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魔王の世界征服日記
第88話 かく語りき


「早く合流した方が良いだろ」
 最初にそれをいったのはキリエの方だった。
 そもそも自分の足が原因で逗留、というか拘留されてしまっている今の状況を打破したいという彼女の思いが大きかった。
 既に、ここに打ち上げられてから二日が経過している。
 本来彼らは戦闘力として、特務で来ているというのにこれでは任務は果たせない。
 キリエだけではない。勿論ナオも気にしているのだ。
 気にしているが、彼女の足を思うとすぐ動けるわけではない。
「お前、それ何度目か判ってる?」
「五月蠅い、それだけ焦ってるんだ」
 しかしどちらにしても戦闘力と言う意味では既にキリエは除外しなければならないだろう。
 二三日で回復できるわけでもない。
 傷その物は深いのだから、歩けるだけ凄いことなのだ――ミチノリの治療の御陰もあるのだが。
「判ってる。俺もそれは充分痛い程わかった」
 今朝は朝起きてからずっとそればかりだ。
 でていく、置いていけ、早く合流しよう。
――お前のせいだとは言えないし、置いていく訳ないだろう
 いちいち反論したりしていたがもう流石に疲れたので、彼も呆れていた。
「昼が近いし、そろそろ獲物を捕りに行こう。昨日見た川の魚、結構うまかったよな」
「おーまえーっ!真面目に考えてるのかっ!」
 顔を真っ赤にして叫ぶキリエ。
「あー、うん、かなり真面目。キリエに背中を預けられるぐらい回復して貰わないといけない事ぐらい判ってるさ」
 投げやりに答えを返して、思い出したように振り向く。
「罠の獲物持ってくるだけだから来なくて良いから。座って火を熾しなおしておいてくれ」
「て、てめっ、俺はもう歩けるからたまには行かせろ」
「俺の仕掛けた罠の位置と詳しい構造を知ってたらいいけど?どうする?」
 にやにや。
 キリエはむぅうぅと獣のように唸ると、ふん、と顔を背けてたき火に薪をくべ始めた。
 多分キャンプファイアはご存じだろう。あんな風に、燃えやすいように薪を組んでから、火を付けるのだ。
 軽快に洞窟からでていくナオを見送って、キリエはため息を付いた。
 何もかも、思い通りに行かない。
 そもそも女の子らしいって言葉は絶対自分に似合わないと思いながら、たき火の中を薪でぐるぐるかき混ぜる。
 灰が上昇気流にのって舞い、ゆらゆらと不規則な影を落とす。
――少しはさ、なんってっか……俺の意見も聞けって
 そうは言っても、彼女が言っている事は子供のだだと殆ど変わらなかった。
 実際は違う。彼女は今の状況が長引く事態を避けようとしていた。
 特務特務、と言ったって今復帰したところで戦力にならないのは自分が一番良く知っている。
 ナオが動こうとしないのも、彼女を優先しているからだ。
 それが気にくわない。しかしそれは嬉しいと思っている自分を否定したいのだ。
――あーあぁ。考えたらチャンス、じゃなくって
 ばき。
 乾いた木は意外に簡単に脆く折れる。
――くそー、なんて言うのか、困ったなぁ
 ぐりぐりぐり。
 折れたのをそのまま押しつけると、さきっぽから砕けていく。
 そりゃあ、もう、言うまでもなく。
「……あっちちちちっ」
 がらんがらんがらん。
 折角組んだ薪がばらばらになり、折角組んだのに意味が無くなってしまう。
「あーあー……もういいや」
 放置するしかない。もう燃え始めた火の中なのだから手を突っ込むわけにも行かない。今入ってたけど。
 帰ってきたナオは彼女が器の水に手を突っ込んでいるのを見て一言。
「……お前、何やってたんだ」
 真っ赤な顔をしたキリエを見て、額をぱしんと叩いて唸った。

 川魚を遠火で焼いて、かじりつく。
 魚自体は珍しくないし食べたこともあるが、こうやった豪快な食べ方は初めてで、実は結構戸惑った。
 先日川で体を洗ったキリエが『喰えるかも』と生きたまま掴まえてきたのが最初になった。
 勿論食べることができた。かなり美味かったのもあって、試しに簡単な罠を仕掛けたのだ。
 びくのように網を下流にセットして、木組みで流れを抑制してそこを通るようにするだけの仕組みだ。
 意外にも何匹かかかっていたので、昼は簡単に食事にありつけたというわけだ。
 腹をナイフで割いてわたをとりだし、川で身を洗って適当な串に刺して持ってかえって焼くだけだ。
「もうこれ以上怪我しないでくれよ」
 食事を終えると、二人で川まで行ってキリエの手を冷やすことにした。
 いつものようにキリエに背を向けて周囲を見張りながら、彼は呟く。
 キリエは右手を川に突っ込んで、背中の彼に文句を言う。
「五月蠅いな。このぐらい大丈夫だよ。すぐ治る」
 しっかり冷やせば大した傷とは言えない。
 火傷なんてそんなもんだ。
 勿論焼いてすぐ冷やすのが一番良いのだが、実際には30分経った後でも冷やせば効果があると言われる。
「……まあな」
 ざぶざぶ。
 水音を聞きながら、心配しすぎだろうかと思い後頭部をかく。
 ただキリエの場合すぐぶち切れるし癇癪持ちなので、コントロールしてやらないと絶対に省みずに暴走する。
 されたら困るのはナオ自身だ。
 喩え文句を言われたとしても、暴走しても大丈夫だと言えるまでは抑えてやらなければいけない。
――つーか、なんでこいつ、こんなに突っかかるんだろ
 そう言う思いやりは良かったが、残念なことに思いっきり鈍感だった。
 仕方ない面はある。彼にとってはキリエは友人以上であるが異性ではないのだから。
 ついでにキリエに不利な状況である、姉の存在。
 人外とも言うべき危険な姉の為に、『異性』を『異性』として扱う前に『敵』として見る癖もあったりした。
 敵は酷いとしてもまだ子供なのでそれ以上に見ないとも言える。
 さらにくわえて、キリエは随分と近くで長く居すぎた上に、可愛そうだが、女らしさの欠片もない。
 キリエ、絶望的。
――何か悪いことしたかな。いや、船から飛び降りたのは俺のせいじゃないしな
 間接的にはそうなんだが。
 ともかく原因なんか分からない。でも、取りあえず何か機嫌を直したいとも思う。
 考え事をしながら周囲を見張っていたので、キリエへの注意は完全に逸れていた。
 彼女が既に手を拭いて、彼の真後ろにいることにも気づかない。
「うわっ」
 だき。
「こら、そんな驚くなよ。……ちょっと傷つくだろ」
 キリエは唐突に、多分この機会をなくせば他にないと思った。
 ナオが油断して背中を見せている――別に、こんな場所でこんな機会より良いチャンスはあるはずなのに。
 思いっきり抱きしめて、首筋に自分のこめかみを押し当てて背中に語りかける。
「俺さ」
 こうしていると、子供の頃を思い出しそうになる。
 全力で暴れられたあの頃。
 ただそれだけで総ての片が付いた頃。
「女だからって、結構……苦労してきたんだぜ」
 苦労していたのか?
 ナオは思わず聞き返しかけてやめる。
 多分今下手なことを言えば間違いなく反撃が来る。
「今だって」
「今?」
 沈黙。
 取りあえず沈黙。
 返事の代わりに、がっしと彼女の両手が鉤の形に組み合わさる。
 べきべきべきべき。
「がぁあああああっ」
「このばかっ、ばかっ、ばかーっ」
 思いっきり抱きしめる。それだけだ。
 でもそれだけが結構効く。まあそりゃそうだろう。
「ばか」
 ふと緩む拘束に、ふりほどこうと思ったが――ナオは、それは踏みとどまることにした。
 結構英断だと思わないか。
 たとえるなら孫悟空が禁箍児をはずせるのに、自らの意志でそれを戒めたそんな感じか。
 大袈裟だが。
「あのさ」
 ナオは、僅かに自由な腕で自分の鼻の頭をかくと、さらに一呼吸おいた。
「最近気になるんだ。なんだか、妙に無理してるっていうか、なんだか……遠慮されてるっていうか」
 鈍感とは言えども、彼は彼なりに変化とかは理解していた。
 理由やその内容は全く判らなかったが。それは仕方ないことかも知れない。
「お、俺は」
「黙って聞けよ。今度は俺の番だろ」
 うん。
 鼻を鳴らすように応える。
「無理しても仕方ないだろ。遠慮もそうだけどさ、自分の状況と状態は、自分の方が判ってると思う」
 できれば真正面において話をしたいとナオは思った。
 いつの間にかぴったり体がくっついてるので焦ったが、気にしないことにした。
 気にしたら言いたいことが乱れる。
「それに長いことパートナーやってきたんだ。もう少し信用して、素直に任せてくれても良いんじゃねーか」
「……なんかそれって」
 ぼそり。
「なんだか、自分が疑ってるみたいだな」
 もし昨日だったり、これが違うパターンだったら多分また同じ結果になっただろう。
 と、ナオは思った。
「そんな話してないだろ」
 慣れたからかも知れない。思わず苦笑して、今彼女の顔が見えていない事に感謝する。
 多分真正面に彼女の顔を見ていたら、真っ赤でうつむいてる彼女に、また無駄に対応を考えただろう。
 そして、なにより、キリエの声に険がないから。だから反撃はないと直感したのかも知れない。
「ま、そうやって少しは反発してくれたほうがキリエらしいけどな」
「……うるさい。うるさい。五月蠅いけど」
 ぽかぽか。
 キリエは、手の拘束をほどいて拳にして、そのままナオを叩く。
 元々もう腕には力を込めていなかったから、解かれればそれで終わりだったのだが。
 だから、彼の胸やら首元をぽかぽかなぐる。
「うるさいけど、……けど、ありがとう」
 せめて一言言うぐらい、素直になりたかったようだった。


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