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魔王の世界征服日記
第106話 矛盾


 執務室の椅子に、力無くへたりこんだようにも見えるまお。
 シエンタとアクセラが掃除を終えても、彼女は視線を床に向けたまま動こうとしなかった。
「まお様、掃除終わった」
「ご苦労様」
 気づいて顔を上げたが、二人は無言でまおの方を見つめている。
「ん?なに?」
「まお様元気ない」
「どうかしたんですか?」
 二人は常にまおの側にいて、まおの世話をするのが役目。
 細かい変化は、彼らにとって手に取るように判る。
 まおは少しだけおかしくなって、くすりと小さく笑うと、足を組んで自分の肘を乗せて、両手を組む。
「ありがと。……ちょっとお話きいてくれるかな」
 こくこく。
 二人も何故かそのまま床に正座すると拝聴もーどに入る。
「えとねー」
 まおは、ゆっくりとこの間のシコクの旅の話を始めた。
 この城を出るのに、ものすごく苦労したこと。
 なんとかサッポロまで辿り着いたこと。
 ウィッシュとヴィッツが手を出すより早く、どうにか追いついたこと。
 色々あって、記憶をなくしながらシコクで大変な目に遭ったこと。
「人間ってさ、すごいんだよ。でも、一生懸命なのに、それが叶うとは限らないの」
 力が足りないこともあるだろう。
 命が足りないことだってある。
 それでも必死になって、何かのために戦う。今も戦い続けている。
「もし、さ。ものすごい力があって、それらを総て叶えてあげられるとしたら、それを選んでも良いと思う?」
 ぱちくり。
 二人は同時に瞬きして、お互い顔を見合わせて、まおの方を向く。
「それってまお様がやるの?」
 まずシエンタが口を開いた。
「ううん、違うけど」
「まお様は虐められてたら止めたくなるんだ」
 アクセラはうんうんと頷きながら言う。
「そっかな?うーん、そうかも。助けてあげたいって思うじゃない」
「やさしい」
 アクセラはにかりと笑って、また頷く。
 まおはえへへーと言いながらアクセラに手を伸ばして、彼の頭をなでなでする。
 シエンタは少し悔しそうな貌で、ほんの少し羨ましそうに口元を歪める。
「まお様。まお様はまおうへいかでしょう?」
「ん、そだよ」
 小首を傾げてシエンタの貌を見る。
「まお様、人間より凄いと思う。でも、まお様は魔王陛下だから、人間を滅ぼさなきゃいけない、敵でしょ?」
 うんうん、とまおは頷く。
「だったらさ。……別に、直接叶えても喜ばれないと思う。でもきっと何かできることは有るはず」
「そだねそうそう。うんうん。ありがと」
 きゅ。
 椅子から身を乗り出して、座ってるシエンタの頭に手を伸ばして抱きよせる。
 なでなで。
「今までありがとね。色々。ね」
 なでなで。
「いいえ、まお様の為ですから」
 にへらー。
 そして、そのままアクセラにも腕を伸ばして、二人を抱きしめる。
 いままでこんなごほうびをもらったことのない二人だけに、流石に焦って身じろぎする。
「ま、まお様」
「そうなのよねー。私、敵なんだよね。だからさ、時々寂しいことがあるんだよ」
 こんな事なら出会うんじゃなかった。
 まおは言葉にせず、『人間』だった数日間を思い出して目を閉じる。

『ロウ。昼食は終わりましたわ。早く自室にお戻りになって』

 姫と呼ばれた少女。
 ロウの、驚いた目。
 そしてグザイの言葉。

  この娘、人間じゃ――ない

 ロウはどう思ったのだろう。
 誰が悪い、何が悪いなんて何も言えない。ただ態度を急変させたグザイが――怖かった。
 ロウは?
 それまで散々酷く扱われて、でもグザイを羽交い締めにして止めてくれた気がする。
 何故?
「ヒトを、誰かを大事にしたいって思うのはおかしいのかな」
 シエンタもアクセラも、まおの言葉に応える事は出来なかった。

 好き。
 多分、そんな単純な感情なんかじゃない。
 誰もいなくなった執務室で、まおは机に両肘を付いて頬杖で考え込んでいた。
 死にそうになりながら戦う人間達。
 殺そうとしているのは魔物だ。まおの配下だ。
――世界を征服しない魔王はこの世に存在できません
 本当に?まおはマジェストの言葉に反論する。
 もしそうなら、何故こんなにヒトに。
 どうして、この間のあのシコクの数日間が大切に思えるのか。
 あの後、ロウはどうなったのか。
 そして――ナオはどう思うんだろうか。魔王だって言っても多分信じてくれない。
 でも信じさせたら彼はなんて言うんだろうか。
 想像できない――したくない。
 まおはため息を付いた。
「恨む……かな」
 左頬に体重を乗せて、右手はひじを付けたまま机の上に人差し指を押し当てて、くるくる円を描く。
「なんで魔王なんだろな」
 試しに記憶を探ってみる。
 自分の中に残った先代の記憶。自分ではない自分の記憶。
 どうして彼は、今の自分を求めたんだろうか。
――こんな気持ちになるなら、こんなに辛いなら女の子なんかいやなのに
 思わず両目涙がたまる。
――ヒトが怖いのに。こんなに怖いのに。死にたくないのに。殺されそうになったのに
 どうして。
――もうこれ以上傷つけたくないのに。傷つきたくないのに。裏切られたのに
 何故。
――信じたいのかな……。助けてくれるって、思ってるのかな?どうして……
 酷い矛盾。まおは訳が分からなくなってそのまま机に突っ伏した。
「魔王陛下」
 がばっ!
 慌てて体を起こして、顔を両腕でごしごしこすって、大きく両腕で伸びをして。
「な、なななに?なにかあった?」
「……何を大慌てしてるんですか陛下」
 ふう、とため息を付くマジェストの右手に、大きな銀の盆が乗せられている。
 ふわりと柔らかい香りがした。
「いつか、食べさせてあげられなかったので」
 彼はそう言いながら、執務机の上にお盆を置いて、蓋を取る。
 濃厚な酸味のある甘い香りが舞った。
「うわぁ」
 ブルーベリーソースのかかった、白いレアチーズケーキ。
「どうぞ」
 マジェストはそのまますっと身を引いた。
 まおは、一瞬ぱっと顔を明るくする。が、そこまでだった。
 凄く嬉しかった。だから。
「……魔王陛下?」
 マジェストが訝しがるうちに、彼女は俯いて震え出す。
 自分でも訳が分からないまま、先刻の事を思い出して涙が止まらない。
 焦ったマジェストが近づいてくるのが判って、たまらずまおは彼に抱きついた。
 彼は何も言わず、ただまおの頭を撫でるようにしてあやして、泣きやむのを待つことにした。
「落ち着きましたか?」
 マジェストを離すと、まおはこくんとうなずいて、チーズケーキに向かい合う。
 フォークを手に取りながら、彼女はマジェストをちらりと見上げる。
「まじー」
「は」
 いつものように答えるマジェスト。まおはじっと彼を上目遣いで見上げる。
「……ありがと」
「いえ」
 短い彼の返答に、にこっと笑ってチーズケーキを食べ始めた。
「本当はさ。……魔王って人間を全滅させたら駄目なのよね」
「陛下、それは……」
 まおはチーズケーキをフォークで小さく切り分け、ゆっくりソースを絡めながら一口大の塊を口に運ぶ。
 柔らかい。ちょっとつつくだけで形が崩れる。
「ゴキブリ並に増えるアレだもんね。徹底的に減らしたら、勇者が魔王を、魔物全部を滅ぼす。……つかの間の平和に、人間が増える」
 話ながらまおはチーズケーキを食べ続ける。
 段々、ケーキは小さくなって、最後には一口大より小さくなった。
「なんで?『本当は滅ぼさない』のに、そんな回りくどいことをし続けるの?」
 マジェストは黙り込んだ。
 何故なら、まおの話は魔王に抵触する話だからだ。
 それは語ってはならない。語れないように設定されている。
 語ろうとすればその記憶は封鎖され、元の思考ルーチンに戻る。
 結果、意味のない堂々巡りを続けて黙り込むしかない。
「バグですな」
「バグ?」
 きょとんとしたまおの顔に、マジェストはくい、と眼鏡を押し上げて無表情で答えた。
「最初にそう決めた……神の設定ミスですよ。最初に神が決めた仕様とは、実はかなり違うということです」
 結果として未完成になった。
 だから、色んな歪みや矛盾がある。
「魔王陛下などは良い例でしょう?でも、最後に殺し合った『神々』も、今やただの人間。……ですが」
 す、とまおに近づくと、マジェストは右手を彼女の頬に当てる。
 まおはくすぐったそうに顔をしかめるが、ふりほどかない。
「魔王陛下。貴方は……神がこう定めたのですよ。『人類を愛する事のできる存在になれ』と」
 酷い矛盾。
「どうして」
「そして、陛下。陛下は『魔王』ですが我々の統括ではないのです。いわば、異分子ですな」
 マジェストは右手で彼女の頭を撫でると、彼女から離れた。
 まおはまだ不思議そうな顔をしている。
「一番神に近い位置で、私達を見ることのできる方なのですよ、魔王陛下は」
 先代魔王が、彼に命じて作らせた『ウィッシュ』と『ヴィッツ』。
 そもそも『勇者』に対抗する為にそれらは存在した。
 何故先代が、今代の為に作らせたのか?――言うまでもない。
 彼はまおを望んだから――その為の安全装置は必ず必要になるはず。
「じゃあ神って?何?」
「この世界総てをお作りになられた、今は存在しないものでございますよ、陛下」
 存在しないから、訂正できない。もう修正の出来ない不具合だらけのこの世界を、どうにか当初の目的どおりに動かそうとして。
 それを探ろうとする、不届きな人間どもをどうにか排除して、同じ轍を踏まぬように。
 それは、しかしそれはまるで――世界を組み立てた神の意志ではなく、彼らの真意に気付いた初代勇者、『穹』を意味する神の想いなのかもしれない。
「この世界は、神の愛そのものでございます」
 だからどうにか、彼(か)のものの願いの通りになるように。
 まおは彼の言葉にくすりと小さく笑った。
「おかしいよそれ。おかしい。だってさ、だって。……へんじゃない?」
「おかしい?そうでございますな。魔物が神の愛を語るなんて非常におかしいことかも知れませんな。でも」
 しかし。
 神がこの世界の総てを作ったので有れば、神の味方も居なければ敵も居ない。
 この世界というのは神の思いのままに作られた『神の所有物』。
 だれも、彼のものを否定できないし、彼のものを憎む必要もなければ、敵対する理由なんかない。
「創造主に対して、きっと抱くことができる感情は、感謝と、愛情だと私は思いますよ、魔王陛下」


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