魔王の世界征服日記
第109話 暗転
ウィッシュは、今魔城入口からゆっくりと魔王執務室へと向かっていた。
魔城は、魔王の脱出防止のために入り組んだ迷宮と化しているというが……その実、迷宮化の効果は魔王にしか現れていなかった。
実際に魔城に来ればどれだけ機能的に出来ているか判るだろう。
うけつけ。ここには時々アクセラとシエンタも座っている事がある。
そして、床にしかれた絨毯の色で、行き先が判るようになっているのである。
緋色の絨毯は魔王執務室へ向かう印。
その柔らかい道を、ウィッシュは一歩一歩踏みしめるようにして歩いている。
既に魔城は臨戦態勢を整えるために一次待避に入っている。
この後二次待避がかかると、大変形・モードを発動する事ができるようになる。
変形を行うと中がぐちゃぐちゃになるので待避する必要があるのだ。うん。
実は魔城は巨大な魔物なのである。
土牢のウニモグと並び、魔城チゼータ75は自らの意志を持ち魔王を守るための最大の魔物なのである。
ちなみに土牢ウニモグは実は気さくで、酒好きなところが欠点だとマジェストがぼやいていたのを良く憶えている。
勿論そんなところを利用して、散々土牢から出して貰った事があるから知っているのだが。
――余計なことを知りすぎた代償かな
ウィッシュという魔物はマジェストが魔王に命により、魔王の一部から創造した魔物。
勿論「魔物」のカテゴリには含まれる物の、実際には不出来な模造品。
コピーとコピーにより造られた部品を組み合わせただけの代物。
それが動いているのは――言うまでもなく、魔王の欠片の御陰。
魔王まおの一部、彼女こそがウィッシュの動力源。
だから守る必要もなければ、そんな感情など皆無で、そして、魔王自身の思惑通り、彼の描いたシナリオ通りに総てを矯正する。
何故なら。
それが先代魔王の意志だったからだ。
だがそれは行き過ぎた逸脱でもある。
魔力が枯渇することはないが、人間と違い魔力の塊のようなものなのだが、何故かそれが妙に頼りなく感じることがある。
誤魔化しているのも恐らく時間の問題かも知れない。
――お願いだからもってよ……
何時までも続くような長い道のりを超え、緋色の絨毯は一室の扉に向けて道を示す。
彼女は躊躇いなくその扉をノックした。
控えめに、甲高く二回。躊躇うようにもう二回。そしてため息を付くと諦めて扉を開いた。
「魔王陛下」
「すー……ふひぃー……すー……ふひぃー」
亜麻色の髪の毛の塊が見える。
間違いなくまおの頭だ。
そこから腕が生えている。いや違う。
両腕を思いっきり伸ばして机に突っ伏しているのだ。
丁度ここからだと顔が見えないので、亜麻色の毛玉に腕が生えているように見えなくもないのだ。
「ちぇ。なんだかばかばかしくなってきたよ」
後頭部をがりがりかくと、ため息をついてつかつかと机に歩み寄る。
そして、両手をとん、と机におくと体重をかけてまおの頭に顔を近づける。
「まお様」
「ひゃえ?ほー……」
謎の声を上げて毛玉がごろりと転がり、まおの寝ぼけた顔が現れる。
ウィッシュは頭の上にくしゃくしゃの線が飛びそうなぐらいしかめっ面をして、体を起こした。
何となくマジェストに頭が一生上がらない気がした。あがらないけど。
「ほーじゃありませんよ。仕掛け、終えてきました陛下」
目をごしごしとこすって体を起こすと、「ん」と短く返事をして、彼女は椅子に座り直す。
何度も見た光景だが、やっぱり体に合ってないし凄く不自然だ。
別な言い方に変えれば、幼さが強調されてしまい可愛いと言うべきだろう。
「そか、で?」
「はい、魔王陛下。カキツバタ=キリエを人質として罠を構成しました」
やはりまおは短く応えると身を乗り出すように執務机に両肘をついて両手を合わせる。
「……陛下、判ってると思いますが遠慮も油断も禁物ですよ」
「判ってる。そんなの。……じゃないと、意味がないんでしょ?」
「ええ。陛下には非常に問題ではありますが、カキツバタ=キリエはミマオウ=ナオと非常に強い結びつきがあった。……キリエさんには、悪いけど」
まおは顔色を変えない。
「そのぐらいがまんしてもらお。キリエー私きらいー」
ぷっと頬を膨らませるまお。
ウィッシュは思わず小さく笑い、「そうですね」と思い出しながら応える。
「多分これから一番のライバルになるんじゃないですか?ほら、ナオさんは非常に鈍感ですからね」
ぽんぽん、とまおの頭を軽く叩いてにこやかに言うウィッシュに、まおは口を開けて不思議そうな顔で見上げる。
「そーなの?」
おやおや、この子もまだまだだ――ウィッシュは思わず頭を撫でて、何も応えずに微笑み続けた。
「一応、修正は範囲内だったので激しい動きはしていません。でも多分、もう二度とこれ以上の修正が効きません」
「……消えたりしない?」
一転して不安そうな声で、まおはまるですがるように言う。
「まさか」
ウィッシュは応えながら、それが淡い考えだと気付いていた。
完全ではない。
多分、もう一度『世界の修正』を行えば保たない。
――天使で偽装して……偽装が完全じゃなかったら追跡されている
人間が辿っているように、『天使』は最も『世界』に近い存在なのだ。
自ら切り捨てる――結果的にそう言う事にもなりかねない事は判っているのに。
今目の前でどこか寂しそうな顔をしている少女を見れば、その決意が揺らぐ。
もう一人の、別の姿をした自分。
そんな親近感も重なる。
「まおさまの、わがままから生まれた私は勝手に消える訳にはいかないでしょ?」
するとぷっと頬をふくらませて眉を吊り上げる。
「私じゃないもんっ!前の奴が言ったんだよ!しらないよそんなの!」
くるくると良く回る表情。
きっと人間的に成長すれば、可愛らしい女の子になるのではないだろうか。
「まおさまは」
きっと綺麗な女の子になる。
ウィッシュは自分がどれだけ優しい顔をしているのか気付いて、でもそれ以上言葉を紡がずに、代わりに続ける。
「本気でナオさんを『殺』さなきゃいけないんですよ」
ぴたり。
まおは口元をぴしりと一文字に決めて黙る。
「『魔王』が『勇者』を指定したのに、そしてもう引き返せない罠まで用意したのに」
実際には違う。
戻ろうと思えば幾らでも戻ることはできる。
そう言う風に出来ているから。
でも、それはウィッシュを切り捨てることになる。
彼女だけは戻らない。戻せない。
彼女は異分子――まおとマジェストと、天使と世界と、そのいずれにも当てはまらない存在。
恐らくこの『世界』における最大のイレギュラー。
「ホント o(゚Д゚)っ モムーリ!なんていいませんよね」
「……あの。私、そう言うのきらいだって言わなかったっけ」
あら、とウィッシュは驚いたように目を丸くして、きょろきょろと周りを見回す。
「じゃ、やりなおしましょうか。なんだかシリアスなシーン台無しですね」
「判っててやるな」
くすくす、とウィッシュは笑い、執務机にちょこんと腰掛けて彼女を見下ろす。
「無理ですよ、シリアスなんか。魔王陛下、まお様はこれからこの難関を越えて笑っていられなきゃいけないんだから」
最大の難関を。
忘れてしまった総てを取り戻して貰わなければならないのだから。
――魔王として過ごしたこの年月の中で失われた総てを
「それから。――これは多分ご存じないでしょう、マジェスト様のことですが」
「ん、今いないよね」
ウィッシュは小さく頷き、真剣な表情を造って見せた。
「陣頭指揮を執られて、全軍により出撃。既にシズオカ周辺は完全に人間が死滅しております」
まおの貌が驚きと怒りに彩られる瞬間、酷く哀しそうな貌が過ぎった事をウィッシュは見逃さなかった。