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魔王の世界征服日記
第104話 敵

 フユとナオは、以前のように二人で魔物を倒しに行くように、二人で並んで施設を出た。
 サッポロの荒野が広がっていて、何度も何度も歩いた道の先に、トマコマイがある。
 この道を二人で歩くのは本当に久々だった。
 でも、今こうして横に並んで歩いていて、違和感がないことに気づいた。
「変わらないね、姉ちゃん」
 だがフユは苛々していた。別にナオが悪い訳じゃない。
 今の状況がゆるせない。説明は受けている。あの、気まぐれ魔術師がもたらした情報によるなら。
 フユも理解していたから、アキも送り出したのだ。
 『勇者』ナオ。魔王を倒すために動くべき人間。
 何故。
 でもそれは疑問であってはならないらしい――と、聞いた。
 現象。高熱に晒された紙が燃え上がるのと同じ。
 魔王が終わる前に、人の中から勇者が選別さて現れる。それだけのこと。
――そんな危ない真似、ナオになんかさせられない
 自分はかなりナオの命に関わるようなことをやってきてるのだが、自分のことは棚上げのようだった。
 このあいだのゴーレムしかり。フユの側にいてまだ生きている方が実はすごいことかもしれない。
「ナオは、変わった。シコクに行く前と今、私はナオが違うと思う」
 フユが彼に向けた視線は、やさしい、柔らかい、羨望のような何かが混ざった色を見せる。
「男らしくなった」
 そして、きゅっと目を細めた。
「そんな、姉ちゃん」
 ふっと彼女の表情が緩む。
 相変わらずやぶにらみの、怒ってるのか怒っていないのか判らない微妙な貌つきだが。
「もしかしたら、私は守って貰えるかも知れない」
 どきん。
――え……
 フユがそう言った瞬間、ナオは何故か酷く心配になった。
 彼女の言葉の通りなら、別に悪いことはないはずなのに。
――……姉ちゃんがらしくないのか
 ナオにとってのフユは、常に『正しい』とナオを彼女の正しさで引っ張る強さがあるのだ。
 自分勝手、なのに逆らえないそんな強い優しさ。
――護られてきたんだ
 急にそれ無くなるような錯覚を受けたからかもしれない。
 目の前にいるのに、妙に存在感を失うような、姉らしくないところを見せているから。
――もしかしたら、本当にそう見えているのかな
 強くなった、男らしくなったとフユは言う。
 そう見えると彼女が言った限り多分撤回しないだろう。
「あのさ」
 フユはそれだけ自分勝手だ。
 ナオの気持ちなんかこれっぽっちも考えない。
「姉ちゃんがそう思うのは勝手だよ。でもさ」
 だから、折角だから強くなったんだったら、少しは聞いてくれるかも知れないと思って。
「弱気な姉ちゃんはらしくないから、俺やだよ」
 ぱちくり。
 一瞬フユは、何を聞いたんだろうと目をしばたたかせて、小首を傾げる。
 そして、ぽん、と手を打って頷く。
「別に弱気にはなってないから、安心しなさい」
「…………」
 やっぱりフユはフユだった。
「安心して姉さんの言うとおりにすればいいの」
 無茶苦茶である。しかし、これがフユなのだ。
 自分勝手で、妙な自信があって、弟のナオには有無を言わせない。
 だからおかしくなって、肩をすくめてくすりと笑う。
 フユは彼のその様子を見て微笑みを浮かべるだけで、何も言わない。
「それおかしいよ。それも姉ちゃん気づいてないし」
「黙りなさい」
 ごちん。
 フユの鉄拳がナオの頭頂部にヒット。
 一瞬目を回すが、いてて、と頭をさすりながら口元には笑みを浮かべる。
「……変なナオ」
 そんなナオを見て、僅かにむくれたようだった。
「いてて。それより姉ちゃん。今回の目標のことだけど」
 フユは小さく頷くと、つい、と目を細める。獲物を見る時の、狩人の目。
「ええ。嫌な敵。私の前でナオにそっくりに変身した、小さな女の子と、私より一回り大きな女の姿をした魔物」
 彼女は、その魔物の二人組が、ナオが特務に就く直前だったと説明する。
 あの時か、と思い出してナオは眉を顰めた。
「……あの、姉ちゃん。それって、俺に会う前?」
「前よ?アキ姉さんに抗議した直後に現れたから、結局夜まで処理にかかったけど」
 ナオは腕を組んで首を傾げる。
 記憶どおりなら、ユーカ達と別れてすぐに現れたはずだ。
 夜にも来たが――ナオは音を立てて顔を真っ赤にしながら、それでも考え続けた。
「じゃ、じゃああの時の姉ちゃんは……」
 何故顔を真っ赤にしているのか。
 フユはそれを聞こうとしたが、やめた。それは些細なことだ。
 それよりも重要なことがある。
「ナオのところにも現れたというの」
 フユは興奮して、隣の彼に掴みかかってゆさゆさと揺さぶる。
「ちょ、ちょ、姉ちゃんっ、落ち着いてっ」
 ぶんぶんぶんぶん。容赦なく彼の腕を掴んで全身を思いっきり揺さぶるから、痛い。腕が痛い。
「何をされたの、何をしていったのあのアマはっ!」
 これで顔色が変わっていないのだから、『鉄面皮』と呼ばれるのも仕方ないだろう。
「姉ちゃん。口調崩れてるよ」
 淡々と冷静に指摘されて、はっと顔を赤らめるフユ。
 そして、ナオを離してこほんと咳払いする。
「……それで、どうなの」
「あ、うん」
 ぼ。
「何故赤くなるの」
「うん」
 しかし答えて良い物かどうか判らなくなってしまう。
 代わりに、一度聞いてみることにする。
「あ、姉ちゃん。あのさ、その。……姉ちゃんって誰か好きになったこと有る?」
「え」
 想像して貰いたい。僅かに上目で、可愛い男の子が、顔を真っ赤にしたままでこういう科白を聞いてくるのだ。
 意中云々抜きにして、それもフユにとってはかわいい弟である。
 だがフユは、彼の疑問に別の解答を導いた。
「――そっか、ナオは誰かを好きになったんだ」
「ちょ」
 ふい、と顔を背けてフユは反撃する。
「いいわよー、姉さんは何も反対しないけど相手はきちんと選ばないと、後で相手が酷いから」
「何を言ってるんだよ姉ちゃんっ!」
 いつの間にか全く違う奇妙な会話になっている事に二人とも気づいていない。
 ついでに言えば、トマコマイに向かう道の真ん中で立ち止まってしまっている。
「ちょっと……悪戯されただけだよ。その……姉ちゃんの恰好だったけど」
「私の?」
 思い出す。そう言えばあの少女、もしかすると同じぐらいの背丈かも知れない。
 眉を寄せて酷く嫌そうな顔をする。これだけはっきりと表情を浮かべる姉を見るのは、ナオは初めてだった。
 それだけ彼女の感情を刺激したと言うことかも知れない。
「赦せない。いいえ、バラバラのぎたぎたにしても絶対赦さない。そんな勿体ないことはしない」
 そんな顔を赤くするような悪戯は、自分以外では赦さない。自分はいいのかという突っ込みは取りあえず不許可ということで。
 冷静に淡々と告げるものだから(フユはいつもこうだ)、ナオは逆にその魔物が哀れに思えた。
「永遠に死なないように封印してしまいましょう。そして、毎日頭から水滴をぽちゃぽちゃ垂らしてあげます」
 それは死刑囚の拷問です。
 発狂してしまいます。
「あ、あの、姉ちゃん?」
 明らかに目つきが変わった姉に怯えて、恐る恐る声をかける。
「安心して。もうそんな真似させないから」
「あのね。……いや、もう良いです」
 何をどう説明してどう会話して良いのか判らなくなったのでやめた。
 できればその魔物は一瞬で楽にしてあげよう。そんな決意をして。
「変身する方にはそれ以上大した力はないみたいだから、問題はもう一人」
 もう少しで殺すことができたのに、と悔しそうに呟くフユ。
 弟の事になると酷いものである。
 ナオも流石に引いて居るんだが。
「こっちは錬金術を使う魔物で、格闘戦もできる……手強い相手」
 ふと、フユの視界を横切った影に、彼女は話すのを止めて目を上げた。
 つられるようにナオも目を上げる。
「探したぞ」
 ユーカだった。
「ユーカ、あなた……」
「久し振り、みたいだな」
 二人が思い思いに声をかけると、彼女はいつもの草臥れたような笑みを浮かべる。
「なんだか司令部ばたばたしてるから、もしかしたらと思ったんだが」
 ユーカは呟いて二人を眺める。
 勿論、二人ともほぼ完全武装、戦闘時の二人を知っているなら『いつもの狩り』の恰好と呼ぶべきか。
「……どこに行くつもりだ?」
「狩り、です。愚問ではないですか、この恰好なのに」
 フユは鋭い目つきでユーカを睨み付ける。
「だから何処に狩りに行くって聞いてるんだ。どうした、何を焦ってるんだ」
 じゃらり。
 ユーカがフユに向けて手を差し出そうとすると、まるで布が擦れるようにして金属音がする。
 音から考えるに……細い金属製の鎖を編み込んでいるような服だ。
 ナオの目にも、細身のユーカが僅かにだぶついて見える。ローブの下に着こんだものが、輪郭を僅かに崩しているのだ。
「……貴方こそ、やけに重武装ですわね」
 つい、と自然にフユはナオとユーカの間に入ると、警戒するように一歩下がる。
「いつも側にいるクガはどうしました?」
「今サッポロで司令を捜して貰っている。……魔物が出たんだろう?てっきりサッポロにいると思って」
 いたのに。彼女が言葉を紡ぐより早く、フユは動いた。
 完全にナオとユーカを結ぶ直線に入ると、懐から言霊扇を取り出し縦に一閃。
「っ」
 息を呑み、殆ど反射的に右腕を上げて飛び退く。
 じゃらん、と金属的な音がしてユーカの服の右袖が弾けた。裂けた布の隙間から、きらきらと金属の光沢が見える。
 鎖帷子のようなものを織り込んでいるのだろう。
「将軍!」
「姉ちゃん!」
 ナオは真後ろからフユに飛びつき、間合いを切ったユーカは苦い表情を浮かべている。
 非難の顔ではない。
「命拾いしましたわね」
「何を馬鹿な!いきなり斬りかかるなんて、正気の沙汰か?それとも」
 つい、とユーカの目が細められて、きゅと口元が締まる。
 真剣な表情だ。
「気でも触れたか、将軍」
 ざり。
 ユーカは足下の砂利を踏みしめて、僅かに腰を落とす。
「貴方こそタイミング良すぎませんか?化けの皮を剥ぎなさい」
「ちょっと、待ってよ姉ちゃんっ」
 フユは視線を動かさず、ナオを無言でふりほどこうと体を捻る。
「幾ら何でも都合良すぎるんじゃないの?先刻言ってた魔物、サッポロを監視してたかも知れないけどさ」
「……離しなさいナオ。少しでも危険が感じられる限り、私は信用なんかしません」
 がっちりとフユの体を抱きしめるナオは、フユが身じろぐのをやめたのを感じて、言った。
「判ったから。いきなり斬りかからないって約束してくれないと離せない」
 ユーカはふぅ、とため息を付いて懐から四角いものを取り出した。
 大きさは掌に載せられる程度、正方形に親指位の厚みがあり、その上にまるい赤いボタンが付いている。
「憶えてないか、将軍。アキ司令にこれを置いていったはずだ。……魔物が現れたら押せって伝えているはず」
 あ。
 フユはそのボタンを見て目を丸くした。
「……そんなもの。……すっかり忘れていました」


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