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魔王の世界征服日記
第107話 ゆうしゃ


 トマコマイに通じる道で、フユ達とユーカは向かい合っていた。
 ユーカは呆れたようにため息をついて、「慌てすぎだ」と微笑むとフユに言う。
「司令に『予定通り行動する』と伝えて帰ってくるように言い含めている。ミチノリが来るまでの時間ぐらい落ち着け」
 フユは唐突と思ったが、確かに彼女の持っているボタンのようなものはあの時アキに手渡している。
 それこそずっと見張っていたフユの目をかいくぐってその話を知ることなど難しいどころか、不可能だ。
 信じるしかない。
「私達はこれから魔物を退治に行くんです。判るでしょう、追撃の最中です」
「場所は判っているのか?何か手がかりでもあるか?」
 魔物の追跡は不可能ではない。しかし、この広い世界の中でたった一人を見つけるという事は砂粒の中から砂金を取り出すような作業だ。
 見えない場所まで逃げた『正体不明の敵』を探すと言うことは不可能に近い相談だ。
「今負っている魔物は魔術を扱う二人組です。魔術痕を追えば追跡が可能です」
 魔術を使う魔物で、二人組。
 ユーカは僅かに目を見開き、ぱちくりと瞬くと右手を自分の頬に、左手を右肘にあてる。
「それなら先程、私も遭遇した」
 淡々と述べるユーカ。
 フユの言う事は事実だが、実際に可能かどうかは明確に言い切る事が出来ない『論理の穴』がある。
 もしそれが諸手を上げて歓迎される方法であるなら、何故彼女は魔術痕を常に拾い続けていたのか。
 彼女は驚いて思わず掴みかかりそうになり、両腕を自分の胸の前で縮めて、我慢する。
 彼女自身その矛盾を知っていたからこそ、彼女は否定されたわけではなくむしろ何らかの手がかりを言おうとしているからこそ。
 我慢して、ゆっくりと腕を降ろす。
「そ、そして、一体」
 ごくり。
「多勢に無勢だったが、どうにか手傷を負わせて逃げてきた」
 あっさり。
「そ、そう」
 あたふた。
 フユは動揺しながら、彼女の言葉を聞いて落ち着こうと必死だったりした。
「どんな奴だった」
 フユの隣からナオが顔を出す。
 眉が吊り上がって、鬼気迫る貌をしている。それに、僅かに彼女は眉を顰め、ついと細めた目を逸らせる。
「そうだな」
 言葉を探しているのだろう、ゆっくり首を傾げて思案するように数回瞬く。
 彼女の形のいい唇が一瞬歪む。
「珍しい魔物だったな、人の形をしてる」
 嘘は付かない。嘘が付けない。
「長い髪の女の子と、短い髪の女の子だった。見たことないような奇妙な服を着ていたぞ?すぐ判る」
「短い髪の娘は吊り目で、おかっぱじゃありませんか?」
 案の定フユは会っているようだ、とユーカは思いながら頷く。
「結構可愛らしかったな。魔物とは思えないが、もう一人がかばっていたぞ。直接戦闘った(やった)のは長い髪の女の方だった」
 やっぱり、とフユは頷く。
「間違いないようですね」
「それに、取りあえず、ほら」
 ユーカは懐からなめし革のような黒い光沢のある欠片を取り出した。
「魔物の衣服の一部だ。これがあれば追跡はできる。焦る理由はないだろう?」

 ミチノリはそれから二時間ほどで戻ってきた。
 いつもの様子で、のんびり鼻歌を歌いながらトマコマイにむかって来るので、ユーカは彼に駆け寄ってぽかりと殴ったりした。
「……前にも、話をしたとおり」
 トマコマイ砦側で日が暮れそうになってきたので、取りあえず野宿にすることにした。
 なおユーカの術によれば、このまま南へと真っ直ぐ下った先に魔物が潜んでいるらしい。
 いや、潜むというのはおかしな表現だろう。
 逃げて、待ち受ける――もしかするともっと別な何か。壮大な罠に仕掛けられたような気分とでも言うのか。
 ユーカが話を始めると、ナオはごくりとのどを鳴らしてじっと彼女を見つめた。
 車座になってたき火を囲む彼ら、フユはちょこんとたき火の側に正座し、その正面にはミチノリが横座りしている。
 丁度対照的な恰好で座るユーカだが、光の加減だろう。光の加減という事にしておけ、ミチノリの方が妙に色っぽく見えた。
「実質、魔王の誘いだと思って間違いない。つまり」
 視線がナオに集まる。
「え」
「ナオ。お前が勇者だ」
 もう一度、彼はのどを鳴らした。
 『あー、憧れたんだよ。勇者っていうよりも、そんな風に強くなりたいなって。なれるのなら、さ』
 キリエの声が聞こえたような気がした。
――なんで
 のどが渇く。だから、もう一度のどをならす。
「ゆ、うしゃ?勇者って、あの、神話とかにでてくるアレか?あの勇者か?」
「……ナオ、私が何故シコクに行ったと思っているんだ?」
 じろり、と睨み付けてくるユーカの視線に、彼は口を噤む。
 言霊師のように力ある言葉で縛るのとは違うが、彼女の真剣な目を見れば判る。
 それが嘘なのか、本当なのか位理解できる。
「……本気で……勇者を捜しに……だって、でも、俺って……」
「精確に勇者を捜したのではなく、手がかりを探しに行ったんだ」
 占いによれば『運命が動くから』だったのだが、勿論そんなことはおくびにもださない。
 出したくないし。
 丁度シーンはシリアスだし。とか、色々考えながら言葉を継ぐ。
「まあたまたま。本当に偶然、何らかの原因でここで『ナラク』が解放された瞬間に勇者が現れたのは確かなんだ」
 ぴくり。
 フユの頬が引きつる。
「そう言えばそう言う話をアキ姉さんがしていたような気がします」
 丁度特命の時に。フユは結構興奮していて、そんな話は右から左だったから気にしていなかったが、記憶に残っている。
「……では私が勇者を作ってしまったと?」
 確かにその時、ナオはトマコマイに居合わせた。
「いいか。これから話す内容は決して真実ではなく、私の立てた推論だ。そのつもりで聞いてくれ」
 ユーカは両手を少し広げて全員を見渡す。
 そして寝ぼけ眼な自分の夫に肩を落としてみせると話を続ける。
「恐らく勇者というのはナンバリングと同じようなものだと私は思っている。血族じゃない、魔王と戦って死んだ人間の息子が勇者であった試しはない」
 ついでに言えば、独身で子供どころじゃなかった勇者の後にも『勇者』が『発生』している。
「……フユ将軍。ナラクでは大勢の対魔軍の人間を巻き添えにしたと聞く」
 ああ、と、返事ではなく嘆息してフユは目を閉じた。
「恐らく対魔軍に勇者がいたのだろう。――ナラクで命を落とした勇者の代わりに」
 ユーカが視線を向ける。再びナオに視線が集まる。
「これはどういう理由か判らない。第一、指名される人間がそれを自覚していることはほぼないそうだが、中には声を聞いたという者もいたらしいが」
「……声?」
「伝承であるだろう?『貴方は勇者に選ばれました』と言う奴だ。伝承では勇者になってしまうが、もしかしたら選ばないという選択肢があるのではないか?」
 今まで誰も勇者を選択しなかったから、今まで勇者は発生しなかったのだろう、というのが彼女の推測だった。
「……声、なんか、聞いてない」
「だろうな。でなければ説明できないだろうな、あの魔物がここに来た理由の、な」
「それとこれと……キリエの話とどう関わってくるんだ」
 それは、とユーカが首を傾げた。
「キリエ?」
 がし、と、立ち上がりかけたナオの肩をフユが押さえる。
「姉ちゃん」
「まだキリエの事は話していないでしょう?良いから座りなさい。私が説明します」

   

※     ※     ※

 
 ぱちぱちと爆ぜる枝。
 たき火の明かりが、いつぞやのゴーレム化した時の残骸に複雑な陰影を落とす。
 防寒寝袋の準備を終えて、たき火に足を向けて横一列に並べた寝袋に全員潜り込む。
 一番端にフユとミチノリ、真ん中二人がナオとユーカである。
 場所柄まとまって眠らなければ寒いが、端は特に寒い。この順番はいわば、守る者と守られる者の差とも言える。
 フユはがんとして聞かないし、ミチノリも『これがあるから』とあの巨大手袋を自分の向こう側においてさっさと眠ってしまっている。
「ユーカ」
 彼女はナオの声に目を向けた。彼は斗穹(ほしぞら)を見上げて、声だけを向けてくる。
「魔王って奴は、何で存在するんだろうな」
「勇者はどうしているんだろうな、という疑問に聞こえるな、私は」
 ユーカはそう言うと目を閉じ、大きく呼吸する。
 隣にいるナオは身じろぎ一つせず、ただじっと穹を見上げたまま黙り込んでいる。
「無駄なことだと思うか?」
「……疑問に疑問で問うのは止めろよ」
 ユーカがくすりと笑うと、初めて彼はユーカの方に顔を向けた。
 だが、もうユーカは目を閉じていて、彼の目には彼女の寝袋のフードしか見えない。
「悪かった。存在意義の話をしているのではなく、現れた理由の話なら神話の通りだと思うが?」
 神が造り上げた存在。
 伝え聞く限り、人間を作った神は、退屈を紛らわせるために魔王と天使を放ち、人間を虐めてみたくなったのだ。
 それを赦せなかった神が、神に叛乱を起こし、総ての神を滅ぼし、魔王を最初にうち倒した勇者となった。
「でもさ。何度も勇者に滅ぼされてるんだろ?……神様の娯楽のために、人間は生かさず殺さずを繰り返しているみたいじゃないか」
「みたい、ではなく、そのものだろうな。私はそう思っているが」
「だとしたら神って奴は酷いだろ?」
 ふむ、とユーカの呼吸が聞こえる。
「……しかし、もうこの娯楽につき合う神は、裏切り者の神によって滅びたんだろう。……もう、魔王は眠りにつくべきかも知れない」
 ユーカの言葉尻は、もう寝息が混じり始めている。
「それって、一番最初の勇者の話だろ……一体、何百年おなじ事を繰り返して……一体、何をしてるんだろ、俺達」
 返事はなかった。
 そして、返事を待つほど、彼も起きていられなかった。
 夜はゆっくりと、一気に更けていった。


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