魔王の世界征服日記
第99話 告白
テラスに到着したマジェストに、真っ赤な顔で泣きながら怒鳴り散らしたまおは、そのまま彼に手を引かれて執務室へと向かった。
おかしな話だが。
魔王はこの魔城で自由な行き来がまともにできる場所が限定されている上、外にでる事が出来ない。
実際には脱出した訳だが――アレはイレギュラーな出来事だった。
だからこそ、マジェストの行動が遅れた訳だし、発見も遅れてしまったのだ。
「まじー。消えて」
そして、執務室に着いた途端彼女は言った。
「え?!」
「席をはずしてほしいの。ウィッシュとヴィッツはこの部屋に直接呼んで。覗いちゃダメだからね」
きっと睨み付けるまお。
勿論マジェストという魔物にそんな事は無駄な事なのだが。
マジェストにも何だか妙なスイッチが入っている。
「しかし、陛下……」
困った貌を浮かべ、そして意を決するように口を結び、その場に跪いて項垂れる。
「陛下。一つだけお約束下さい」
僅かに頭を上げるが、顔は床とほぼ並行に、目線は床の石の隙間に潜む謎のだんごむしに。
「シエンタにすぐに掃除の準備を。それと」
そして顔を上げて、真剣な表情で続ける。
「もう、ここからでていくなんて真似は、考えないでください」
掃除と聞いて眉を寄せたまおは、彼の言葉に澄まし顔をして見せて、にっこりと笑った。
やさしい、嬉しそうな笑み。
「何のためにウィッシュとヴィッツを呼んだと思ってる?私の代わりに魔城の外で働いて貰う為だよ。まじー」
でもね。
まおは口の中だけで続けた。
でも、まじーには教えてあげない。教えられない。
マジェストは魔王の配下の軍団に指示を飛ばす事ができる、魔王軍団参謀という立場にいる。
司令はまおだ。当然である。
尤も、まおにやる気がない場合はまおはただ印鑑を押すだけのはんこましーんに過ぎないのだが。
「はっ」
今のまおには、何故か『魔王』らしさを、マジェストは感じていた。
目的。
何らかの目的を持って魔王が動く。
マジェストは、その瞬間から教育係ではなく、一介の参謀、手足に過ぎない存在となる。
命令は絶対だ。
彼はそのまま立ち上がり、無言で執務室を退出する。
数秒と待たず、ウィッシュとヴィッツが入ってきた。
外で会った時のような恰好ではなく、いつもの、ラフな普段着――ウィッシュが左足が膝までしかない破れジーンズに、革製のジャケット、黒い、肩のラインを浮きだたせるノースリーブにハイネックのシャツ。
ヴィッツはノースリーブシャツに半ズボン。
これは彼女達が人間の中にとけ込む際には、そこの土地に合う最適な服装へと『変化』する。
変形させるのはウィッシュの錬金術らしい。便利な物だ。
「ウィッシュ=ニーオ、ヴィッツ=アレス。お呼びにより参上いたしました」
ざっ、とその場に片膝をついて項垂れる臣下の礼。
一糸乱れぬ、息のあった礼にまおは思わず吹き出した。
「ちょっと、何のつもりー。そんな真似できたんだー♪」
幾らまおと言っても、そんな事を言われれば少しは苛立つ物だろう。
しかし、あんまり楽しそうに言っておなかを抱えている彼女を見れば、苦笑したくなる。
「まお様。酷いですね」
「まお様と言えども今のは許し難いです。望姉、抹殺の許可を」
「まてまてまてっ!私が魔王でヴィッツは部下っ!何を誰にきいてるのっ!」
つい、と馬鹿にしたような半眼でまおを流し見るヴィッツ。
「まお様抹殺を、望姉に」
ずべ。
執務机で思いっきりずっこける。
器用にこけて器用に立ち直り、頬杖をついて苦い顔をしながら頬をかくまお。
「あー……んー……」
そして、何か思いついたのかウィッシュはヴィッツの肩をぽんぽんと叩くと言った。
「ごめんねヴィッツ。ちょっと、呼ぶまで外で待っててくれない?」
「え?」
思わぬウィッシュの言葉に、でも訝しがるどころか心配そうなすがるような目をして彼女を見返す。
でも、にこにこのまま言葉を覆そうとしない彼女に、哀しそうな顔で諦める。
「判りました」
そう言って、つかつかと出口に向かう。ぱたん、と小さな音を立てて彼女が消えるのを見送ると、ウィッシュは執務机を回り込む。
思ってなかった彼女の行動に、まおはぽかんと口を開けて、彼女を見つめる。
「わざわざあの地下牢から呼び出すなんて、まお様、気が触れたのかと思ったけど」
ちなみに代わりに地下牢行きしたのは、ストリームとやっぱりコルトだった。
座っているまおの視線だと、ウィッシュの顔はかなり高い位置にある。
首が痛くなりそうなので立ち上がる。
同時に、ウィッシュは彼女の視線にまで、顔を近づける。
「何か、あるんですか?」
できる限り柔らかい口調で、音に気を付けて話しかける。
まおは緊張した面もちで、心なしか真剣な顔になる。
「……助けてくれたから」
それは理由になるだろうか。そう思いながら、しかし彼女の能力を考えれば、頼れるのは彼女しかいない。
「まず教えて。勇者。魔物って、人間でも倒せるんでしょ」
「ええ、倒せますよ」
数で統制して押せば別だ。あのトマコマイのような事になる――勿論一匹一匹を倒せないわけではないが。
「……それは私も、かな?」
一瞬言葉をどう選ぶべきか迷った。が、選んでも仕方ない事に気づいて、声色だけ注意する事にした。
「まお様だって魔物だから」
右手で拳を握って、とん、と彼女の胸を叩く。
「ここを剣で貫かれれば死にますよ」
「ウィッシュもだよね」
「あー……私は、あはは。私は、死なないよ。消えて無くなるだけ。元々陛下の魔物じゃないから」
まおが驚いて目を丸くして、言葉を継げないうちに彼女は続けた。
「魔王陛下の命により、マジェスト様が作った『天使』のバリエーションって言えばいいのかな?」
天使は、魔王軍団ではなく、魔王軍団でいう『いぬむすめ』や『ねこかぶと』に相当する雑魚魔物であり、無くなった分だけ補充されるタイプの魔物。
大量生産された人形のような存在だ。
「私は死んだら消えちゃいます。元々危なっかしいから使い捨てで作られたんだし」
まおの記憶を抱えていた天使も砕けて消えた。無くなってしまった。使い捨ての魔物。
「陛下は、陛下の魔物は、みんな陛下だから。陛下が死んだらみんな死ぬし、陛下が蘇れば復活する。そうでしょ?」
喩え、それがどんな死であったとしても。
「……ねこかぶとはむりだけど」
ここで言っているよみがえる魔物というのは、マジェスト以下幹部級の魔物である。
なおマジェストは魔王のために『魔王より早く』蘇るよう義務づけられているらしい。
「そう。ボクらはそんな感じの魔物です。マジェスト様が、陛下の欠片を使ったって言ってたけどね」
天使は姿形を自由に変える事のできる、器のような魔物だ。
「幾らソフトが優秀でも、ハードの限界は超えられない。だから、死なないように保存されてるのかも知れないけど」
保存。彼女はわざとその言葉を使ったのかも知れない。
「……ウィッシュ……」
ぽふ。
「あ、まお様」
慌てて体を起こすウィッシュ。
まおは彼女に抱きついていた。
「ごめんね」
まおはそれだけ言って、ぎゅっと腕に力を込めた。
どう見ても姉に――ウィッシュの見た目が若いものだから、だが――甘える妹の図だ。
ウィッシュはくすりと小さく笑って、彼女を抱きかえす。
「どうしたんですか?」
まおは小刻みに体を震わせていた。
色んな想いが彼女の中で交錯しているのかも知れない。
「だって」
まおの脳裏に蘇る、E.X.を振るうグザイの姿。
怖いと思った。でも、彼が怖かったわけではない。
そこにいた『猟犬』が怖かったのでもない。
『人間じゃない』
残響する言葉。
当たり前な、今思えば当然な言葉が、何故か怖ろしく聞こえる。
「……いなくなっちゃうのに。……人間に殺されたらいなくなっちゃうのに……」
「そう言うものとして作られましたからねー。それでも人と生活するのは問題なんですが」
がば。
「え」
あ、と思わず苦笑いで口元に手を当てるウィッシュ。
「いまのなし、ノーカン」
「ダメ」
がるる、と小さな犬のようにうなるまお。
「答えてくれなきゃ赦さない。今の言葉どう言うこと?」
「あ、はははー。いやだって、そりゃ、ほらまお様、言ったじゃないですか。『勇者を始末』したら、ねぇ?」
ぽりぽり。
頬をかいて、どうにかこの場を切り抜けたいウィッシュ。
がるる、と唸っていたまおが、突然顔を真っ赤にして惚ける。
「あ、あ、も、もしか、してその」
ぽりぽり。
「あ、でもボクは殆ど経験ないよ?ボクよりヴィッツだよ。生まれてからこの方、実は色んなお」
「わーわーわーわーっっ!わー!」
顔を振りながら両手を交叉するように何度も振るまお。
「いいっ!もういい!その話はもういーからっ!」
はあはあ。
にやり、と笑うウィッシュ。
「さて、どこまで嘘でしょう」
「嘘かっ!うそなのかっ!」
きー。
ぶちきれモードに入ったまおを放置するように、ウィッシュは優雅に身を翻して執務机の前に立つ。
「それで。まお様。任務、おしえてください」
にっこり笑うウィッシュ、まおは苦い顔で沈黙する。
震える口を、ゆっくりと開きながら。
きゅ、と口を閉じて真面目な顔をする。
「ウィッシュの本当の任務ってなによ。私はまじーに命令しただけだから」
「勇者に対する直接手段を実行する事」
勇者が相応しくない場合、さくりと殺す。もしくは、彼を成長させる。
「物語を延命、つまりまお様を保護すること」
勇者を籠絡して、ぶっちゃけ囲っちゃう。魔王に準備が整わない場合、そうする。
「それって矛盾してるでしょ。言ってて判るよね。ホントは何なの?ホントはまだあるんでしょ?」
まおが強くきつく言うと、ウィッシュはぺろっと舌を出して片目をつぶる。
「全部、マジェスト様には口止めされてるから、言っちゃダメなんだけどね」
まおは彼女の冗談のような芝居っけたっぷりの仕草にも顔色を変えず言う。
「それだけのはずがない。ウィッシュ、あなたはともかくヴィッツを『バランスが崩れる』だけの理由で土牢に封じる理由がないんじゃない?」
マジェストは、まおのことを良く考えている。いつも思っている。常に彼女のために。
まおは、最初に勇者予定の子供を殺してしまってから――百年以上のこの空白を今不自然に感じている。
両者を結ぶものはないが――ウィッシュと、マジェストには何かがある。
マジェストに聞いても絶対判らない、だから――まおは、ウィッシュとヴィッツを呼んだ。
ウィッシュは、顔に笑みを張り付けたまま、ただ笑っている。
だがそれも、ほんの数呼吸の間だけ。
「……魔王陛下。『キーワードは二つ。『嘘』と『真実』。回答に至るパスワードは『あなたの意志』。故に問う』」
――これも定められた事なのかな
ウィッシュは指定された文章を読み上げた。
既にかけられた暗示のような、設えた口調で。
しかし問わねばならない。彼女にはまおの内面も内情も、何も判らないのだから。
そのために作られたと言え、彼女には罪悪感がしこりのように残る。
そして疑う。マジェストの真意を。自分を作った『意味』を。
「目的は何か――真意は何か、陛下が私に求めるものは何か」
戸惑いなく、顔色の変化もなく。ただ静かに、淡々と。まおは、彼女の問いに答えた。
だからウィッシュは、内心で微笑んだ。この上なく楽しそうに。終わりが来たのだと。
「『道化の願い』。狂言回しは狂言回しらしく、物語を終わらせたらどうなの」
そしてまおの答えに小さく頷くと彼女は呟いた。
「結構ですまお様。こんな言葉はご存じですか?過去の、遙か過去の詩人の残した言葉」
まおの顔が強ばっている。その様子に、少しだけ悪戯したくなる気持ちも浮かんできた。
「英雄の居ない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。……では英雄が必要ではないが英雄の居る時代は幸福なんでしょうか?」
そう言うと、まおに背を向けて執務室を出た。