戻る

魔王の世界征服日記
第101話 事件


 その日、フユは司令室で書類仕事をしていた。
 そろそろ慣れた物で、彼女の仕掛けた『魔術痕』レーダも随分精度が上がった。
 まだ彼女は司令室に閉じこもっているのだ。
 今では、距離・包囲・規模、それら総てを判別することすら可能。
 或る意味凄まじい執念と言うべきだろう。普通なら、その負荷だけで発狂する。
 それとも、それを操るのが楽しいのかも知れない。
――ん
 簡単な『影』のようなものが引っかかった。
 別段気にしなくても大丈夫な程度だが。
 それは街の外で笑っている様な気がした。
「アキ姉さん」
「あ、作ってくれるの?!嬉しいわぁ」
 不用意に声をかけただろうか。妙に明るい声に、フユはジト目を作るとくるりと振り向いてみた。
 そこにはにこにこと上機嫌なアキが、両手を合わせて小首を傾げている。
 何故か、彼女の机の上には大盛りのクッキーがある。
「……何をですか、アキ姉さん」
「え?そりゃあゴーレムよゴーレム。前お願いしたじゃない、ガリ版刷りゴーレム」
 馬鹿でっかいプールのようなインク貯めに、コンダラもびっくりなローラーでべたべたと。
 確かに、彼女の妄想をそのままフユに伝えたことがあるが、それがお願いだとは気づかなかった。
「そんなもの作りません。何にするんですか」
「ガリ版刷り」
 フユは眉根を揉みながらぶちぶちと怒りまーくを頭の上に飛ばす。
「あの、姉さん。いい加減に怒りますよ」
「わ、やだーみーちゃん。怒らないでぇ」
 ぶりっこぶりっこ。
 思うに、本当に司令官なんだろうか。
 一瞬過ぎった考えに頭を振ると、大きくため息を付いて、もう相手にするより報告する方が大事、と語り始める。
「姉さん。今妙な影みたいなのが引っかかりました」
 秋は一瞬目を丸くした。が、すぐについと目を細めると、口元だけで笑う。
「あ、そう?でもみーちゃん。まだ動いちゃダメよ」
 実際何度もこういう引っかかり方はしている。
 そのたびに出撃していたら、兵力はすぐに疲弊する。それに――でるのは、彼女だ。
 アキはそのことを熟知しているからこそ、簡単に飛び出さないようにしているのだ。
――でも、なんだか笑ってたみたいだし
 フユはその『笑い』が妙に気になった。
「……そうですね」
 でももしこの時動いていたら、少しは事情が変わったかも知れない。
 いや。
 結論は同じ。
 既に起きてしまった事を、変える事ができないのは全くもって同じ事。
 何故なら、彼女が見張っているであろうことは既に承知済みの事なのだから――

  だんだん

 しばらくして激しくノックする音が聞こえて、二人は仕事を中断せざるを得なくなった。
「司令!緊急事態です!」
「入りなさい」
 扉を開けて入ってきたのは、伝令兵だった。
 伝令は各所に設けられた専用の伝令がいる。勿論伝令専門と言うわけではないから、各所から出しているのだが。
 駆け込んできたのは生活区の伝令だ。司令ともなれば顔で判るようになるのだ。
「食中毒でもあったの?」
 のんびりした口調で訪ねるが、目は笑っていない。
 事実、刺すような視線を伝令に突きつけている。
「いえ。その……殺人です」
 がたん。
 一瞬フユの脳裏に先程の影が過ぎった。
 アキの方を素早く振り向くと、一瞬視線が絡んだが、それだけでアキは伝令の方を向いた。
「調査は」
「既に、憲兵が始めております」
 アキは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。憲兵は司令の下に付く位置にありながら、その身分は自由である。
 実際の指揮官は、アキより階級が下であろうと――憲兵は憲兵の権力でもって動けるように組織されているからだ。
 隠し通せるものではないが、勿論そう言うつもりではない。
「……誰が殺されたのか、は判るの?」
「は。一兵卒カキツバタ=キリエです」

『あー、あとでさ、宿舎の裏に来てよ。話したい、事があるんだ』
 ナオは叫んでいた。
 慌てたタカヤが取り押さえて、両肩を揺さぶって。
 気が付いたら涙が流れていた。
 それに驚いて、自分で気が付かないうちに呆然とそこに立ちつくした。
――キリエ
 最後だったのかも知れない。
 何を言いたかったのか。
「落ち着いたか?大丈夫か?」
 ようやくタカヤの声が聞こえてきて、ナオは目をぱちくりとさせた。
 目の前に、眼前一杯に彼の顔がある。
「タカヤ兄ぃ」
「そうだ。落ち着いたか?」
 だがタカヤに返事をする暇は、なかった。
 すぐに彼の隣から男が顔を出した。ひげ面で、この辺で見覚えのない男だ。
 見覚えがあるはず無かった。彼は通常は殆ど顔を見せないで、与えられた控え室で書類仕事しかしていないのだから。
「落ち着いたなら早速来て貰おうか。そのために呼んで貰ったんだしな」
 やたらと横柄な態度で、人を見下して言うその男は、ナオのかんに無性に触った。
「な、なんだよ」
「事情聴取だ。人が、一人死んでんだ。しかも何もないはずのこの訓練場内でな。……話を聞かれる覚えはあるだろう」
 ごくん、と喉が鳴った。
 判っている。
 判ってる。でも、目で見たものが信じられない。
 だから、彼は繰り返した。
「お、覚えって」
 男はめんどくさそうにため息を付くと、後頭部をかく。
「一応、立場上俺の方が上の階級なんだがな」
 階級は百人隊長。確かに上のようだ。
 だがそれはどうでもいい。そんな事を聞きたいわけでもない。
「みみかっぽじって良く聞いてくださいよ?あんたの、良く知ってる、カキツバタ=キリエさんが殺された。最後に会ったのは証言によればあんただ」
「ちょっと」
 流石に、躙り寄る彼に、タカヤが非難の声を上げる。
「あんたも黙ってな」
「酷いな。見てのとおり、仲が良かったからショックを受けてるんだ。言い方考えて話さないと」
 話し方も知らないのか、とタカヤは言外に言い残すとナオと彼の間に入る。
「話さないとなんだ」
 ぐい、と彼の肩を掴んで、男が睨みを聞かせる。
 それに、タカヤは僅かに糸目を開いて冷ややかに視線を返す。
「本来協力してくれる人も、協力してくれないっていう事ですよ」
 やれやれ、と目を閉じて肩をすくめる。
「ナオ」
 瞳を覗き込むようにして、タカヤが囁く。
「話が終わったら、俺の部屋に来い。な。……じゃ、行って来い」
 ぽん、と両肩を押すタカヤ。
 一瞬抱きしめられたような錯覚を受けて、ナオは少しだけ安心した。
 だからゆっくり頷いて、ひげ面の男を睨んだ。
「ああ、じゃあ知ってるだけ言うからな」
 男は一瞬むっとしたが、無言で手招きして背を向けた。
 そして、ナオは結局タカヤの部屋に向かうことは出来なかった。

「憲兵」
 フユは不穏当な響きを憶えて復唱した。
「それに被害者がキリエ。……妙に憲兵の動きが良くないですか、アキ姉さん」
 アキは頷く。
 憲兵が動くと言うことは、それは事故でないことが明白、つまり、犯人が明らかの時、もしくは見当が付いている時だ。
 こんな戦争がある時代に、そもそも人殺しなどという事があるだろうか。
 ……起こりうるからこその憲兵なんだが。
「早すぎるわね。幾ら何でも私の耳に届くより早いというのはどう言うこと?」
 それは確かに腑に落ちない事だった。
「待ってください姉さん。と言うことは既に憲兵は犯人の目星があって、初めから捕らえようとして来てるんじゃないですか」
「行きましょう」
 アキは伝令に指示をして、場所を確認するとさっと上着を着こむ。
 フユは――そう、あの時からだが――既に戦闘用の言霊師の恰好だから、そのまま出るつもりだ。
 フユにとってはこれが制服のようなものだから。
「アキ姉さん、キリエが、ということは」
「多分想像してるとおりじゃないかしらね」
 当たって欲しくない嫌な予感。
 憲兵隊の隊長も既に出張っている。場所は――男子専用寮、一階の一室。
 寮の入口には一人憲兵が立っていた。周囲でばたばたとそれらしい騒々しさがあり、時折彼女らに視線をよこす者もいる。
「これはこれは司令殿」
 多分、駆け回っている何人かが連絡したのだろう、入口から小太りの男が出てきた。
 憲兵隊長だ。残念ながら名前は今回与えていない。
 何故なら、これっきりの出番だからだ。
「わざわざおこし戴けるとは」
「前置きは良いです。何事ですか。説明いただけますか」
「もちろんですとも」
 男はにこやかに笑うと、すっと身を引いて入り口を左手で指し示す。
 そして、自ら先頭に立って入り口をくぐった。
 続いて二人がくぐる。
「殺人……とは思いたくありませんが、証言を総合するとそうなります」
 そしてちらとアキの顔を振り返り、一室の扉を開く。
 そこは簡素ながら使い込まれたソファが並ぶ部屋だった。
 この寮で生活する人間が、ここで団らんでもするのだろう。実際アキもこの部屋のことは良く知っている。
 尤も、こうして取り調べに使われる事があるとは思わなかったが。
 男は手前の二つの椅子を差し、二人に勧めると自分は向かい側のソファに腰を下ろした。
 めり、と嫌な音がして、クッションは勢いよく沈み込む。
「さて」
 男は気にした風もなく、両手を組むと二人が座るのを待った。
「被害者はカキツバタ=キリエ、容疑者は同行していたミマオウ=ナオです」
 一瞬男に笑みが浮かんだように錯覚した。


Top Next Back index Library top