攻が始まったらしくてなぁ」
今まで組織だった戦闘というのは、殆ど見られなかった魔物の軍団が突如統制のとれた動きで動いているという。
フユはぎり、と歯ぎしりさせて南の空を睨み付けた。
「ねえちゃん、そんなとこ睨んでも何にもでないよ」
「黙りなさい」
以前に一度だけ統制のとれた魔物の軍団と戦ったことがある。
戦場にはナオもいたはずだが、そんな事は考えていなかっただろう。
そも――ナラクで敵味方問わず吹き飛ばさざるを得なかったのは何故か。
――統制のとれた軍隊のような動きをする魔物に、人間は勝てないからだ。
「何にしても馬車はでないよ。済まないね」
駅員に言われ、一言礼を言って一旦駅の外まででた。
アキタ駅は最北端だけに規模は大きいが、行き来する人間は極端に少なく、妙に閑散としている。
馬車が動いていないのだ。大陸のどこにも繋がっていない駅など、こんなものだろう。
「徒歩で行くには少し厳しいぞ」
「判っています。そんな事より何か良い魔法はないんですか」
自分も魔法を操っているという事を忘れたような発言をしながら、フユはずんずん歩いていく。
「あー……ユーカ、ちょっと」
ナオの小声に、ふと立ち止まって振り向いた。
ナオは困った表情で右手を自分の顔の前で立てる。
「ねーちゃん、ダメだって判ってても言っても聞かないから、ほっとくか着いていくしかないよ」
だからごめん、と。
ユーカはくすりと小さく笑うと、両肩をすくめて見せた。
言霊も、ユーカの使う魔法も基本原理は同じ。
その発動要件と『練り』が異なるだけだ。
言霊が言葉を媒介として作用するのに対し、むしろ原理的で何でもできるのが魔法だが、人間の魔力はたかが知れている。
実際魔法使いの数が少ない事からも、それはよく判るだろう。
「焦りは禁物だ、頭を冷やすのを待とうか。でも、ナオ」
ユーカはフユの背中に目を向けて、ついと細める。
「羨ましいな」
「……え?」
ナオは何を言われたのか判らなくて思わず聞き返したが、もしかして恥ずかしい事を言われたような気がして真っ赤な顔をする。
急に無言になる気配に顔を向けて、含み笑いをすると呆れたようにため息をつく。
そんなユーカにぴとりと張り付くミチノリ。
はっきり言って空気読めない上、実はかなり恥ずかしい。
「……恥ずかしいなぁ、もう」
「ナオ。お前判って言ってるだろう」
酷く困った貌をして、ミチノリの妙な自己主張を右手で押しとどめようと彼の頭を押さえつける。
「こら離れろ」
「なーうーんー」
ごろごろ。
「俺ちょっと行ってくる」
「あ、おい」
姉の元へと駆ける彼を見送るしかなく、がくりと肩を落として眉根を揉んだ。
それでもぴとりと抱きついたミチノリを見ると、にへらと笑みを湛えて彼女を見上げる。
完全に弛緩した彼の笑みに、呆れて彼女まで弛緩する。
「でもぉ。羨ましいぐらいならやめちゃえばよかったのにぃ」
思わずその弛緩しきった緩い笑顔を睨み付け、ユーカは無言で口を歪める。
「お前」
緩んだ顔つきに反した鋭い視線と言葉。
ユーカは難しい顔をして睨み合いを続け、やがて根負けしたように視線を逸らせた。
「辞められるものか。今更、職業や信念ならいくらでも曲げてやる。しかし」
逸らせた視線をついと上げ、穹を見つめる。
雲一つない美しい蒼穹。
その向こう側が見通せるような錯覚まで起こす穹。
「生き方まで――今まで生きた自分の人生まで、変える事などできる物か」
だから羨ましい。それは――自分では望んでも代え難いものを手に入れている者への羨望。
判っていても、それは棄てられない。
「今更ぁ」
相変わらずのとろんとした巻き舌で、舌っ足らずに聞こうとする彼の頭をこつんと殴る。
「五月蝿い黙れ」
そして、無理矢理彼を引き剥がすともう一度こつんと殴る。
「い〜」
「痛くない。黙れ」
フユとナオが何か会話をしている。
じゃれているようにも見えるが、ほほえましいと言えるだろう。
その姿を見るとユーカは、口元を歪めた苦笑を浮かべてしまう。
――これからの過酷さを考えれば、今の平和は充分に享受させるべきだ
様子を窺うようなミチノリに気づき、彼女は肩をすくめた。
「まだ良い方さ。ミチノリと私に比べれば、な」
結局アキタの周囲を怒りながら歩くのを止めたのは、充分に日が暮れてからのことだった。
「全く、ねーちゃん一応有名な軍人なんだから。恥ずかしい」
どうやら今日は恥ずかしいを連発する日のようだ。
ナオの言葉に恥じらいもせず、頬を赤らめもしないフユだが。
ともかく今夜は取りあえず宿を取って一休み、夕食後会議を開き方針を決めると言うことになった。
「お前達がふらふらしているうちに情報は集めておいたぞ」
と、ユーカ。
実際フユがアキタの周りでふらふらしていた時間は結構なものになった。
ユーカはそのうちにこの周囲を回って色々話を聞いてみたのだ。
「まあ、一番有力な情報が瓦版だけというのは仕方のないことかもな」
と言って、購入した号外を広げて見せた。
その新聞には、地図が描かれている。ニホンの地図だ。
「魔物の軍勢は、魔城と言われる山を中心にしてシズオカを壊滅させている」
新聞の地図の中央に大きな三角が描かれている。
「魔城」だ。
伝説に寄れば、切り立った巨大な岩山の中央部に魔王の住まう部屋があるとされているので、このニホン一大きな山が『魔城』で有ると言われる。
「丁度魔城を取り囲む周辺は、まさにぺんぺん草も生えない廃墟になっているらしい。魔物の巣窟だな」
それはとんでもない状態であると言うべきだろう。
今までそう言う事が史実として存在しないことは彼女は勿論、殆どの人間が知っている。
「根絶やしにするつもりか?!」
ナオが声を荒げるのを、フユが一睨みで制する。
「な、そ。……」
そして一呼吸して、一転して小声で続ける。
「魔物ってそんなに強力だったのか?」
「……まぁ、そう言うことだろう」
フユの視線が一瞬だけ哀しげに細められたが、次にユーカに向けた時にはいつもの――いや、二割三割は当たり前増しの強さで彼女を見つめた。
「我々の仲間は勿論、将軍ほどの言霊師でも一気にこれを片付ける事は出来ないだろう」
「相当の準備が不可欠ですね」
あの『ナラク』規模の言霊を大陸レベルで配置するとなると、幾何学的計算に加えて発動遅延のための計算が必要になる。
細かい誤差を含めて補正を行うとなると、今度は配置する言霊触媒の混合比にも影響がでてくる。
あの砦規模がせいぜいできる限界であると言うべきだろう。
「それに都合の悪いことに、奴らは限界以上の物量で押し切っているらしい」
「!」
一瞬トマコマイ砦のスタンピードを思い出してナオの貌が青くなった。
統制のとれた有象無象の軍団というのは怖ろしい。
何故なら、防御する側の準備ができないからだ。
「まさに蹂躙されたような町もあるとか」
物量と力、そしてそこに相応の戦術が加わればどうなるか。
怖ろしい軍隊のできあがりである。
「それで」
フユは彼女の報告を聞き終えたあとで、すぐにそう付け加えた。
「私達が目指す――ユーカの魔法で追っている魔物の場所はどこですか」
ユーカは一瞬眉を吊り上げるようにしてフユを見返し、クスリと小さく笑みを浮かべた。
「ここだよ」
そう言って指を差したのは――