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魔王の世界征服日記
第94話 魔物と人間の差


 ロウに追いつき、どかどかと地下に向かうエレベータに全員乗り込む。
「あう」
 取り残されそうになって、乗ろうとしたミチノリを襲うブザー。
「重量オーバーだな。残れ」
 ロウが無惨に言い残す。
「待て」
 律儀にボタンを押してまっていたロウを、ユーカが抑える。
「……私と、バグが残ろう。ミチノリ、先に行け」
「え?えー、でも」
「良いからいけ」
 ぎろ、とバグを睨んで、さっさとエレベータから降りると、バグもそれに続いてのそりと降りる。
「ゆぅちゃぁん」
「五月蠅い。寂しそうな顔するな。お前やたらとその娘を嬉しそうに抱いてるじゃないか」
 ぎくり。
「あぅあぅ、だってそれぁわあ」
 代わりにあたふたするミチノリの背を蹴るようにしてエレベータに押し込んで、扉が閉まるのを見送った。
 何となく哀しそうな顔をしていた彼の顔を、敢えて無視して。
 ふん、とそれを見てどこか優しい顔でため息を付く。
「何故ですか?」
「何だ。質問か。簡単だよ、お前が信用できないから、私が直接ついた。それだけのことだよ」
 それに。彼女は付け加える。
「この装置の使い方を知ってそうだから」
「それが一番ですか」
 やれやれ、と彼は肩をすくめてみせると、さっさとエレベータに近寄ってボタンを押す。
「あいつはこういう事が苦手でね。尤も、私とてさしたる差はないが」
 両手を腰に当てて、エレベータの前で振り向くバグと向かい合う。
 彼はおもむろに胸から『魔物レーダ』を出した。
「何か聞きたいことでもあるんですか?それも、二人きりで」
 そしてそれを手の上でくるくる回して弄ぶ。
「そうだな……当てられるか?それだけ察しがいいなら」
 にやり。
「まおさんが魔物かどうか。……これで判ったかどうかですね」
 かぱり。
 あけて、彼女に向ける。そこに映る光点は三つ。
 ウィッシュ、ヴィッツ、そして『まお』型天使。
「正直に言いましょう。映っていませんから『判りません』」
 ユーカは不機嫌そうな顔をした。
 同時に、ちーん、という音がしてエレベータが到着する。
 二人は無言で乗り込み、バグはどこか楽しそうに最下層のボタンを押し込む。
「何故だ」
 がたん、と四角い小さな部屋は音を立てて落下を開始した。
 最下層に向けて。
「はい。これは天使の居場所と動きを知るためのものです。総ての魔物を表示することはありません」
 精確には『天使種』であるが、彼はそれ以上言わなかった。
「……そうか」
 ユーカは落胆したように言うと、壁に背を預けて俯く。
 バグは不思議そうに首を傾げながら、レーダを胸にしまう。
「何故です?」
「何故?そうだな。今私達が追っている『まお』ちゃんは、その天使二人が連れてきたからだよ」
 いや。逆かも知れない。
 ユーカはそう思って、上目遣いにバグを見る。
 バグはにやにや、いつもように笑みを湛えている。
「成程、疑いたくないという感じですね。判りますが……」
 がたん、と音を立てて、そして扉が開いた。
「今は本人を捜す方が大事ですね」
 二人きりの時間は終了、と少しおどけて言うと、彼はこれ以上話す事はない、というふうに外にでた。

「この地下は意外と広い。迷うなよ」
 ロウはそう言いながら、腰にある剣を確かめるように左手で柄を叩く。
「手分けしましょうか」
 ウィッシュは小首を傾げ、右手の人差し指で自分の頬を押さえる。
 仕草は可愛らしい。
「内部を良く知っている人間と一緒に動いた方がいいんじゃないか?」
「いや、俺も良く知らない。全部回った訳じゃないからな」
 ぴたり。
 全員の足が止まり、瞬時静寂が訪れる。
 気配に振り向くロウ。
「そのまえに、目的もはっきりさせた方が良いんじゃないですかね。ほら、最下層に閉じこめた魔物を倒すとか、グザイさん達他を救出するとか」
 バグは以外と常識的に言うと、全員を見回すように顔を動かす。
 何となく沈黙。
「……その前に答えろ」
 振り向いたロウに、いつもの淡々とした口調で言うユーカ。
 普段、何もない時は眠たそうな緩い顔にしか感じられない彼女の顔も、何処か緊張しているように見えた。
「お前の他に誰かいるのか。何故生きて残る必要が有ったのか教えてもらおうか」
 やはり、沈黙。
 睨み合うような時間が過ぎ、ややあってロウが口を開く。
「シータという少女が、意識不明で倒れている。――他には誰もいない」
「だったら」
 ヴィッツが叫んで飛び出しそうになるのを、ウィッシュが止めた。
 首を振って無言で抑える。
「私達をここに入れた目的は」
 ユーカは、やはり淡々と続ける。
「魔物を排除して、ここの安全化を図る」
 即答。
「理由は」
「作業する際魔物がいては困る。作業そのものはシータに関することだ」
 即答。
 ユーカは眉根を寄せて目を閉じる。
 ちら、と後ろを見ると、ウィッシュは何か判ったかのような顔をして頷く。
 まかせる、という事だ。
「グザイさんは?カナさんもおられたでしょう」
「……」
 バグの問いには答えず、バグを一瞥するだけ。
 無言。魔物の存在。それだけなら『死』を暗喩するのだが。
「何を隠している。先刻からその質問だけは答えないな」
「……」
 徹底して無言。
 だから、ユーカはもう一つ遠回しに質問することにした。
「魔物の数は」
「今のところ確認しただけで二つだ。天使型ではない強襲型が1、不明が1」
「未確認は?この建物に魔物の巣があるのか?」
「いや、ない。外部からの侵入だ」
 質問がとぎれ、再び沈黙が訪れる。
「では最後に。これからの目的と、我々の要求に対する答えは」
 目を伏せ、ロウは大きく息を吐いた。
 そして、左手で自分の顔を覆う。
「くく……」
「ロウさん?」
 いつもの人を喰った態度のバグですら、彼の変化に驚いているようだった。
 ロウもまともに会話しようとしない、あまり好ましくないタイプだったが、明らかに違う。
「魔物を狩るんだよ!判るか!できなきゃ帰れ!邪魔する奴も帰れ!てめぇらはてめぇらの心配をしててめぇらが探せ!」

 ロウはいきなり早口で、興奮した様子で矢継ぎ早に叫ぶ。

  ひゅ

 空気を裂く音がして、ユーカの鼻先に金属の刺激臭が突きつけられた。
 素早い抜刀に、目が追いつかなかった。
 彼女の眼前には鋭い切っ先があり、それはロウの左腰に下げられた、サッポロでは見られないタイプの諸刃の直剣。
 相当使い込んだのだろう、脂と油の臭いの他に、明らかに血の臭いがべとりと染みついている。
 洗っても、幾ら手入れをしてもこの臭いは新品のように隠す事は出来ない。
「信用なんかできるか、誰が魔物で誰が人間なのかなんか判ったもんじゃない、判ったか!」
「ああ、判った。お前がもしかすると自分も魔物かも知れないと疑っているんだろう、って事が」
 そして、と付け加える。
「多分私達も疑っているんだろう」
 ロウはユーカを睨んだまま動こうとしない。
 切っ先も震えるどころか、真っ直ぐ彼女の眉間を狙っている。
 一呼吸どころか、ほんの僅かな動作で彼女を消すことだってできる、そんな危うさのある状況だ。
「魔物も人間も、起源が同じならそこに差はない。それは少なくとも今までの経験で判ってきた」
 ウィッシュ、ヴィッツが魔物であると言われてもすぐ納得できないだろう。
 器に違いを感じられないのだから。
 だが明らかに人間ではない何かがあり、それが彼女達を魔物と呼ぶ存在として隔てている。
 会話して。
 理解して。
 もしかすると人間が思っているほど魔物とは、人間からかけ離れていないのかも知れない。
「何をもって魔物と呼ぶかだ。神を神と呼ぶべきか魔物と呼ぶべきなのか――」
 バグがごくりと喉を鳴らした。
 神から人間が生まれた。
 神は人間を滅ぼすために魔王と魔物を創造した。
 魔物は魔物を創造した。
 勇者は神を滅ぼし、魔王を滅ぼし、つかの間の平和を享受した。
――なのに魔王は蘇り神は蘇らなかった
 そして勇者は人間として人間から生まれる。否――その中から選ばれる。
「もしかすると神とは、人間の別名なのかも知れないがな」
 ひゅ、という空気を裂く音。
 同時にウィッシュはユーカの肩を掴んで後ろに引き、入れ替わるように右足を踏み込み、右腕を翳す。
 ぎん、という音がして、ウィッシュの上半身が揺れた。
 彼女の中指と薬指の間から、ロウの剣の切っ先が覗いている。
「ほら、もう動かない動かない。ユーカさん、あんまり無茶するもんだから」
「きっと助けてくれると思ってたからな」
 彼女の右腕は鈍い光沢を放っている。
 瞬時に金属化させたのだろう。普通の人間がこう言うことをすれば、勿論ただでは済まない。
 すっと右手が元に戻り、彼女はロウの剣を解放した。
 がらん、とそれが地面に転がり、ロウはもう剣をとろうともしなかった。
「ロウさんでいいですか?」
 ウィッシュは丁寧に呼びかけながら、彼の様子を見つめた。
 まだ混乱から抜け切れていないようだが、そのうち落ち着くだろう。
 今はどうして良いか判らないのかも知れない。
 何にしても、今彼が敵なのか味方なのか、それとも放置して問題のない存在なのか。
「多分貴方はいるべき場所と住むべき世界を間違ってしまった。別にそれは貴方が悪いわけではないのに」
 彼に変化がないのを確認してからにっこりと笑う。
「忘れてください。またお会いしましょう、それは何時のことになるか判りませんが」
 そしてくるりと振り返るとユーカは小さく頷いた。
「じゃあ手分けしよう。まおちゃんは何も判らなくなってるかも知れないし、魔物がいるなら危険な可能性もある」
「私とヴィッツ、ユーカさんとミチノリさん。それと、ここなら大丈夫ですから天使は私が」
 呼びかけられて酷く困った表情をするミチノリ。
「……ミチノリさん」
 ヴィッツが言うと、ますます困った顔をして、彼女とウィッシュを交互に見る。
「もぉしかしてぇ……」
 ミチノリの肩をぽんぽんと叩いて、そのまま抱き寄せてユーカが言う。
「どうせ、行くつもりなんだろう」
「流石、お話が早くて助かります」
 ユーカは肩をすくめて見せ、片手でミチノリの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「この馬鹿から煩悩をとってやりたいぐらいだ、私というものがいながらこんなロリコン趣味とは」
「ちちーがぁうよぅ」
 慌てて叫ぶ彼の後頭部を、小さく拳でこつんと叩く。
「持っていって良いぞ。……探す手伝いぐらいはさせてもらおうか?」
「いえ。それよりも早く、ナオさんとキリエさんをお探し下さい。まことに身勝手ながらこれで失敬します」
 右手を口元に当て、くすくすといつものように笑いながら、丁寧なようでいて結構乱暴にそう話すと優雅にぺこりとお辞儀した。
「確かに身勝手だ」
 ミチノリを抱いている手を、彼の髪に差し入れて、手ぐしで彼の頭を撫でる。
「これではサッポロに帰っても対魔軍に協力できるかどうか判らん。しかも、自分達はさっさと目的を果たして帰るという」
 でも、彼女の顔は決して歪まない。嬉しそうな、のんびりとした貌で笑っている。
「いえ、私達だって人間を襲いますよ?そうですね、フユ将軍によろしくとお伝え下さいな。恨まれてるはずです」
 くすりと笑い応える。
「子細なく承知した。酷くおかしいな、おかしい。人類の敵とこうしてこんな会話をしている」
 思えば一番最初からうちとけていたのはこの二人だった。
 どこか似ているからだろうか。
 それとも、たまたま同じような性格だったからだろうか。
「お互いに。でも」
 そしてウィッシュはうーん、と考えるような仕草で首を二、三度傾げながら右の人差し指を自分の頬に押し当てる。
「本当は敵じゃないかも知れませんよ。そう思うと、ほら。私達は何故ここにいるんでしょうね?」
 それには誰も応えられなかった。


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