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魔王の世界征服日記
第105話 執務室


 シエンタとアクセラは、石畳の隅から隅まで綺麗に掃除をしていた。
 右手で薄い定規を持って、ごりごりと隙間を削るようにしてゴミをとるのだ。
 意外と石畳の隙間には色んな物が詰まっている。綺麗な石のかけらとか、金貨とかは言うに及ばず。
「あ、まお様の写真みつけた」
 多分マジェストが落としていったのだろう。
「……ボクはだんごむししか見つけられないよ」
 ともかく綺麗にしなければならなかった。
 そんな二人の様子を見ながら、まおは執務机で両頬杖を付いて、大きくため息を付いていた。
 魔王。勇者を待つしかない存在。
 世界を征服するための軍団を率いて、世界を滅ぼしてしまう力を持ちながら。
――英雄の居ない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸……か
 では、求める人が居ない時は不幸でも、求める人が必要な時というのも、きっと不幸な状態に違いない。
 本当は、何百年も前に定められた勇者によって滅びていたのかも知れない。
 最初に暴れていたときに、定められた彼をさくりと殺したことが始まりだったのかも知れない。
 今更。
――そう、いまさらだよね
 あれから一体どれだけの時間を怠惰に過ごしてきたのだろうか。
 『魔王が勇者を殺してしまう』という事はどれだけの影響を与えたのだろうか。
 あの時代、確かに魔王の力が隆盛していた。
 世の中は英雄を欲していた。
 きっとそれは今より不幸で。
 だから、多分あれから今まで、きっと英雄になる人間は現れず。
 勇者はこなかった。
 きっと。
「まじー」
「は」
 まおの真後ろに唐突ににじみ出す、マジェスト。
 しかし神速の足裁きで一瞬にして、掃除をするアクセラの側に行き取りあえず写真を回収する。
「やだー、一枚ぐらい欲しいですマジェスト様」
「五月蠅い、これは私の大切な宝物なのです。拾ったら返しなさい」
 まったく、と言いながらズボンをはたき、埃を払う。
 じと。
「や、魔王陛下、いえ、そのですね。何のご用でしょうか」
「……まじーに聞くべきか今非常に悩んだけど」
 あっはっはと後頭部を掻きながら、彼は豪快に笑うとすっと一礼する。
「どうぞ陛下。何なりと仰ってくださいませ」
「んあ。……結局さ。魔王の存在意義って勇者に倒されることなの?」
 これは聞かなければならないと思った。
 『ウィッシュ』のような存在が必要な理由。
 そして今の自分が、魔王という存在について記憶がほとんどないという理由。
 その代わりにまおには自由意志に近い思考能力が与えられていて、まおに従うように設定された魔王軍が存在する。
 しかし、魔王軍は自由に思考することは赦されず、設定に強制的に従う。
 そんな魔王は、何故この世に存在するのか。
「陛下。魔王は勇者により滅ぼされなければならない定めで御座います」
「うそ。それへんだよ。だって、私勇者を倒しちゃったよ!」
 両腕を机に叩きつけるようにして、そのまま体重をかける。
 若干前のめりになって、彼女の前で項垂れるマジェストも見下ろすことができる。
 マジェストはすっと顔をあげ、すぐにその態勢を入れ替えてしまう。
「そうでございます、陛下。……その後陛下はどうなりましたか?」
「あう……」
 慌てて飛び出して、後ろから羽交い締めにしたのはマジェストだった。
 ずるずると魔城に引き返し、こんこんとお説教をした後、まおは二度と外に出して貰えなかった。
 いや、自分ででようとは思わなかったのだった。
「トラウマに触れるのは忍びがたいですが、あの時は魔王軍団の動きもほぼ凍結してしまいました。陛下が動かなかったからで御座いますが」
「私が悪いの?!」
 マジェストはゆっくり首を振って、彼女の言葉を否定する。
「違います陛下。勇者でも英雄になれない者は存在します。魔王はそんな半端な勇者を蹴散らすだけの権限があります」
 実際に、『勇者』ではない人間がここに来ることもあった。
 魔王軍を蹴散らせる程の力を持った人間は、何も一人ではないのだから。でも。
 彼らは定められた『勇者』ではないという単純な理由から消された。
 問題は、と彼は続けた。
「要するにバランスなんですよ。あの直後から人間の軍備は極端に拡大し、たった一人の英雄を必要としなくなってしまった。皮肉なことに、勇者の死と魔王の停止が、人間に力を与えた」

  ばたん。

「わ」
 いきなり執務室が真っ暗になり、掃除をしていたアクセラが突き指を、シエンタは激しい音を立てて転んだ。
 かしゃん。
 そんな機械的な音がして、かしゃかしゃという音と共にまおの目の前に四角い光が映し出される。
 5、4、3……右下に映倫の文字。
 一瞬真っ白になると、タイトルが下から起きあがるように表示される。『勇者がいなければ魔王は滅びない』
 筆で書かれたその文字は、まあ良くあるドキュメンタリー番組のタイトルのようだ。
「それまでも、人間は武器を持って魔物と戦っておりました。しかし、必ず魔物は勇者と呼ばれる人間が現れて、魔物を殲滅していたのです」
 勇者という存在が英雄視され、魔物がどこにいるのか、何時現れるのか、人間達は戦々恐々していた。
 魔物の昼夜を問わない襲撃に対して、そのたびに人類は犠牲を出しながら対処していた。
「勇者に選ばれなかったような単純な人間は、魔物に食われ、あわよくばここまで辿り着いても陛下がばさりと」
「ふつーの人間じゃ勝てる訳ないぢゃん」
 ふん、と鼻息荒く言うと、どかりと椅子に座る。
「陛下は伝説の存在。勇者も伝説の存在。人間達はこの傲慢な支配者に、勇者の再来を求めるのは必然」
 映像はぱらぱらと流れ、逃げまどう人々を喰らう魔物が映し出される。
 魔王直々に大暴れするシーンもある。
「しかし陛下は」
 見覚えのある男の子が画面のなかでアップになった。
 まだ幼い、何の力もないような男の子。
 きっと強い目の光を湛え、両腕を大きく広げて、何の迷いもなく立つ姿。
 まおは唇を噛んだ。
「勇者を見つけてしまった」
「もうやめてよっ。説明するなら言葉だけでいいじゃんっ」
 
 だん
 
 まおが立ち上がった途端、執務室は元に戻った。
 同時に映写機ががーと音を立てて引っ込んで、やれやれとアクセラとシエンタが掃除を始める。
「……失礼いたしました」
 マジェストは何も言わず、ただそれだけ言うと僅かに頭を垂れて非礼を詫びた。
 まおは、ぷっと膨れた顔で両目に涙を浮かべている。
「性格悪い」
「良く言われます、特に陛下に。……あの強気な子供に、よく似ているような気がしませんかな、陛下」
「誰が」
 マジェストは驚いたように目を丸くして、『何を言うのか』というような顔だけ聞き返して、元の貌に戻る。
「話を戻しましょう。何故か、その後すぐに魔王は外にでなくなり、魔物の襲撃も不意になくなった。そうなれば人間は軍備を固めます。当然でしょう」
 勿論マジェストが閉じこめたからに他ならないが、人間達は『魔王がでてこなくなった』理由は判らなかっただろう。
 だが喉元過ぎれば。人間はすぐに次に魔王が顕れるまでの僅かな時間を利用するのは必然だった。
 街、国、城を上げて、魔物対策の工事が突貫で行われ、魔物との戦いのための軍隊も編成され始める。
 それまで数名の魔物退治、通称『狩人』と呼ばれるものたちもいたし、今も存在するが、訓練された軍隊の比ではない。
「べつにそれだけなら良かったのです、陛下。……今勇者が選ばれたとしても、きっと彼は『勇者』である事に気づくこともなければ、その必要性すらないのです」
 まおはまだ機嫌悪そうに眉をつりあげているが、涙は振り払ったのか欠片も見えない。
 ただマジェストの言葉に耳を傾けている。睨みながら。
「こうして、先代魔王陛下の時代のような、混沌とした世界と平和を繰り返す状況は一変しました」
「そね。……うん。昔はそうだったよね」
 別にこれに始まった訳ではない。今までも軍備増強は無かったわけではない。
 問題は、以前と今との大きな違いがあったことだった。
「勇者の年齢は当時恐らく七、八歳というところでしょう。十年分ぐらい人間の数が多すぎたのは、その後の二百年にとって手痛い話でした」
 彼はグラフを取り出して人口の増加率を指し示す。
 いつもの平和期のおよそ十倍以上もの増加が認められたが――面白いことに、それ以来『増加』していない。
 まおはぺたん、と机の上に身を投げ出して横たわる。
 彼女の好きな姿勢の一つだ。両腕をだらーんと机の上に伸ばして、顔を横向きに頬を木製の机に押し当てる。
「……ゴキブリなみよね」
「おっしゃるとおりで……。御陰で、魔王陛下の活動再開時には、もう人を滅ぼす事が難しい状況になっていたのは事実でございます」
 英雄の必要もなく、魔物との争いが蔓延し、普遍的な『擬似的な平和』に満ちた戦いの世界。
「陛下が真面目にやらないから、いつまで経っても勇者が現れないのですぞ」
 くい、と中指で眼鏡を押し上げる、お説教モードのスイッチをマジェストが入れる。
 まおはそれを見ていたが、まだだらーんと机の上に体を乗せている。
「いいもん。まじー、そんなかんじで良いんでしょ?この時代の中から勇者がでないうちに、私が死ぬのは困るんでしょ」
 そして、顔をむくりと起こすと、まおはにやあっと笑って見せる。
「私が死んだら、魔王軍団は滅ぶ。……今回の人間の状態だったら、きっと、人間同士での争いも起きるよね」
 マジェストはさっと顔色を変えた。
 が、すぐに元に戻り、ゆっくり頷く。
「そうでしょうな。勇者はまだこっちに来られては困るのです。だからこその対勇者用魔物」
「困る?やっぱりそうなんだ。魔王って世界を征服するための存在じゃないんじゃない」
 まおの言葉にマジェストは困った貌を浮かべる。
 困惑した彼の表情に、まおは睨み付けるように眉を吊り上げる。
「ヒトを滅ぼすのが目的でもないんでしょ?変じゃないそれ。おかしいよ、なんで勇者に殺されなきゃいけなかったり、人間の様子を気にしなきゃいけないの」
「魔王陛下」
 まおは立ち上がって、執務机を挟んでマジェストと向かい合う。
 マジェストは苦虫を噛みつぶしたような顔で、まおを見つめている。
 先程までの貌ではない。苦しそうな、悼む表情。それは悔しさではない。
「この『出来合いの物語』ってのをコントロールしなきゃいけない。……それがウィッシュたちなんでしょ?」
 先代魔王の命により、まおの代で作った魔物。
 マジェストはすっと目を細めて、眉根を揉んだ。
「この間の時ですな。……思い出されましたか」
 マジェストは呟き、目を閉じ――目尻から光がこぼれた。
「まだ完全ではありませんが、ないものは補充することでこのアンバランスな設定をデバッグしなければ」
「いやよ」
 そして。
 まおは、魔王の貌で笑う。
 子供のように無邪気な彼女が、邪悪な笑みを湛える。それは――酷く滑稽な、悪夢のCalicature。
「まじー。最初に私が失敗したの。この物語は元々未完成品だったのに、致命的なバランスの崩れが発生したのに」
 そしてふと彼女は、悔しそうに口を噤んだ。
 ふるふると両肩が震える。
「もう無理よっ!いやだよ!なんで私だけこんな目に遭わなきゃいけないのよ!」
 きっと目をむけると、マジェストは困った貌を浮かべていた。
「嘘ついたでしょ。もう勇者はいるんでしょ。ウィッシュに確認したもんね。……判ってるでしょ、この意味が」
「陛下……」
 マジェストは哀しそうに口を歪め、僅かに俯く。
「私は、そんなつもりではなく……もう少し、今はまだ時期尚早と」
 く、と喉を詰まらせるような声を上げるマジェストを睨み付けて、まおは言う。
「だから終わらせるようにウィッシュに頼んだよ。魔王らしく魔王として、ここで死ぬから」
「陛下」
 マジェストは、まおが言い切った言葉を否定する事は出来なかった。
 ただその場に片膝を付き、臣下の礼を取って項垂れた。
「御意に、ございます」
 初めからこうすれば良かった。
 まおは一瞬そう思ったが、もう何も言わずに椅子にへたりこむようにして座った。
――でも
 未完成な、不完全な物語だから。
――大丈夫
 まだ付け入る隙があるはずだから。
――ウィッシュ、きっちりやってね
 あとは結果を待つだけしか、もうやることはなかった。


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