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魔王の世界征服日記
第86話 思わぬピンチ


 ほう。
 バグは名前を聞いて、ふむと頷いて声を漏らした。
 名前に聞き覚えがあり、その理由も何となく理解できたからだ。
 キールは、彼の知る限りはじめからここにいたわけではないから。
「キール氏ですか。……何用で」
 疑問に思われても仕方ないだろう。
 どう見てもシコクの事を知らない連中、どちらかと言えば観光者にしか見えないからだ。
 いや、着流しと少し頭のおかしなお嬢様ご一行だから、観光にも見えないかも知れない。
「昔の友人だ。私は魔術師だが、キールも元は魔術を志していた。……尤も今は、こっちでリロンの研究者らしいが」
 彼女がそう言うと、何故か少しがっかりしたように肩をすくめ、腕を組んで小首を傾げる。
「ああ、そうなんですか……一応私もリロンの研究者なんですがね」
 そう言って複雑そうな笑みを浮かべる。
「そうですか、キール氏は魔術師だったのですか」
「ああ、ドロップアウトしてこちらに向かった。どうやってリロンに触れたか判らないが」
 ふむと腕を組んだバグは小さく頷くと腕を解き、右手を腰に当てる。
「私は、魔術師という存在は、我らリロン学者とは方向が全く違うと思っていました」
 魔術師は、この世の理を方程式で現す。リロン学者は、特殊な機材や技術を用いて世界の構造を解体し続ける。
「意外に接点は、近いところにあるものなんですねぇ」
 そう言うと、彼は「こちらへ」と路地の奥へと手を向ける。
 奥の方に馬車らしき物が見える。
 彼を先頭にして、ぞろぞろと歩き始めた。
「そうか、リロン学者というのはそう言う風な考え方をするのか。私は元々近い考えを持つと思っていたが」
 彼はユーカをちらりと見て、首を振って見せる。
「この世の理を砕きながら調べる人間とこの世の理を利用する人間は大きくかけ離れると思いませんかね」
 どうなのだろうか。ユーカは黙り込んで首を捻った。
 ウィッシュはリロンというものと、その学者その物を知らない。
 ただ魔術に関してはユーカ以上の知識を持っているつもりだ。
「魔術とリロン、世界を知るという意味においてはそれでは同じではないですか」
 彼女は笑う。
 にこりという愛想笑いを返すバグは、しかしそれ以上は笑わない。
「ではあなた方はどこまで、この世界を理解していますか?どこまで矛盾が有るとお思いですか」
「不自然、という言葉が不自然か」
「人類は何時何故産まれた。何故このシコクは最初に魔王に滅ぼされなければならなかった」
 バグはまるで演説でもするかのように両腕を大きく広げる。
「そして勇者と魔物ってのは、魔王というのは何か――か?」
「『かみさまのおはなし』の下りは、多分何処の誰でもご存じでしょう」
 最初の勇者。最初の魔王。
 これはウィッシュもヴィッツも知っている。
 ヴィッツはおはなしの細部まで憶えている。
 魔王は、人間を滅ぼすために一番邪魔な、シコクにまず降り立って破壊の限りを尽くしたと。
「魔王が天使と共にこのシコクに、人間の軍勢を滅ぼすために現れた時、本当にシコクはそんな軍事力を持っていたのでしょうか」
 彼は足を止め、実は、と続けた。
「実はその総てが虚構だとすれば?世界は初めからこの形で生まれ、今まで維持されていたとすれば?あなた方魔術師達がこの矛盾にたどり着けましたか?」
 誰にも証明できない仮定から生まれる矛盾。
 しばらくの沈黙の後、不機嫌そうなヴィッツがユーカとウィッシュの間から顔を出して言う。
「そんなひねくれた回答に辿り着くほど暇なんですね」
 酷く刺々しい言い方でバグを非難した。
 バグは、それも受け流すように笑みを浮かべて、こう呟いた。
「おや、お嬢さん。あなたからそんな言葉を聞くとは思いませんでした」
 そしてそこは――袋小路。
 馬車が止めてあるせいで妙に狭苦しく見えるこの位置。
 高い壁に囲まれて、もしかしたら安全――危険――。
 彼は壁を背に、にたりと笑みを浮かべた。


 バグは、唐突に胸元のレーダーが震えたのにびっくりして、開いて確認した。
 アンテナを伸ばして画面を見ると、確かに二つの光点がぺかぺかと大きく明滅している。
――おかしいですね
 しかし、空は別に『天使』達の前兆がない。
 天使は他の魔物とは違い、最大の差は何よりその設計思想なのだ。
 実は全く別物、その核となる部分は古代、神が創造したものをそのまま模倣している。
 現在の魔物のほとんどは、核になる部分が全く違う構造をしているのを彼は知っている。
 慌てて懐に隠しておいた『食器』を確認するが――大丈夫、充分作動する条件は満たしている。
 だから彼はそれを使えるように、丸い形をしたボタンを見ずに服の上から押し込んだ。


 今が使う時だ。
「しかし良く化けたものですねぇ」
 バグが懐に右手を差し込む――取り出した右手に握られていたのは、四角い黒い塊だ。
 大きさは丁度掌に収まる程度だが、親指で弾くようにして、スライドさせて開く。
 およそ半分の厚みの板を二枚重ねたような形で、彼の右手の中でかしゃん、と音を立てる。
 すると、3×5列の数字なんかが書かれたボタンが現れ、弾いた上部分はほのかに明かりを灯す。
「な」
 ヴィッツが声を失うのを、ウィッシュは遮るように前に立ち右手を前に差し出して構える。
 格闘技ではない。
 彼女は錬金術以外に――魔物なので――直接魔力を打ち出すことも不可能ではない。
 非効率的で彼女自身は好きではないが、術を使う暇などない戦闘には便利だ。
 ユーカはそのすぐ側で、右手を左手に添えて一歩退いている。
 馬車の側まで来ているのに、案内もせず挙動不審に構えるバグに訝しがって対応する。
「化けるとは、どういうことだ」
 それは聞き捨てならない。
「……私からも聞かせてもらって構わないでしょう?あなたのその問いに答えるにはまず聞かせてもらいたい」
 ぞんざいな口調で、尊大に彼は応えて胸を反らせる。
「トクシマに、キール氏の元に向かうというのでしょう?なぜ。何故――」
 そして両手を広げ、口元を歪め――これが彼の本性なのだろうか、肩をすくめて見せる。
「魔物をトクシマのキールの元に運ぶのだ」
 ヴィッツの口元が歪み、怯える彼女の前でウィッシュは、顔色一つ変えず笑みを湛えたままで。
「何を言っているのか判らない。トクシマのキールの元に魔物を運ぶ?応えは『そんなことはしない』だ」
 ユーカは構えを解かず、そしてバグの真意を問いただそうと続ける。
「では改めて訊こう。お前が近づいたのは、その魔物をどうするつもりで、なんだ?」
 にたり。
「決まっている」
 彼は右手の『食器』の、スライドさせた先端部分をくいと彼女に突きだして言う。
 落下防止用の細かいクリップ付き鎖がちゃらりと揺れる。
「『サンプル』を切除して、私の研究に役立たせて貰おうと思う。キールに渡してしまうなら、それは私とて同様に分け与えられるべきだ」
「な」
 ヴィッツは声を上げて、ウィッシュの背中にしがみつく。
 ウィッシュは下げた左手を、彼女の方に伸ばし触れながら、聞こえないような小声で囁く。
「ダメ。ボクらは動揺しちゃダメだよ。はったりじゃない」
 彼女は仮面のように張り付けた笑みのまま、バグの動きを探る。
――マジェスト様、最悪の事態です
 彼女達は戦闘能力を持っている。人間ぐらいでどうにかできるような容易い魔物ではない。
 特に一人の人間を消す事ぐらいは全く――一人の人間の記憶を完全に抹消してしまい、再度赤ん坊から再生させる手順を彼女は使うことができる――簡単だ。
 『魔王』の一部ではない部分は、魔王から独立し対立するためだけではない。
――もしかしてこの男が、マジェスト様の仰った『接触してはならない人間』ですね
 ぎしり。
 全身の筋肉が収縮して音を立てた、そんな錯覚。

 「『接触してはならない』人間に対しては、完全に機能の使用を許可する」

 マジェストの言葉が脳裏を過ぎった。
――でも
 ウィッシュは高速で思考を開始した。
 まおを見つけること。まおを助けること。そのためには生き残ること。
 でもそれ以上に優先すべきこと。彼女達の任務。
 『勇者』を、無効化すること。この長い永いゲームをおわらせないこと。
 優先順位設定。提案。議決。――結論。
「――今度はボクが聞いてもいいかい?」
 甲高い、子供のような大きな声でウィッシュは疑問をぶつけた。
 ユーカの眉がぴくりと動く。今までに訊いたことのない、彼女の甲高い叫び。
 別人とは言わないが、今までの彼女からは想像の付かない中性的な声。
「聞かせてくれるよね?――あなた達は、そんなにボクらを調べて何をするつもりなんだい?」
 返答次第によっては、『生かして』置くわけにはいかない。
「ハン、応えられないかい?ボクは気が短いよ」

  ばし

 右手の周囲で何かが弾けるような音が響いた。
 魔力を集中し始めたのだ。
 『魔力』として、彼女が術を使う以外に集中させることはまずない。
 だが人間をはるかに上回る総量を誇るそれは、彼女の右手の周囲を陽炎のように揺らめかせる。
 ぎゅ、とウィッシュに力を込めてしがみつくヴィッツ。
「――良いだろう」
 つい、と『食器』の先端をウィッシュに向け直すバグ。
「まさかこうして魔物と会話できると言う良い経験ができるとは、私も思ってもいませんでしたから」
 口元を引き締めて、彼は口調も元に戻した。
 再び手元に引き寄せた仮面で総てを覆い尽くすように。
「私達の目的は、この敢えて閉じた世界の存在理由を。何故、神に魔物が反逆してしまったのかを知りたいのだ」
――戦闘、開始。


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