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魔王の世界征服日記
第91話 危機


 カナは、朝食の準備を終えると大きくのびをして、ロウを呼びに行くシータをの背中を見つめる。
 自分より背が小さい彼女がてきぱきと動く様子は、どこかかいがいしく見える。
 カナがそう感じたかどうかは別として。
「シータは、ロウのこと好きなんだよね」
 グザイは自分のために煎れたコーヒーをすすりながら眉を寄せる。
「ははぁ。そう言う風に言えるかも知れませんが」
 だが、帰ってきた応えは妙に曖昧だった。
「互いに必要として互いに補う形をそう呼ぶので有ればそうでしょう」
「え?」
 確かに、昨日の戦闘ではシータの指示で剣を振るっているようだった。
 だがそれはロウにとって必要なのであって、シータがロウを必要としているようには見えなかった。
 だから『好き』という言葉で表現してみたのだが。
「……じゃ、もし、どっちかが欠けても」
「ええ。大体想像している通りかと思います。私には断言しかねるところもあるんですけどね」
 ずず。
「いずれ離れる予定の、カナさんにはあまり深く関わらない方が身のためかと思いますよ」
 柔らかい口調の忠告。
 しかしそれは受け取り方によっては拒絶であり、あからさまな反発でもあるのだが。
 カナは目を僅かに伏せて、哀しそうに呟いただけだった。
「そうなのかなぁ。……ホントに」

 朝食を終えて片づけを終えると、今日は『狩り』は行わないのか、シータはすぐにお茶の用意をし始めた。
 グザイは『調整があるので』と言い残し部屋を去り、ロウ、シータとカナの三人は紅茶を囲んで無言で座っていた。
「狩りってさ、スケジュールか何か決まってるの?」
「大体……情報が入って、その時間に待つか、襲ってくる魔物を抑える為に討って出る」
 珍しくロウがすぐに反応し、ぼそぼそと応える。
 シータはゆっくりと紅茶をすする。
「そなんだ」
 カナの応えにも顔を変えず、手元の紅茶にも手を付けず、ロウは部屋の隅を見つめている。
 会話終了。
 再び沈黙が訪れる。
 どうやら彼らにはこれが普通なようだった。
 しかしカナは――多分、記憶を失う前もきっと騒がしかったに違いないだろう――沈黙に耐えるのが非常に苦しかった。
 何というか悪いことでも言ったんだろうかとか、そう思う。
「ロウ、冷めないうちに飲みませんか」
 シータの無感情な声が、カナの代わりに響く。
 彼はゆっくり顔を上げ、じろっと彼女を一瞥するとカップを握って。
 がばりと呷った。
「……ごちそうさま」
 かたん、とそれを机に置くと、彼は再び同じ姿勢に戻る。
 喧嘩しているようにも見えるが、別段これが普通だ。
 家族ではない。
 以前の回答を思い出して、カナはため息を付いた。
 珍しく――いや、多分それがカナだったからだろう、シータが無表情ながら顔を彼女に向ける。
 敏感に。
「カナさん?」
 僅か語尾の抑揚がなければ、疑問形であることには気づかないぐらいだったが。
「どうかしましたか」
「え、いやあの」
 言うべきだろうか。
 カナが僅かなその時間、躊躇して。
 返事を返そうとしたシータは、ぐらりとその恰好のまま横に倒れていく。
「――!」
 それまで明後日の方向を向いていたロウは両手を彼女に伸ばして、慌てて彼女を支えた。
 妙に華奢なシータの体は、ふわりとそこで動きを止めて、まるで人形のように力無く崩れる。
「シータっ」
 ロウの叫び声にも反応はない。
 まるで直前に電池が切れた人形のように、何の反応も無くなった。
「え?え、え!」
 彼は瞬時に判断した。
 カナの方を振り向くと、無言で立ち上がって廊下へ飛び出していく。
「わ、わっ」
 ロウという支えが無くなって、ふらりと倒れていくシータに飛びかかるようにして慌てて駆け寄るカナ。
 くたりと全身の力を抜いて倒れる彼女は呼吸すらしていない。
 いわば『即死』状態だ。
 もちろんカナに医者の知識なんかないし、魔術だって使えない。
 しかし何らかの危険な状態であることは間違いなかったし――何より、今のシータの側には誰かが居なければいけなかった。
 抱き寄せるようにして、彼女を抱えるカナ。
 本当に死んでしまったかのようにしか見えない、彼女の様子に、酷く寂しい物を感じて腕に力を込める。
 まだぬくもりは消えていない。
 つい直前の質問に、まだ答えていない。
 背中側から彼女を抱きしめると、まるで腕の中でただ眠っているだけのようにも感じて、そう思えて、カナは彼女の頭に手を添える。
「しっかりして、お願いだから返事をして」
 狭い部屋。
 物音は無機質に、規則正しくどこかで響く。
 自分の動く音と呼吸音以外、そこで立てる音はない。
 ぞくぞくと背中から寒気が走って、カナは思わず叫んだ。
「何でよっ、何よ一体何なのよーっ!」
 まだこの箱船の構造も知らない。
 どこで何が起こっているのか判らない。
 こんな状況で。
 他に何ができるのだろうか。
 妙な静けさの中で、シータを抱きかかえたまましばらくの時間が過ぎた。

  おぉん うぉぉん おぉぉん

 妙な音が響いた。
 それは何かを揺らして音を立てているような、鈍くて低い音。
 良く耳を澄ませば、それは大小幾つかの音の重なりとして捉える事ができる。
 遠く、近く。
 重なる音は距離の差だろうか。何となく音そのものの記憶も有るがする。
 鳴き声ではなくて、それは、弦が振動しているような規則正しい音のようでもある。
 気になる。
「ごめんね」
 カナは、シータをソファに寝かせるようにして横たえると、音が聞こえた方へと向かうことにした。
 慣れない部屋の出入りをしながら、ゆっくりとそちらへ向かう。
 カナ自身気付いていなかったが、出口に向かう道をゆっくり歩いていた。
 音は――この箱船の外側から聞こえてくる。
 慣れない手つきで扉に触れると、ばしゃっと圧搾空気が吹き出し、音を立てて扉が開いた。

 穹は酷く遠く蒼く、抜けるように広く、今日は全く完璧なニホン晴れ。

 何時の間にか、音は消えていた。
「あれ?」
 カナは呟いて、部屋に戻った。
「あ」
 既に部屋にはロウがいて、シータを抱きかかえようとするところだった。
「シータは」
「……眠らせる。地下のベッドの準備をした」
 それだけ言うと、彼はカナの側を抜けてすたすたと廊下に出ていく。
 慌てて彼を追うと、ロウの後ろを追いかける。
「ねえ、シータは」
 こつこつという硬質で冷たい廊下の反響音。
 ロウは振り返りもしない。
 まるで次の言葉を待っているようにも見える。
「……大丈夫なの?」
 だがそれにも返事はない。
「ねぇって!」
「わからん、判るなら……そんなもの、畜生」
 ロウは吐き捨てるように答えて、黙々と廊下を進む。
 メカニカルな金属製の廊下を抜けて、扉を開ける。
 エレベータだ。
 ロウが入るのを、慌てて追うカナ。ぱたぱたとロウを追い越すと、振り向く。
 壁にぺたーっと背中で張り付いて、奥の壁を占拠してしまう。
「……」
 一瞬固まるが、ロウはくるりと彼女に背を向けてエレベータを閉じて、いつもの階のボタンを押した。

 危険な状態。通常危篤状態という。
 はっきり言うと、彼女はそんな状態だ。
 心臓も呼吸も停止したら普通は死亡というのだろうが。
「試験設備と同等のものはないぞ」
 と、グザイは言った。
「構わないな」
 それは確認ではなかった。
 既に確実ではない方法に頼らざるを得ない、今の状況をただ主張しただけで。
 ダメだ、とも、良い、ともロウが言うのを待たずに彼はスイッチを入れた。
 シータは円筒形のカプセルのようなものに収められて、濃い紺色の液体の中に沈められて、装置の中で眠り続けている。
「……」
 『棺桶』のようだとカナは思った。

  おぉん うぉぉん おぉぉん

「!」
 その音に、グザイが戦慄したように振り向いた。
 装置に手がかけられたままだ。
「どうし――」
 音は、カナには聞き覚えのあるものだった。
 但し、もっと遠くから聞こえていたような気がした、が。
 それは危険な意味を持って周囲を取り囲んでいた。
「『猟犬』だっ」
 グザイが叫んだとほぼ同時、『音』は部屋の中央に密集した。
 まるでそれは姿を持たない何かがそこに居て、音を立てている、としか表現出来ない『何か』。
 それが――音が、襲いかかった。
 ロウの動きは早かった。
 部屋の隅に投げ出してあったものを引き寄せ、それを床に垂直に立てながら構える――それは剣。
 ただし、E.X.-Caliberではない。巨大な、実体を持つ剣だ。
 幅が広く、その姿だけではタワーシールドと勘違いしそうなぐらい巨大だ。
 振り回せるのだろうか?否。それはそもそも振り回す為に作られた剣ではない。

  ごぉうぃぃぃぃぃぃぃぃぃ………

 その剣が、梵鐘を打ち鳴らしたような金属音を立てて震えた。
 彼の後ろに、グザイとカナ、そして――そう、『棺桶』が横たえられている。
「馬鹿、その魔物に実体剣は効かないっ」
「E.X.-Caliberは使えないだろう!」
 だが防ぐことはできる。金属製のこの剣を盾代わりに、突撃を止められるのだから。
 実際この姿のない魔物がここまで入ってきた事は今までになかった。
 何を狙って現れたというのか――何度も、何度も打ち鳴らされる金属音に頭蓋がかき回されそうになりながらロウは振り向いた。
 視線の先――カナに。
 頭を抱え込んで床にへたりこんでいるカナを見て、彼は。
「グザイ」
 考えられる結論に達した。


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