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魔王の世界征服日記
第87話 魔王


 神話として語られる、ヒトが魔物と戦わなければならない話。
 これは予想外の事態だったが、しかし問題のない矛盾を孕んだ。
 その昔、神様は13人居た。
 この世界を組み立て、ヒトを大地に住まわせると永遠の繁栄が行われるように仕組んだ。
 彼らは様々な仕事をした。大地を作り、風を産み、空を描いた。
 彼らを手伝う存在を生み出した。
 神を含め総てのこれらは、ヒトの為にあらゆる事を行った。
 はずだった。しかし、何故か彼らは『魔王』を創造し、『天使』と共に大地に放った。
「魔王は自分の軍勢を率いて、シコクを蹂躙した後に世界のどこかに飛び去ってしまった」
 毛布を地面に重ねて敷いた簡易ベッドの上に横たわるナオ。
「そして、その悲惨な状況を見かねた一人の神は、総ての神を裏切って、神の総意に反して魔王を討伐に向かう」
 彼の上に、華奢な体を載せるキリエ。
 ぺたりと両膝を折り曲げて、おしりを載せるような恰好で膝で体を浮かせている。
「……キリエ、確認して良いか?」
 彼女の両手は、ナオの首にかけられていて。
「何を?」
「穹の神様って、女なんだろ?」
 彼女が捻った首のマッサージをしてるところだった。
 肩胛骨の辺りに体重を載せて、押しつけるような形で揉みほぐしている。
 勿論、つい先刻思いっきり彼の首を捻り折りそうだったから、その責任をとっているところだ。
 あんな事をするから眠れなくなってしまった。
「え?んや、女だよ。何でだよ」
「いや、だって。凄い好きそうだから」
「……なんだよ、好きで悪いのかよ」
 ぎしり。
 背骨にかかった彼女の指に力がこもるのが判って、焦ってばたばたと腕を動かす。
 でも、俯せに寝ころんだナオは、体重をかけられているので身動きはとれない。
「違う違う違うっ!ほら、あこがれてるんだなーっ、て思ってさっ!よく話憶えてるじゃん」

  こき

「ぎゃーっ」
「ぎゃーぎゃーうるさい。……どう?」
 キリエは彼の上から降りると、体を転がして起きあがるナオに手を差し出す。
 彼は手を借りて立ち上がって、首をこきこき回してみる。
「お、結構ましだ。お前整体できたんだなー。ちょっと意外だ」
「そか?」
 はい、と毛布を手渡しながら、キリエは後頭部をかいた。
「色々あるんだよ。子供の頃死にかけたりさー」
 けらけらと嬉しそうに笑いながら酷く危険な事を口走る。
「あ、あは、そうなのか、いやそれよりさ」
 フォローして話をそらせないと、まだとんでもないことを言いそうなのが怖かった。
「もしかして、お前本気で勇者とかになりたいって思ってたりしたんだ?」
 毛布で体をくるんで、お互い向かい合う恰好で座り込む。
 側でたき火はまだぱちぱちと音を立てて、組んだ薪は燃え尽きる気配を見せない。
 揺らぐ炎が壁面の凹凸を際だたせ、キリエの顔の上で影を踊らせる。
「あー……子供の頃の話だぞ?」
 ぽりぽりと右の人差し指で頬をかいて目を逸らせる。
「ほら、その……お、俺も女だからさ、同じ女だから」
 ちらと上目でナオの様子を窺って、ぷいと顔を背けて背を逸らしながら後頭部をかく。
「あー、憧れたんだよ。勇者っていうよりも、そんな風に強くなりたいなって。なれるのなら、さ」
 穹を意味する神である彼女は、慈悲深かった。
 そしてあまりに緻密な性格の女性だった。
 十二人の神に対して真正面から戦うことをせずに、しかし纏めて一度に打ち勝つ方法を選んだ。
 それは神話でも語られている『黄昏の猛毒』である。
 物語では、世界最初の勇者は知略謀略の名手で、かつ魔王を懲らしめる事が出来た腕っ節を持つまさに文武両道という印象を与える。
 尤も子供向けには毒を使う話はでてこない。卑怯なイメージを与えるから、だそうだ。
「母親みたいだよな」
「ななにがだっ!」
 がばり、と大慌てで顔を真っ赤にして叫ぶキリエ。
 不思議そうな顔で首を捻るナオ。
「ああ、その神様。だって、人間はさ、彼女にとっては大事な子供だろ?」
 きっと我慢ならなかったに違いない。
「それで、魔王を滅ぼせなかったんだ」
「え?」
 納得した顔の彼に、眉を寄せて聞き返すキリエ。
「いや。だってさ、魔王だって、神様が作ったんだろ?」
 あ、とキリエは気づいて首を傾げる。
「そだよな……ううん、もしかしたら、魔王と仲良くなってほしいのかも知れない」
「おいー、それはないだろ?お話はお話だし、今魔王がいるのも事実だろ」
「そりゃそうだけど」
 だけど。
「だったら、なぁ、ナオ。もしそうだったらさ。魔王は俺達をみてどう思うかな?」
 ぱちり、と枝が爆ぜた。
「え?」
 ナオはどきんとして跳ね上がりそうになった。
「ナオが魔王だったらさ、俺達を見てどう思うかなって」
 あー。
 思わずどきどきしたのを抑えて、彼は小さく深呼吸する。
「魔王は人間を滅ぼせって言われて、でも神様に邪魔されるんだよなぁ」
 魔王の存在意義は、人間世界を制圧する事。
 そう言われて意気揚々とシコクを壊滅させたのに、もう止めろと神様に止められる。
「……魔王って男でいいんだな?」
「どっちでもいいよそんなの」
 自分を産んだはずの親が、片方の親を殺したあげく自分を滅ぼしに来る。
 そう喩えなおすととんでもない内容になる。
 でも、そう思うとなんとなく思い当たる節があった。

 子供を捨てる風習のある村の話。

 嫌そうに吐き捨てて横を向いたキリエから、ナオは洞窟の外に目を向けた。
 夜穹には雲がかかっていて、また嵐になりそうな重苦しい空気が漂っている。
「酷く寂しいよな。兄貴を庇う母親に、お前はいらないって言われるんじゃさ」
「違うよ。だって、魔王の方が強いだろ」
 キリエの反論は早かった。ナオが目を向けても、でも彼女はまだ横を向いているから、ナオは彼女を見つめることにした。
「きっと魔王を止めたんだよ。こんな事をしたらダメだって」
「だったら」
 ナオが魔王ならこう思う。
 そんな馬鹿なと。何故、やれと言っておいて止めるのかと。
「きっと、人間は魔王に滅ぼされるためのものじゃないなら、何だって反論したんだろう」
 羨ましかったかも知れない。
 不思議だったかも知れない。
 魔王は、人間をどう思うだろうか。
「……辛かったかもな」
 しなければいけない事を否定され、存在意義が判らなくなる魔王。
「かもね。もしかして」
 小さく笑って、彼女はこっちを向いた。
「あはは、だからかな。魔王っていつも怠惰な悪魔みたいに言われるじゃん」
 とす、と彼女は小さな音を立てて背中を壁に預ける。
「そういやそうだな。結構いじけてたりしてな」
 魔王がいじける。
 それは、怖ろしい魔王というイメージから大きくかけ離れているせいでやたらと滑稽だ。
 尤もまおはよくいじける気もする。アレは絶対に怖い魔王というイメージではない。
「そうか、じゃ、もしかして魔王っていつも滅ぼされる訳じゃないのかもな。時々苛々して人間を虐めるんだけど、勇者の生まれ変わりみたいなのが『だめだーっ』って叱りにくるんだ」
 キリエはけらけらと笑いながら、自分で言った妙に可愛らしい魔王像を説明する。
「で、叱られたら自分で悪いことだってわかってるからしょんぼりする」
「ははは。は、魔王って結構寂しがりやなんだな。ほら、叱られるって判ってるのにやるんだろ?」
 ああ。そうかも知れない。
 神様に作られた同じ者同士だから、本当は仲良くしなきゃいけないのかも知れない。
 魔城にこもってる魔王って言うのは、怖ろしくて人間に害悪を与える存在だけど。
「そうだよ。魔王だって寂しいんだ。だからふてくされて寝てるんだよ」
「勇者は?神様が人間から選んでる訳じゃないだろう?神話じゃ、人間の世界に降りるのか?」
「あっはははは。そうだよな。俺もそこまでしか知らないなぁ。はっはははは」
 ひいひい言いながら、キリエはおなかを抱えて笑う。
「でも魔王がそんなだったら、魔王が選ぶのかもよ。ほら、寂しいから一緒に遊んでくれって」
「そりゃ変だろ?なんで自分を叱る相手を決めるんだよ」
「え?はっはは。そうだっけ?じゃ、何で魔王はそんなになってまで自分の役割に固執してんのかな。止めたり、自殺しそうだよね」
 キリエは目尻の涙を拭きながら、笑って言う。
 ナオの頭の中には既に可愛らしくディフォルメされたちんまい魔王がくるくる踊っている。
「そりゃそうだろ。それは人間に対して唯一、自分が勝っている点だ。人間が持たず、魔王に与えられたものだから」
 ヒトを滅ぼせと。
 喩えそう言う内容であっても、神が魔王に与えた唯一のおくりものなのかも知れない。
 それは達成してはいけないものだから、永遠に果たされない約束のように大事に持っているのかも知れない。
「あ」
 彼女は驚いたように目を丸くして、そして、嬉しそうに微笑んだ。
「だからだよ。魔王は、人間を滅ぼしたり世界を征服できないんだ」
「え?」
「だって、そんな事をしたら、魔王はその『神様の命令』を失ってしまうじゃない。多分、人間にそれを見せびらかす為に時々ちょっかいを出すんだよ」
 魔王は、神様に護られた人間をうらやましがって。
 でも。
 神様に与えられた、人間にはないものを大切にしたくて。
「……だったら、これって、終わらないんだよな」
 魔王と勇者は現れては消え現れては消える。
 そして終わりはない。魔王は何度も蘇り、勇者に何度も滅ぼされている。
「繰り返す事に意味があるのかも」
 明るくナオに返す言葉は、もう力が抜けきっていて非常に眠そうだ。
「そうだったらいいな」
 だから、それだけ返してナオも背中を壁に預けた。
 ぱきんと音がした。たき火は既に小さくなって、僅かに炎を揺らめかせるだけだった。


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