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魔王の世界征服日記
第89話 魔王、再会


「反逆?反逆だって?あはははははははははははははははははははは」
 もう少しだけ。
 本当だったらもう少し時間が欲しかった。
 でも、でも。
 魔王を捜して、彼女のために勇者を『封印(しまつ)』して、もう少しだけこの物語を長く、このゲームを少しでも面白く演出していかなければ。
 そのためにも魔物であるとはばれたくはなかったし。
 だから、本気で本性の嗤い声を聞かせなければならないのは――正直、悔しかった。

 でも相手は赦してはならない人間。

 この男は『喰』わなければならない最優先。
「誰が反逆したって?えー!?人間!」
 目の色が内側から変わっていく。人にあり得ない紫の瞳。
 長い髪は戦闘態勢をとって、風なくなびきうねり始める。
「ボクの知ってるの『神』は、あんたのいう『神』とは違うからね!ははははははっ!神話なんかで語られる嘘は、人間が歪めた虚実だよっ」
 右手に風、左手に水、後方に火、正面に土。
「な」
 バグは、突如本性をむき出しにしたウィッシュに、さすがに一歩退いた。
 天使とは桁の違う存在感。同種の上位、明らかな能力差。
「『liquid』」
 踏みつける地面。硬い地面にたたきつけたウィッシュの足音。
 ぱしゃ、と音を立てて突如バグの足下の感覚がなくなる。硬いはずの地面が、抵抗なく彼を吸い込む。
「『Solid』」
 再び、今度は反対側の足でかつんと足音を立てると。
 彼を腰まで捉えた地面は、今度は元通りの岩へと還る。
 ただそれだけで牢獄のできあがり――腰から上だけが地面から生えた、一種の拷問だ。
 地面という外しようのない巨大な足かせを付けられた囚人は、困惑と驚愕の表情でウィッシュを見返していた。
 まだ、手元にはエネルギーを充填した『食器』がある。
 諦めはない。
「お話したいってね。良いよ、ボクでよければ幾らでもお話しましょうか?ボクに言った言葉の責任をとらせてあげる。後悔するんだね」
 口元をつり上げて、捕食者の笑みを湛える。
――気に入らないよ、何も知らないからこいつはこんな事いえるんだから
 赦せない。ウィッシュは、目の前の男だけは殺すだけでは飽き足らない程怒りを感じていた。
 勿論殺す気はない。殺しては折角持ってる情報を引き出すこともできない。
 ゆっくり一歩一歩、バグに近づきながら彼女は大声で怒鳴る。怒鳴る。叫ぶ。
「最初に裏切ったのは、十二人の神の方だ。最初に魔王陛下を利用しようと考えたのはあいつらの方だ」
 興に乗ったウィッシュは、謡うように叫びながら近づく。
 近づく。
「神は、一人の神を裏切ったんだ。最初に、ホントの役割をねじ曲げて。彼女はそれに怒りを憶えてっ」
 赦せるはずはない。
 本当に怒ったかどうか、神は悲しんだかも知れなかったが、ウィッシュにとって結論は同じで。
 そして、あんまり腹が立ったせいで、理性的に落ち着いた意識を持つことは難しかった。
 自分の身に危険が降りかかるというこの状況下で、落ち着いて、むしろ不敵に笑みを湛えるバグに。
 気づけなかった。
「それでも俺は、この世界の『本当』を知りたい」

  すぱぁっ

 距離、丁度手が届かないぐらい。
 そこまで近づいたウィッシュに、バグは右腕を一閃させた。
 袈裟に旋回する右腕が、彼女の左腕に襲いかかった。
 かちり、と押し込まれるスイッチ。
 同時、ウィッシュは腰を落として後ろに飛び退こうとして。
「っ!」
 叫び声を上げる。
 ばちり、と、雷のような激しい音がして、ウィッシュの左腕が、肩から先が消し飛ぶ。
 今度こそ間違いなく、『食器』を明らかに使った形跡を残して。
 勿論派手に大きく振る必要性はないのだろうが――完全に埋没した下半身に自由が利かないから、狙いを絞れない。
「見えるでしょう?そこの後ろからでも、この魔物の左腕が有ったはずの場所が」
 高らかに叫んだ。
 不自然で、有り得ない。
 本来肉や骨のような固形であれば存在するはずのものが。
 血も出ないその傷口は、彼女の着ていた服までもが。
 奇妙に平らな、まるで蝋人形を切り裂いたような一様な平面を構成して、切断面を表現していた。
 色は――黒。
 それは生き物の切断面とは言い難いものだった。
 先刻の人間とは違う。明らかに違う――それは当然で。
「この『生き物』がヒトではない証さ」
 バグは再び右手の箱を構え、下半身を沈めたままウィッシュを睨み付けた。
「これで、左腕は貰った。俺を解放しないなら、全身を戴く」
 バグの持つ武器はウィッシュの知らない物だ。
 どういう物なのか判らないから、どうして腕が引きちぎられたのかも理解できないから、ウィッシュは踏み込む事も出来ず躊躇する。
 ひと思いに殺すべきか、情報を引き出すべきなのか。

  ばさぁ

 丁度その時。
「……ウィッシュ」
 聞き覚えの有る声が聞こえて。
 そこにいる全員が思わず顔を上げた。
 人間というものは、即座に信じる事が出来ないような事態が起きた場合どうするだろうか。
 まず、それが本当なのかどうかを確認するために、まず目で見る。
 次に耳や他の感覚で記憶の整合性を取る。
 たとえばこの際も、ほぼ全員が同じ不可思議な理由で穹を見上げていた。
「まお様っ」
 ばさばさと羽ばたく姿に、ウィッシュは目を見開いて叫ぶ。
 バグは驚きに目を見開き、慌てて自分の『魔物レーダ』を開いて反応を見る。
 反応がある。三つ目の反応。
 『天使』を意味する光点が一つ増えている。
「まお様?」
 ヴィッツは眉を寄せてそれを不思議そうに見つめ。
「あいつ……」
 ユーカは何を言って良いのか判らなくて、言葉に詰まっていた。
 ばさり、と大きく羽を羽ばたかせて、まおは沈んだバグの真後ろに降り立ち、表情のない貌を全員に向ける。
 彼女は無言で羽を大きく広げて、後ろへと反らせる。
――っ!
 一番早かったのはウィッシュだった――それもぎりぎりのタイミングだ。
 まおが何をしようとしているのか、かろうじて気づいた。
 体を前傾させ、地面を蹴って一気に間合いを詰める。
 素早く手元を返し、自分の髪の毛を右手で数本ずつ、いつものように鋼鉄よりも丈夫な針へと変えて、翼目掛けてたたき込む。
 とすとすとす、と翼をまるで豆腐かマシュマロのように容易く貫くと、その後ろの壁に翼を縫いつけてしまう。
 きりきりという軋むような音がして、まおの翼は暴れる物の、それ以上動くことはなかった。
「危ない」
 とんとんと間合いを切り直すと、ウィッシュはまおを睨み付ける。
「あんた。死にたくなかったら下手な事しないでよ。邪魔だから」
 バグに警告すると同時、内側から何かが突き破るような音を立ててウィッシュの左腕が再生する。
 便利な物である。
「待て、ウィッシュ」
 とん、と彼女の肩を叩いて、ユーカが一歩前に出る。
「え」
「念のためにこいつの間合いから外れろ。これ以上くれてやる必要はないだろう」
 だき。
「う、うぇっ!」
「だぁーいぢょーぶだぁよぉ」
 さらにミチノリの手袋により、彼女も拘束されて、後ろに引きずられてしまう。
 思わず変な声を上げてしまったから、一瞬ユーカの鋭い目がミチノリに向いたのだが。
 それは余談。
「大丈夫じゃないです、よ。そのまお様はっ」
「――ああ、判ってる。ウィッシュ、お前は怪我をしたんだし、しばらくミチノリに治療させてやってくれ」
 右手をひらひらと挙げて応え、ユーカは腰まで埋まっているバグを見下ろす。
「さて。バグ=ストラクチャ。既にサンプルは充分に入手出来たと思う。『御礼』をお願いしても構わないな」
「何?」
 ユーカは、頭二つ以上下に見える彼を、冷たい視線で見下ろして居る。
 笑っていない。
「それとも、このまま放置して情けない姿で飢え死にでもするか?念のため、錬金術で変成した地面だから解呪できないぞ」
 ちらり。彼からは見えないだろう、真後ろで羽を縫い止められて動けない『まお』に視線を向ける。
「このまま、この娘も置いていこう。きっと楽しい事請け合いだな」
 くっくっく、と口に含んで笑うとくるりとバグに背を向ける。
「な――待っ……待って下さい、その、判った、判りました、判りましたから取引をしましょう」
「取引?ほぉ……」
 くるーり。
 今度こそユーカの貌は笑みで満たされていた。
 思いの外邪悪な笑みで。
「取引なんかできる立場だと?私は、自分の立場を弁えない人間というのは嫌いなんだが」
 そう言って、彼女はバグの方を見たまま、両腕を大きく広げて一歩下がる。
 仕方なく、彼女を見守る三人もそのまま下がる。
「あ、その、ちょっと」
「さあ、早くトクシマに向かうよう、馬車でも手配しよう。なんなら、どうせ飢え死にする男のものだ、この馬車をいただいていくか」
「ままっ!待ってくださいっ!お願い、お願いです」
 流石にピンチである事に今頃気づいた。
 まだ土ならこのままでも(一人では難しいだろうが)抜けられるだろう。しかし、彼の体を捉えているのは「石」だ。
 物理的に逃げようと思えば、岩を砕く必要がある。
 勿論それは不可能ではないが、彼が無傷である可能性は低く、加えて、この路地に誰かが現れる可能性も又低い。
「ほ。流石にメンツには耐えられないか?」
 と呟きながらさらに一歩遠ざかる。
「わーっ!済みませんすみませんってばっ!お願いですから、私に御礼をさせてくださいっ!」
 ジト、とそんな様子を見せるバグに呆れた眼差しを向けるのはヴィッツ。
「……正直ですね」
「そんなものでしょ」
 被害を受けた張本人のウィッシュも、先刻までの真面目シリアスモードだったのも忘れてため息を付いた。
「あのままおトイレにもいけないんじゃ、酷い恥さらしじゃない」
 そのレベルで呆れるのか。普通死ぬぞ。
 じたばた、無言で昆虫標本のようなまおは震えていた。


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