魔王の世界征服日記
第85話 カガワ
カガワの町並みは、想像するよりももっと無機質な感じを受けるだろう。
平板で硬質な、切り出した石のような人工石を組み合わせた、継ぎ目のない道路に、同じような石造りの建家が並ぶ。
木製の家が多いホンシューに比べて、ここシコクはさらに人工的な町並みと言えるかも知れない。
逆に、自然物は少ない。
木製の家は港周辺にぽつりぽつりある程度であり、通りを歩く人達だけでなくその印象からは活気と言う物を感じるのは難しかった。
通りをすれ違う人間からは陽気さは感じられない。
「なんだか薄気味悪いというか」
「その通りだな」
ウィッシュの言葉に、ユーカは断言して答える。
彼女らはさっさと港の外れから陸に上がると、さっさと新しい服を調達して街の中に紛れ込んだ。
相変わらず重厚な恰好のウィッシュと、見るからに少年の恰好をしたヴィッツ。
並ぶと、お嬢様と小間使いと言う雰囲気になる。
ユーカは、何処でどう手に入れたのか何故か着流し。
サラシで綺麗に巻いた胸元が見えていて、何というか怖かったりする。
きっちりドスも腰に差している。
ちなみにミチノリはいつもの祈祷師装束だ。
怪しむ云々以前にそれ以外選択肢はなかったし、彼の場合術を使う為の服装なのである。
同じ服を二着三着当たり前で持ってたりする。
「……ユーカさん」
ヴィッツの不安そうな声。
ウィッシュも顔色は変えていないが、視線は訴えている。
「判ってる」
ミチノリもいつもの明るさは感じられない。
へらへらしているが、彼も感じているようだ。
――見られている
妙な組み合わせであることも確かだが、『よそ者』であるという意味もあるのだろう。
無用な注目は避けておきたいのだが。
「さっさと行こう。キールを掴まえなければならない」
全くの手がかりがないわけではない。
なければわざわざこんな危険を冒してまで来ることはない。
キール=ツカサは、ユーカにとっては友人、元同僚とも言うべき者だ。
「何より――」
ここ、カガワの街を抜けなければならない。
「馬車を借りるか、盗むしかないだろうな」
ここのギルドにはコネも知り合いもない。
金はできる限り、避けたい。だまし取られたりふっかけられる可能性があるからだ。
それに。
「トクシマへの道は」
「人に頼むより自分で行く方が確実だ。信用できるか?」
だまし取ろうとする者、拉致して売ろうとする者が当たり前にいるこの街で。
そんな危険な場所へ向かう酔狂な馬車があるとは思えない。
ウィッシュも、ヴィッツも首を横に振った。
「でもできれば早めに、そのキールさんと連絡を取りたいものですけどねぇ」
「……判ってる」
何事もなければよいが、とユーカは思ったが。
大抵、何もなくキールの元にいけるほど、生やさしい所ではない。
「判ってるが、移動手段を手に入れてさっさとわたる方が良いかも知れない」
ざっ。
足音に、ユーカが立ち止まる。
ほぼ同時、ウィッシュが一歩下がりながら振り向く。
「足は、大事ですからね」
ウィッシュの目の前に二人。
ユーカの前に三人。
「早速でたよぉ」
何故か嬉しそうなのはミチノリ。
たまには話しておかないとその存在が失われている様な気がして。
「黙っておけ」
ウィッシュとユーカでヴィッツとミチノリを挟み込んで、円陣を組んだ状態。
じり、と輪を狭めてくる、どこか抜け目のない顔つきをした連中。
「やりたくないが」
「逃亡者には選択肢はないと、そう言うことですね、ユーカさん♪」
ウィッシュの笑みが翳り――彼女独特の、『化物』の顔をさらけ出した。
一触即発――ユーカが左手の防御用アミュレットに手をかざしたその瞬間。
「あー。そこまでそこまで」
ぱんぱんと手を叩きながら、路地の脇から一人の男が姿を現した。
細身で、長身。
白い手袋をした蝶ネクタイとスーツ姿の男。
「見ず知らずの人達に襲いかかるのは、非常によろしくないかと私思うんですがね」
ユーカの前で、巫山戯た物言いをしながら、振り返る男達に彼は怯えもせずにこにこと両手を広げて言う。
「さあ、ここは私に免じて解放した方が身のためですよ」
唐突に姿を現した男に、ユーカ達よりも男達の方が驚き、また怒る。
「んだとてめぇ」
非常に判りやすく激昂した男は、瞬時に踵を返してナイフを抜いた。
刃渡りは片手より大きい程のそれを逆手に構えて地面を蹴る。
姿勢を低く突進するその姿は戦い慣れた人間のなせる技。
何の構えも取らずに両手を広げる男など、どんな対応をしたって頸動脈を一撃できる。
そんなつもりだった。
それは但し。そんな、見え透いた突撃など――戦い慣れていない人間にしか通用しない。
「残念だね」
わずか。
彼が右手を翻しただけ。
ぞ ぶん
いやな音が響いた。
男は突然バランスを失って倒れる。
受け身もとれずに、ヤスリのような表面をむき出しにした人工石の路に顔から突っ込む。
起きあがろうとした。
が、何故か全く動けない。
両膝を付いて顔を地面に押さえつけるような恰好で、なにかがぽたぽたと流れる音を聞きながら。
――それが自分の垂れ流している血液だと気づいた時には、ゆっくりと意識が暗転していくのを止めることもできなかった。
何が起こったのかユーカが理解するにはあまりに時間が短すぎた。
男は右手をくるっと回して、指を鳴らしたように見えた。
本当にただそれだけで、襲いかかっていた男の両肩から先が消し飛んだのだ。
文字通り消えてしまった。
魔術、ではない。魔術というものはそんな簡単な物ではないし、ここまで細かく制御しているなら言霊になるが言霊にしては。
そう、人間の魔力では、いきなり腕を『消失させる』ような強力な術は使うことはまず無理だ。
あのフユ将軍ですら酷く準備がかかる話だ。
少なくとも、数日準備した場所で取り囲まれている人間を助けようと思っていない限り不可能だ。
つまり『彼は言霊で準備した場所で人が襲われるのを待たなければ』ならないという事になる。
ユーカは驚愕に表情を凍らせた。
「な、なんなんだ一体」
ウィッシュも気が付いていた。
今の攻撃に、一切の魔力が感じられなかったことに。
背中越しで何かが起こった事だけは物音で理解したが――それ以上は理解できない。振り向くわけにもいかない。
「さあ」
紳士は謡うように言葉を紡いだ。
「この私の顔と、地面に這い蹲った彼に免じて引き上げないかね?」
両掌を天に向け、楽しげに。
体を痙攣させて今まさに死に至ろうとする男の目の前で。
その張本人はなんの罪も感じた様子もなく。
「できればこの死に損ないも運んでくれると助かるかな」
決断は早かった。
ばたばたと、最初に姿を現したのと同じように、あちこちの路地へと散って消えていく。
そこで始めてウィッシュも振り向き、一斉に体の力を抜いた。
ふらりと崩れそうになるヴィッツを支えると、ウィッシュは彼女を支えたままミチノリの横まで移動する。
「ありがとうございました」
紳士はにっこりと笑って、ユーカが一礼するのを右手を横に振って応える。
「いえいえ。こんな物騒なところに、こんな女性ばかりでおられれば手助けもしようというもの」
「タイミング良くでてきていただいて、助かりました」
ウィッシュはそこはかとなく毒を吐いてみるが、男は一向に気にせず、むしろおかしそうに笑う。
「はは、そうですね。いやいやこれは手厳しいな」
「それからぁ」
「むしろ、ここで誰かを信じろという方が難しいと思うのだが。私はカサモト=ユーカ。貴方は?」
相変わらずのんびりと非難しようとするミチノリを、思いっきり無視する形で言葉を重ねるユーカ。
がびん、と顔に縦線を描いて冷や汗を垂らす彼。
「私はバグ=ストラクチャ。こちらにはちょっと買い出しの用事でしてね。もし良ければエスコート差し上げますが」
よしよしとヴィッツに慰められるミチノリは取りあえず放置の方向で、ユーカはウィッシュに顔を向ける。
ウィッシュはにこにこ笑っているが、内心は眉を顰めていた。
今人を殺す事に全くの躊躇がなかった。
しかもその手段も全く判らないと来ている。
彼女のように対勇者用として色んな情報を詰め込まれて生まれた存在は、人間として今目の前の男がおかしい事に気づいていた。
明らかに行動様式に異常が見られる――欠如した人間性という。
見た目――その服装に至っては、間違いなくこの辺の様式ではない。
あそこまですっぱりと盗賊どもを殺すだけの覚悟が有れば、少なくとも彼らの仲間ではないだろう、が。
それだけは断言できる。
「ユーカさんにお任せします」
しかし知ったことではない。彼女は思い返した。
今は、どうにかナオとまおを捜す事の方が重要なのだ。
ユーカという手駒の能力は捨てがたく、彼女が目的をさっさと果たしてくれた方が恐らく二人を見つけるのに手間はかかるまい。
目の前の男にどうされようとも、少なくとも自分とヴィッツは何とかなる。そんな風に考えていた。
「簡単には信用しない方が良いと思いますが」
ね、とバグにほほえみかける。
「おやおや、こちらの方も相当な修羅場をくぐっておられるようで。……判りました」
そう言うと、彼は胸ポケットから一枚の紙切れを出し、ユーカに差し出した。
ユーカは訝しげにそれを眺めて、ずいとさらに突き出す彼から受け取る。
「……貿易商人?」
それは名刺ではなく、カガワ発行の通商許可証だった。
欠け印がきちんとエンボス状になっている。発行者はカガワの役場になっている。
恐らく本物だろう。
「ええ。トクシマとカガワを行き来して、様々な物を売り買いしてるのですよ。トクシマの名産と、カガワの日用品をね」
「日用品?もしかして、トクシマに行ってるのか」
今手渡された通商許可証が本物とは限らない。しかし、まだこちらの事を明かしたわけではないし、もしかすると渡りに船か。
――こちらの情報は、どういう経路を通っても、トクシマに行くという内容は漏れているはずはない
「ええ。今そこに私の馬車を停めていますから、何なら……」
「済まないがその馬車はこれだけの人間をのせてもだいじょうぶか?」
バグは目を丸くした。
思わず額に汗をかいてみたり。
「え。お嬢さん方はカガワに用事があるのでは」
「トクシマに向かいたい。キール=ツカサに用事がある」