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魔王の世界征服日記
第103話 故人


 その連絡は、あらかじめ定められた通りに届いた。
「ん」
 ベッドから体を起こして、彼女は隣のミチノリを揺さぶった。
「起きろ、ミチノリ」
 彼の髪の毛は、枕からベッドの頭の方へ流れていて、それがもし女の子なら凄く絵になってるなあと思いながら。
 ぱちり。
「なあにぃ」
「早く起きて服を着ろ。連絡があった」
 ふぇ?と不思議そうな顔をする彼を放置して、ユーカはベッドから降りるとクローゼットを開く。
 特殊な戦闘衣、それも相当に呪詛を織り込んだ強烈な奴。
 開発した直後は絶対に必要ないと考えていた、純粋に戦闘的なものだ。
 尤も必要になってしまった限りは、使うのが一番だが。
――魔王級の魔物との決戦に立ち会えるとは、或る意味光栄なのか、運が悪いのか
 くすり、と笑いながらそれを身につけ始める。
 何カ所もベルトを縛りながら、幾つかのアクセサリをじゃらじゃらと、手慣れた手つきで次々に装備していく。
「うにゃ?」
 一方、まだミチノリは上半身をベッドの上で起こしたままだった。
「早く着替えろ!」
 ひゃん、と驚いた声を上げるとそのままベッドからくるんと回転して落ちる。
 どて、と激しい音がして彼は無惨な声を上げた。
「……まったく……」
 自分で起きる時はどんなに早くても起きるが、起こされてまともに起きる事がないのがミチノリ。
 だがそんな彼を思いっきり無視して準備を進められるのもユーカだ。
 言葉は反応するが、頭はクローゼットと言う名前の『武器庫』から欲しいものを次々に選び出していく。
 任せる時は任せる。でも、今日はそうはいかない。
「いい加減にしないと放って……」
 と、顔を向けるとシーツにくるまった半裸の彼が、床でぺたんと座ってにへらーと笑っていた。
「……おまえなぁ」
 結局寝ぼけた彼をたたき起こして着替えさせるしかなかった。

 報告を済ませると、ユーカはアキにボタンを手渡した。
 恐らく、今までになかった魔物が動きを見せたら、彼らの目的は間違いなく『勇者』と関わりがある、と。
 だから何かあったらこれで呼んで欲しいと言い含めて。
 どうやら先刻そのボタンが押されたらしい。場所はアキの自室、つまり司令室だ。
「夕刻に襲撃とは、やけに古典的な魔物だな」
『あら?人間には夜襲が最も効果的だと思いますけど?』
 聞き覚えのある猫かぶりな声が聞こえた気がした。
 間違いなく、彼女ならそう言うだろう。
「早かったな……半月しか過ぎてないぞ」
 ばたばたと後ろで準備をするミチノリの足音を聞きながら、ユーカはシコクでの出来事を思い出しながら、『終わり』が来た事を悟った。
 それは人生の終わりではない。
 世界の終わり。勿論、その後も世界は続くから、むしろ節目というべきだろうか。
――楽しみだな
 だがまだ彼女も、キリエが死んだ事は知らない。
 魔物の本当の目的は判らない、からこそ。
――本当に、楽しみだ。再会できる事を祈ろう
 敵対するであろう彼女の姿を思い浮かべ、にやりと笑みを浮かべた。

 フユに引っ張られて建物を出ると、憲兵が驚いて剣を突きつけようとする、が。
 フユはあくまでも将軍、幾ら職務とはいえ『鉄面皮』こと冷血将軍のフユに逆らいたくない。
「き、貴様」
 しかしまあ、中には無謀で任務に忠実、忠誠心の高い優秀な人材も居る。
「私はフユ。准将たる私に暴言を吐くのは貴方ですか」
 きり。
 ただでさえやぶにらみな彼女の鋭い視線が、ぎりと絞り込まれる。
「アキ司令より特命、その戦力として最適な一兵卒ナオを、その容疑と言え出撃させる事に反論が?」
「あ〜、あ、当たり前だ、お前、その許可証はあるのか?」
 どうやら相当優秀な人材らしい。
 可愛そうに――フユは一瞬、聞こえないほどの小さな声で呟き、口元に笑みを湛えた。
『見えませんの』
 びしり。
 一瞬音を立てたのかと思った。
 男の視界が、隅から隅へ一気に白い何かが、まるで亀裂のように走り。
 次の瞬間、暗転する。
「が、ががっ、な、なんだっ」
 くすくす。
 彼の耳に耳障りな笑い声が届く。
 何も見えない闇の中で、まるで取り囲まれるように笑い声が聞こえる。
 先刻まで何かが見えていたはずなのに。
 彼の視界は、まるで光のない闇に突き落とされたように完全に消失していた。
「そう、見えないんですか。それはお気の毒に。行きましょう、ナオ」
 頭を抱えてわめき始める男を、彼女に手を引かれながら、脂汗を垂らして見つめるナオ。
――この投げっぱなしなところはアキ姉ちゃんと似てるんだけど
 良いのかなぁ。
 そう思いながら、彼はそのまま引きずられていった。
 取りあえず自室で、或る程度装備を整えるように言われて男子専用寮に戻る。
 ナオは、何処に行くのか理解して思わず足を止めた。
「私と一緒にいなさい。だったら大丈夫だから」
 握る手に僅かに力を入れて、振り向く。
「うん」
 迷っていたのは一瞬。すぐに再び走り始める。
――キリエの仇……
「姉ちゃん、手、もういいから」
 言われてフユはナオの手を離す。
「大丈夫?」
「大丈夫。もう子供じゃないから」
 こくん、とフユは無言で頷く。
 男子寮まわりにはまだ憲兵達がうろうろしているが、その間をくぐり抜けるようにしてナオは自分の部屋へと戻った。
 勿論、フユと一緒に。
 或る程度の装備や服は自分の部屋の中に有る。
 即座に戦闘できるように装備を調えるのは少なくともこの部屋で充分だ。
「今回の戦闘は、かなり厳しいものになるから、鎧は持って行きなさい」
「持っていくよ」
「できれば斬魔刀は新しい刃付けのものにしなさい。刃こぼれしてたら予備を」
「判ってるって姉ちゃん」
 流石に五月蠅くなって振り向くと、フユは一歩ついと彼に近寄った。
 ナオはちょっとびっくりしたが、フユの貌を見て逆にばつが悪くなった。
 今回のこんなことがなかったら、多分今日なんかには会えなかっただろうから。
「……忙しくてまだ、挨拶もしてなかったでしょ」
 そして先刻、アキが彼を抱きしめた時に激しく拗ねた貌をした理由に思い当たった。
「おかえり。成果は……一緒に行くから、この目で見させてもらいます」
 言葉に反して、次のフユの顔は決して優しい物とは言えなかった。何処か厳しい、いつもの強気な顔つき。
 戦場のパートナーとしての顔。精確に、もう少し精確に言うと、フユの手足としての、術の器としてのナオに対する時の貌。
「判ったよ姉ちゃん。まあ見てなって」
 だから、力強く(彼自身そう思う仕草で)頷いた。
 がたがたと荷物をひっくり返すナオを見つめながら、フユは滅多に人に見せない貌をしていた。
 つい、と目を細めて、優しそうな貌で笑っている。
 ほんのわずかな、でも間違いなく成長した弟の背中。
 死線を少なくともくぐった人間の持つしたたかさ。
 それが、その背中から感じられて、彼女にとって誇らしく感じられたのかも知れない。
「あ、ナオ、余計な物は持てないから」
「もういいって!判ってるから姉ちゃん!」

 ぶぅん。
 ナオは使い慣れた斬魔小刀を手首をスナップさせて回転させる。
 柄に取り付けられた大きな、柄と同じ太さの輪を支点にして回転させる事で、他の武器とは一線を画した性能を誇るのが特徴。
 キリエはこの輪を、両手持ちのために使って大きく振り回していた。
 その御陰で(だけでもないが)体の割に大きな斬魔刀を使っていた彼女。
「姉ちゃん。新しい斬魔刀あるかな」
「それじゃ不足?」
「あ」
 ゆっくり彼は首を振った。
「大きな奴があれば、それを使いたい」
 彼の言葉に僅かに眉を寄せて非難する。
「使い慣れない武器は、負担にしかならないでしょう」
「使いたいんだ」
 真剣なナオの貌と、フユの睨みあい。
「駄目だっていっても」
「……実は、私の権限で今扱える武器庫で、出せる新品は……キリエのしかないから」
 フユの言葉に、一瞬ナオは後悔した。
 一つは彼女の武器は大きく重い事。普通のサイズではない特注品だ。
 一応サイズ差はあるので、ナオのは普通のサイズ(小)だ。
 だがキリエのは、実は普通(大)よりさらに一回り大きい。
 勿論重い――実は重さはさほど増えていない。
 回転させて扱う斬魔刀は、非常にバランスが良く作られている。
 実は投げる事もできる程である。
 しかし。
 フユに連れられて、司令部の武器庫に入る。ここは様々な武器が納められているが、殆どが斬魔刀だ。
 人数分の斬魔刀が、立てかけるように並べられている。ここにあるのはそれぞれの予備品だ。
 そのうち、フユはキリエの名が入った台座から、彼女の予備の斬魔刀を取り上げると、柄をナオに向けて差し出した。
 握ってみるまで判らなかった。
 僅かに、ほんの僅かな違和感が剣全体に漂っている。これは――そう。
 キリエの斬魔刀は重心が刃先に集中するような作りになっている。
 その分切っ先の先端の速度が上がり、重量に比して打撃力が上がる設計だろう。
 だが扱いはその分難しい。斧なんかと同じだと思って貰って間違いない。
 これを強引に扱っていたキリエ。
――そうか
 恐らく、小柄で女性であるというハンデを隠す為の方法だったのだろう。
 バランスを考えて作られた剣は、そのバランス故に重量による『叩き斬る』能力に劣る。
 これが斧と剣の差だが、それ故に剣は重心を利用した『速度』による切断を主とする攻撃ができる。
「これ……」
 この斬魔刀、見た目以上にパワータイプにカスタマイズされていた。
 切り裂くタイプの扱いをするナオにとって、これほど違う武器はない――まさに見た目だけ似ている武器だ。
「見た目は同じでも、スタイルを変えざるを得ない。そんな武器は、デメリットはあってもメリットはない」
 たとえば移動しながらこの剣を振り上げようとしよう。
 モーメントを剣先に与えて手元でくりんと回転させれば良かった動作が、大きさも相まって柄に円運動を与える必要性がある。
 切っ先と呼ぶべき部分がなく、鉈状の斬魔刀では、重い重心を振り下ろして叩く必要のあるこのキリエの斬魔刀は、人間ではない魔物と相対する時には不利だ。
 何故なら、どんな打撃も重心点で打撃せねばならないから、動きが単調にならざるを得ないからだ。
「だから勧めないと言ったでしょう。扱える?」
「扱えなくても。……キリエに使えて俺に使えないわけがない」
 それは彼の最後の矜持なのかもしれない。
「好きになさい」
 フユはできればそれを認めたくなかった。喩え、それがナオのパートナーだったキリエの持ち物だとしても。 p>


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