魔王の世界征服日記
第97話 はこいり。
いつもの魔王執務室。
長らくの魔王不在が続いたものの、常に維持してきたアクセラとシエンタの努力が、ここを清潔且つ魔王の居城へと仕立てている。
いつのまにか仕入れた、冷風扇もひよひよと周りながら冷たそうな空気をまき散らしている。
そして、やっぱりマジェストが直立不動で、魔王の執務机の後ろに立っているという、極めて日常的な風景の中。
「……あのさー」
執務机の前に、めいどさんがいた。
そりゃーもう何というか他に表現のしようがない程、完璧で非の打ち所のない程それはメイドだった。
メイドさんと言えばこれ、と言う紺色のエプロンドレスに、髪飾りと眼鏡。
そしてしゃきっと背筋を伸ばして指示を待つ姿は非の打ち所がない。
「帰ってきて早々なんだけど、これ、なに?」
「は」
『これ』と呼ばれたメイドはぺこりとお辞儀して応える。
「私はコルト=プラスともうします。以後お見知り置きを」
にこり。
ちなみに随分昔にちょいと名前だけでてたはずの人間のコルトさんとは別人。向こうはコルト=ガヴァメントさん(27)独身男だ。
海外製品とは違うのだよ海外製品とは!
「だいじょーぶなの?これなんなのよ」
「申しあげ難いことなのですが陛下。……以前にウィッシュとヴィッツを地下牢から出したことがあったと思うのですが」
うん、と頷くまお。
一緒に旅をした仲間になっちゃったし、一応なりとも助けられたのだから。
「かんしゃしてるよー」
「いえ。彼女らを解放する代わりに封印された魔物がいるのです」
地下牢、もしくは土牢というものは名前だけで実際には管理が大変な魔物である。
魔王が「永久封印」といえば永久に封印してくれる優れものだが、『永久封印』されていたはずのウィッシュとヴィッツを解放するには代償が必要だった。
それが、代わりに封印される同じような魔物だった。
「ストリーム=アブソリュートとこのコルト=プラスです。コルトは私の娘なのですけれども」
「えっと。……つまり?」
「はい。ウィッシュとヴィッツを封印するかわり解放されたのです」
…………。
言葉は正しい。間違っていない。何故コルトなる魔物が解放されたかは判った。
「あのさ。……私こんな魔物みたことないんだけど」
「当然で御座います陛下。箱入りですから」
「はこいりかっ!」
と言うことは当然気になるのが。
「……ストリームってのは」
「ああ、混乱するのではこいりにしてます」
「どこでどうやってはこいりなんだっっ!てか、ウィッシュとヴィッツ、何でまた戻したのよ」
こんなへんてこりんな奴よりまし、というよりは何も執務室でこんな恰好でこんな事させる理由はあるのだろうか。
まおは――以前思いっきり嫌っていたはずの二人に何処か同情的に言う。
マジェストはちらりと彼女の顔を眺めると眼鏡を光らせて顔を隠す。
本心を隠すときの、彼の癖だ。便利な眼鏡である。
「二人の任務は終了しました。バランスが崩れるので普段は封印させるぐらいで丁度良いのです」
ちらりとめいどさんをみる。
確かに、バランスがとれるかも知れない。
「じゃあこのコスプレ娘外に出しちゃって」
「……本当に良いんですか?ここで箱入りにすることをオススメしますが」
「何処まで出す気だ。部屋の中にいれておくなーって言ってるの」
そう言ってまおはきっとメイドを睨む。
メイドはぺこりとお辞儀する。
「なんでございますか魔王陛下」
「コルトは扉の外で待機ね」
「……嫌です。ここがいいです」
ずべしゃ。
まおは器用に執務机でずっこけて顔面殴打している。
両腕を突っ張らせて、ひくひく痙攣させている。
「こらーっ!まーじーぃー!なんとかしろーっ」
ひよひよひよ。
冷風扇が一生懸命回っている。
「魔王陛下。長らくのお留守、ご苦労様で御座いました」
取りあえず扉前待機に任務変更したコルトを放置して、執務室は静かな雰囲気が戻ってきた。
マジェストの挨拶にも、しかしまおはあまり反応しない。
「ん……」
つい先程、まおと『天使』の内部記憶を転写して、どうにか再生したばかりだ。
ちなみにその時の余波でまお型天使は崩壊している。もう戻らない。
「あのさ、その」
こうして、大きな魔王専用の椅子に深々と座って。
執務机越しに彼女がちょこんと座ってるだけの姿をみると、酷く頼りなく感じる。
それぐらい小さい。彼女は、自分が三倍の体型であったとしても使用にたる調度品に囲まれているようにも見える。
「私、やっぱりまおうなんだよね」
「何を今更」
まおは、足を伸ばして自分の爪先をじーっと見つめる。
ぱたぱた、足を動かしてみる。
「じゃあさ」
なんで。
「勇者って。まおうを倒しに来るのかな」
「それも今更」
まおはいすのへりに手をかけて、そのまま体を上下させて、椅子毎飛び跳ねる。
ごんごんと椅子は前進して、良い位置になるとまおは執務机によじ登るようにして、両肘で頬杖を付く。
「魔王軍って、本当に世界を征服しなきゃいけないの?」
「そう言う設定で御座いますからな」
まおは肘を滑らせるようにしてぺたー、と体を机の上に投げ出す。
「やっぱり人の敵なんだ」
「敵で御座います」
今更。本当に今更ながら、まおは魔王を大きく重くのしかかってくるものだと認識し始めていた。
記憶を失った事が、一時的にでも魔王である事を忘れると言うことが、まおにとっては大きな経験になってしまった。
――何故、こんな女の子なんだろう、私は
答えはでなかった。
「今、ゆうしゃっているの?」
まおの問いに、しばらく沈黙し。
「いいえ。まだ居ませんな。いい加減待たされているものです」
「そ、か」
がたん、と椅子を蹴って立ち上がる。
「テラスに行く」
「お供します」
魔城テラスは、勿論魔城最上階にある。
魔王の執務室は最下層・最奥に存在する。
さらに付け加えて、魔城は内部がいつも変化しているので、まともな神経の持ち主では最奥に向かうどころか、でるのも難しい。
テラスに向かうまで、まおは一切喋らなかった。
マジェストもその様子をただ眺めるだけで、何も言わなかった。
魔城のテラスは、ここ魔城の存在するシズオカでは最も高い場所に位置し、見下ろす城下には人間の町並みが広がっている。
一度アルバイトをした案並=ラージュもこの街にあるのだ。尤も、今ではレストラン『昼間に必要とされる者たち』に代わっている。
なお略称はDay=needersである。
「何かこう……」
テラスのてすりから町並みを見下ろしながら、彼女は大きく両腕を開いて。
「世界って、小さく見えるよね」
マジェストは何も言わず、彼女の背中を見つめている。
あの日、逃亡を企てた彼女は旅の中で何を見たのか。
天使が思わぬ機能を発揮していたために、まおそのものの人格も危うかったのだから、或る意味。
――ご無事でよかった。私の不徳の致すところが魔王陛下を亡き者にするところでした
全くだ。
「陛下。この世界は非常に狭く小さいもので御座います」
何百年も成長しなかった、まおの人格も、何かの切っ掛けで動き始めたようだった。
マジェストもそれは判った。
勇者が現れるのは物語の始まり、そして出会いは物語の終わりを表す。
その勇者は讃えられるのか、命を引き替えにして物語を白紙にするのか。
「酷く軽く、単純な物で御座います。陛下は、その小さな世界におられるのです」
「そだよね」
「人間というのはさらに小さく、取るに足りな」
「人間は」
まおは珍しくマジェストの言葉を遮った。
マジェストも彼女の剣幕に、すぐ口を閉じて彼女の言葉を待つ。
くるん。
まおは全身を半回転させて、テラスの手すりに背中を預けて、マジェストと向かい合う。
「人間は凄いよ。長く生きられる訳でもないのに、なんだか必死だし、その」
んー、と言葉を探す。でも、あんまり良い言葉が見つからなくて小首を傾げてしまう。
「……とるにたらなくなんかない」
「そうでございますか」
彼女はもう一度テラスから見下ろして、胡麻粒以下にしか見えない人の姿を探す。
勿論、目を懲らそうが望遠鏡でも使わない限り絶対に見えない。
「うらやましいよ」
手すりから乗り越えるような恰好で、両手を一杯に伸ばして、彼女は言う。
「……何で、魔王になっちゃったんだろ」
「魔王として生まれたからで御座います」
きゅ、と口を噤んで、彼女は体を起こして。
今度は穹を見上げる。遠く広く深く澄んだ蒼い穹。
すじ雲が走り、何処までも蒼く遠くまで広く伸びた穹。
そして彼女はきっと顔をマジェストに向けた。
「もう一度ウィッシュとヴィッツを出しなさい」
「陛下」
マジェストは驚いて思わず言葉をかけたが、まおは真剣な表情で続ける。
「必要なら封印するのは別の、四天王でも構わないから」
それはまおの初めての命令。命令口調でしっかりと彼にそう指示を出した。
まおが生まれて初めて、だだばかりこねて、魔王としての命令は一度たりとも無かったが。
マジェストはその場に跪いて頭を垂れる。
「御意」
そして、すっと姿を消した。
数分後、謁見の間に姿を現した二人と、連れてきたマジェストはそこにまおの姿がない事に気づき。
「あ。そう言えば魔王陛下をテラスに放置してしまいましたな。はっはっは」
魔城最上階テラスから、どうやっても出られなくなって吹きさらしの中でびーびー泣いているまおの姿があった。
「うーわー、まじーのばかーっ!」