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魔王の世界征服日記
第108話 黄昏の猛毒


 まおは必死になって思い出そうとしていた。
 実は必死と言うほど真剣ではなかったが、あまりに遠い、同じ自分とは思えない違和感だらけの記憶を掘り返していた。
 思い出そうとしていた。
 整合性のない記憶の欠片のように感じるが、それは先代魔王、つまり死ぬ前の自分があまりに違いすぎるからだった。
 その魔王は体格の良い男性だった。
 決して年老いては居なかったが、まおのような子供ではなかった。
 だから記憶がはっきりしない。自分のものとは思えない、霞のかかった記憶。
 まおが子供子供しているのもこのせいだった。
 だが、どうやらそれだけではない事にも気付いた。
――黄昏の猛毒
 神を滅ぼすために神が使った、曰くある代物だ。
 勿論そのため、魔王にも良く利く。というかひとたまりもない。
「まじー。黄昏の猛毒ってなんなの?」
「は」
 マジェストはいつもの恰好でいつものように小さく頷いて応える。
「端的に言いますとRagna毒で御座います」
「誰が略称言えって言ったのよ。せつめーしてよまじー」
 マジェストは取りあえず無茶苦茶嫌そうな貌をして、眼鏡をくいと中指で押し上げる。
「仕方がありませんねぇ」
「……なんでそんなに嫌そうに答える」
 まおがジト目で睨むのを無視して、彼はほくほくとふところから大きな紙束を出した。
 A1と呼ばれるサイズの紙束を、やたら長い木製のバインダーで押さえた代物、教育用チャートという奴だ。
 表紙には『マジェスト先生の『よく判る黄昏の猛毒講座』』とポップ調の文字で書かれている。
 どこからともなくアクセラとシエンタがチャート用のスタンドを持ってきて、執務机の前にセットする。
「では、三時間目の授業は『黄昏の猛毒』について勉強しよう」
「いきなり三時間目?!しかもなにこの雰囲気っ!」
 すちゃ、と俗に大学帽と言われる四角い頭の帽子を被るマジェスト。
「あーあー、もう、駄目じゃないかキミぃ。これは『魔王の頭の中』なのだから何でもありなんだから」
 え。
「あれ?えと。……おや?んじゃ、なに?まじーに見えるけど実はまじーじゃないの?」
「YesYesYes〜!おまいがっ!って感じで御座います陛下」
 ぺこり。
 勿論納得していないまお。ともかく、今ここは執務室ではなく、まおの記憶の中、つまり夢らしい。
「ちぇ。なんだよー。夢なら夢ってせつめいしてよー」
 ぽん、と彼女の目の間に大きなショートケーキが姿を現す。
「こらこら」
 ぼん、とことさらに大きな音を立ててケーキが消える。
「今この夢は私の支配下にある。魔王陛下と言えども勝手は赦されません」
 がびん。
 そんな貌で凍り付くまおだが、マジェストの姿をしている彼もいわば魔王だ。
 尤も本物もそうなんだが……まあともかく、そんな感じでまおなど眼中になく、彼はこほんと咳払いした。
「と言うわけで黄昏の猛毒についてお話ししましょう」
 黄昏の猛毒とは。
 その昔神話の世界では、十三人の神のうち、一人だけ裏切り、十二の神を殺す際に使用したものと言われている。
 実際たった一人で十三人に戦いを挑んでも勝てる見込みがなかったから、知恵とこの『毒』を使用したとか。
「実体は、剣の形をしていたらしいのです」
 ぱらり、とチャートをめくると剣の絵が描かれている。
「黄昏の猛毒、と呼ばれたそれは、神にとっては勿論のこと……」
 次のページをめくるマジェスト。
 そこには単純化された人間の形の絵に、爆発したようなギザギザ模様が赤く描かれている。
 ちょっと見、ヒトガタが萌え、もとい燃えているようにも見え無くない。
「ここにおける人間という存在その物にも大きな影響を与えるものでした」
 尤もそうでなければならなかったのですが、とマジェストは付け加えた。
 まおはふんふん、と頷きながらも腕をくんで首を傾げる。
「せんせーしつもーん。存在に影響をあたえるー、ってどゆこと?」
「はっはっは。良い質問ですな」
 さらに彼はチャートをめくると、『存在とは』というタイトルが書かれており、先程の爆発のかわりに○が書かれたヒトガタの絵がある。
「黄昏の猛毒は、存在その物を切断、分解、消化してしまいます。勿論人間は耐えきれず、まるで剣で斬られたようになります
 ことり、と音を立てて彼は机の上に壺をおいた。
 そして何事もなかったかのように右手に見覚えのある機械仕掛けの『剣』を握る。
 極端に曲がった柄を持つ、刃の代わりに丁度腕の長さ程度の金属製の棒が取り付けられたもの。
 柄には指の形に凹凸が付けられていて、人差し指が当たる場所には何かのボタンのようなものが突出している。
「ちょ、まってまじー、それって」
「私はまじーではありませんが、まじーでも結構ですよ陛下」
 そう言ってそれを自分の前に突き出すように構える。
 柄を左手で握り鍔の一部に右手をかける。

  がしゃこんっ

 鋭い金属音がして、大きくスライドした鍔。
 しかし作動はそれだけにすまなかった。
 きん、と甲高い音がしてきりきりという聞こえにくい音と共に、金属棒は縦に割れる。
 並行に開いていく。
 一本だった棒は、正三角形の頂点に配置された台形の断面を持つ三本の柱へと姿を変えた。
 間違いなくシコクで見かけた『剣』だ。
「これは、魔王陛下の記憶を元にした「黄昏の猛毒」の劣化コピー品ですが」
 鍔を折り畳んで、彼の指では大きすぎる凹凸に指を這わせて、両手でそれを提げ、人差し指でスイッチを押した。

  ぴしり

 空間を叩いたようなそんな音が響き

  ばりっっ

 球雷が発生した時のような鋭く鈍い音が、その剣身を震わせた。
 そして、火を点したランタンのように、三本の柱の間に光が満ちる。
「まあ、物はさしたる差がありませんからな」
 そう言って思いっきりそれを振りかぶった。
 ぶおん、と音がして、光の刃がまるでマシュマロに熱したナイフが突き通るようなイメージで振り抜かれると、『ごそりと』刃が通った部分が無くなってしまった。
 熱や物理的な切り方ではない。
「効果は本物の通りに表現してみました」
「って、まじー、アレここまで凄くなかったよ!それに」
 マジェストは頷いて、ぽい、と『黄昏の猛毒』を捨てる。
「判ってます陛下。『存在』というのは、存在を示す情報量でして。――我々魔王に示される存在は、この世界では」
 ぱらり、とチャートをめくると、真っ二つになった魔物のイラストが描かれていた。
 これはいぬむすめの断面図である。
 ご存じの通り、娘部分は空洞で『もつ』のような感じの空洞を持ち、頭にやたらめったら何かよく判らないものが詰め込まれている。
「このように、魔物という物はきちんとした『生命体情報』を持っていないため、擬似的な姿を取ることがあるのです。この為矛盾も多く、『黄昏の猛毒』により攻撃を受けた際」
 先程の壺が、突然形を失ってどろりと黒い塊になる。
 見覚えのある、タールのような光沢のある、黒水晶かブラックオニキスを彷彿とさせる塊だ。
「本来の情報へと化けます。魔王陛下や魔物が『斬られ』た時は、人間の『生体情報』では矛盾するためかも知れませんな」
 マジェストがその黒い塊をつまむと、ぷに、と柔らかくへこみ、丁度水の入った風船のようにむにむにと変形する。
 結構柔らかそうだ。もしかして気持ちいいかも知れない。
「……それって、どういう意味?」
「……まだ判りませんか陛下。……つまりですね、魔王陛下も、この世界も、造られた模造品に過ぎないと言うことです」
 そして。
 彼は続ける。
「――この『黄昏の猛毒』は魔王陛下、私、この世界と同質でありながら異質、彼ら人間はここにありながら本来は全く別な存在ということです。ご理解いただけましたか?」

  どどーん

 びくっ、とまおは体を震わせて目覚めた。
 そこは暗い執務室で、ちょっと肌寒かったりする。
 で、お気に入りの恰好いつもの恰好、執務机にぺたーっと体を伸ばして眠ってしまったらしい。
「……あれ?」
 まおは、『存在の話だったのに意味の判らない応えだった』事に突っ込みを入れようとしていたので、取りあえず手近なマジェストを捜そうとした。
 が、物の見事に誰もいなかった。
 ちょっと寂しい。でも、夢の内容でいきなり文句を言われても多分困ると思うが。
 それに、記憶を探っていたはずなのに。
――なんだろ、今のは
 ?マークを頭の上に幾つか飛ばして、彼女は小首を傾げる。
「まじー、ちょっとまじー?」
 返事がない。
 おかしい。
「えー、ちょっとー、なんでいないのー。いないのまじー」
 それは前触れだった。
 だから、唐突でも何でもなかったのだ。
 普段から、マジェストは呼べばすぐ現れる、居て欲しくない時に側にいて、居て欲しい時に呼んでも来ない。
 でも。
 物理的に側にいない時を除けば、普通すぐに現れる彼がいないというのは――そう。二度目だ。
――まじーも何かしにいったのかなぁ
 まおはもう一度変な夢を見ようと思って、執務机に突っ伏すことにした。


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