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魔王の世界征服日記
第83話 娼婦?


 思ったよりも早く、運命の日は訪れた。
「あ。……いや、間違いないな」
 まだ陸地からしばらく遠い場所なのに、妙に大きな影があるのが見えた。
 ユーカは懐から単眼鏡を取り出して覗いてみると、やはりそれは軍艦だった。こちらに接近してきている。
「予想通りお出ましですか」
 隣にいるウィッシュが、にこやかに落ち着いて言う。
「みたいだ。……できれば穏やかに済ませたいところだが」
 ユーカ、ウィッシュ達は、生き残った人間で、トクシマまで取りあえずいける事を祈っていた。
 なにせエンジンであるいぬむすめも半数以下に減っていたので、とても漕いで進む状況ではなかったからだ。
 水夫もいない帆船など、どうやったってただの船。浮くだけの箱だ。
 半数とは言えいぬむすめを酷使し、どうにか進んできたわけだが、訓練された軍艦相手では逃げる事も、恐らく回頭することももう難しいに違いない。
「むしろ捕らえられた方が楽でしょうね、この船で進むより」
「そう言う考え方ができる方が気が楽だ」
 ウィッシュがにっこり笑うのを、苦笑して応えるとユーカは他のみんながいる船室に向かう。
 天使の襲撃でぼろぼろになり、脱出用の小舟でさっさと逃げた人間も多く、もうこの船には絶望的な人間しか残っていない。
 どちらにせよシコクに向かおうという酔狂な人間は少ない。
 彼女達はさっさと一等船室に居を構えていた。
 どうせこの船は、あの嵐で沈没した事になっているはずだ。

  がちゃり

「おかえりぃ、待ってた「待ってない。早くでろ」
 ばたむ。
 でろと言いながらさっさとドアを閉めると、隣に入ったウィッシュの後に続く。
 ウィッシュ達の部屋にはヴィッツが所在なげに椅子に座っている。
「そろそろお出迎えが到着する。女性ばかりの私達は多分に危険だ」
「あの」
 ヴィッツは恐る恐る右手を挙げる。
 視線が合うユーカと彼女。
「ミチノリさんは一応男の方かと」
 なかなか酷い物言いである。
「見た目はどう見ても誰が見ても私も思うが女だ」
「……入室するなぁりそれぇはひどぉ」
「酷くない。続けるぞ」
 ユーカは真後ろから上がった非難の声と、扉の閉まる音を思いっきり無視した。
「……大丈夫ですか?」
「しくしくしくしく」
 扉の真下で、向こうを向いていじけ始める彼に、ヴィッツはとことこと近寄って頭を撫でたりした。
「但し、この際ミチノリには活躍して貰う。我々はこれから男になるんだ」
 一瞬空気が硬直する。
 が、ウィッシュはにこにこと笑って手をぽん、と打ち鳴らす。
「そうですね。ユーカさんがそう仰るなら、手荒な真似はしたくないですしね」
「そう言うわけだ、ミチノリ」
 え?
 振り返ると、全員の視線が彼に注がれていた。
「え〜、あぁのぉぉ〜」
「覚悟しなさい」
 ユーカはにんまりと笑った。

   

※     ※     ※

 シコク軍、というのは建前上軍隊組織を模した形態をとっているものの、実はただの犯罪組織だ。
 臨検などと言いながら海賊まがいの行為を平気な顔して行う。
 人間というのはしたたかなものだ。簡単に船が往来できないから、それを利用しようというのだ。
 危険とは隣り合わせだが、その代わり犯罪の自由を求めた人間達はそりゃ、情け容赦ない。
「珍しい獲物だ、野郎共、どうせ中にはヒトは乗ってないだろう」
 嵐の後で漂ってきたガレー船だ、そう言う考えに至ってもおかしくない。
 普通は難破して沈むだろうからそれを引き上げに行くのだ。人命救助なんか考えていない。
「乗ってたら乗ってたで売っちまうぜ。船は偽装して隣国にでもさばいて飲み代にでもしちまおう」
 ……。
 はっきり言うとまあ。
 とんでもない連中だった。
 折角魔物と嵐を抜けても、人間が待ち受けているという皮肉。
 海賊達は、ユーカ達が乗っている船を見つけてゆっくり近づいていく。
「停まれー。そこの船停まりなさいー」
 一応おきまりの停船勧告をして、すぐ横付けしてしまう。
 ガレーにガレーを横付けというのは、相手に停船の意志がないなら相当腕が必要だ。
 勿論速度の問題もあるが、彼らはそれを難なくやってしまう。どれだけ海賊慣れしてるかというのをありありと示すものだ。
 まあ普通は衝角と呼ばれる突撃用の装備があり、これで追突して一気に沈める手段を執るのがガレーの戦い。
 ヨーロッパの海賊のように横付けするのは帆船の時代だ――と言ったって、腕は確かでなければならないのは事実で。
 ロープを投げて、数人が乗船すると手早くこれを結びつけて、何枚かの板を渡す。
 これで固定してしまう。尤も、波が少しでも荒い場所ではこれは出来ないが。
「よぉし乗り込めっ」
 どかどかどか。
 勢いよく、ボスを先頭になだれ込もうとした時。
「あぁ、かいぞくさんですかぁ?おつとめぇ、ごくろぉさまでございますぅ」
 入口?らしい場所が開き、しゃなりとひ弱な人影が出てきた。
 ぴたり。
 ボスの足が止まった。
 甲板に乗り込んだのはおよそ十名、全員が全員屈強な男だ。
「なんでぇ」
 その彼らの前に出てくるのは。
――全員女性?
 引き続いてでてくる者は、普通着ることのないようなドレスのような者に身を包んだ女性達。
「さくばぁんのぉ、ひどぉい嵐ぃのせいでぇ、ごらぁんのありさまなのでぇすよぉ」
 最初にでてきた、この頭の悪い話し方をするのんびりした女。
 ドレスと言うよりはこの恰好は、むしろ。
――……ねぐりじぇ?
 流石に中は透けて見えないのだが、体の線が所々浮き上がるような扇情的な服。
 普通はこんな服着て歩く馬鹿はいない。
 後ろにいる連中はまだましな恰好をしているとは――いえ。
 まあ似たようなものだ。
「何だ、お前ら」
 決してこんな船で旅をするような恰好とは言えない。
「この船に雇われていた娼婦で御座います」
 こちらは――美人か。つんとすました話ぶりだが、顔つきは険を感じさせない優しさがある。
 年上の大人の女性の雰囲気。
 頭の悪い女の後ろに立っているその恰好は、華美なレースをひらひらさせているが、全身真っ黒。
 体のラインどころか、そこに闇が凝り固まっているようにも見える。
 或る意味不吉な雰囲気がある。娼婦――とは、思いがたいが。
「ほぉ」
 海賊達の間に笑いが漏れた。
「それは困ったなぁ。雇い主は誰だ?」
「あらしでぇ、ダメになっちゃいましたぁ」
 海賊は納得したように豪放な笑い声を上げて、ずいとしゃがみこんだ。
 そこに、顔を上げる少女?。
「なら俺達が雇ってやろうか?」
 再び笑い声。
 雇ったところで払う金はない。
 払わせる金はあるだろう、壊れない内にさっさと回してしまうつもりで。
 ようはここにあるのは思ったよりも楽な『獲物』でしかなかった。
 ほんの、この瞬間までは。

  するり

 思わぬ事に、しゃがみこんでいた少女?は両腕を彼の首に回してきた。
「おいおい」
「よぉくみるとぉ……みっちゃんのこのみのたいぷぅ」
 すりすり。
「気の早いや……」
 嬉しそうに鼻の下を伸ばすところまではよかった。
 彼の視界に、妙な物が映って、言葉はそこでとぎれた。
「『ミチノリ』。落とし物ですよ」
 どう見ても。
 それは、詰め物。
 丁度大きさは、握り拳の倍ぐらいの粒が二つ、小さな布の塊の間に紐が縛り付けている代物。
 まくらだ。枕をぎゅうぎゅうに縛り付けてこの形に、大きさにしてるものだ。
 どう見たってそれは、今先刻まで彼女の胸の中にあったはずなんだが。
「あーぁぁ」
 てへり。
 嬉しそうにそれをうけとって、服の上から巻き付ける。
 それでは意味がないと思うが。
 いや――逆に、妙にぺたんとした体の線が浮かび上がる。
「まて。……ちょっと待てよお前ら」
 ボスは自分の首に巻き付いている「これ」の名前をもう一度確認しようとして、『彼女?』の後ろに立っていた『女?』に目を向ける。
「はい?どうかしましたか」
 にやにや。
 気が付いたら、全員変なにやにや笑いをして、全員を舐めまわすように眺めている。
「ここ、こいつは」
「『ミチノリ』ですか。どうやら貴方をお気に入りのようですから可愛がってあげてくださいな」
 別な『女?』も、にっこりと――この笑みはとてもにこにこには見えないんだが――笑って言う。
 既にどちらが獲物なのか判らない。全員の目つきも、どこかは虫類を思わせる雰囲気のものに代わっている。
 船乗りの常識として、色々有るのだが。
 少なくとも目の前の『女性』達が真っ当な『女性達』である可能性は。
 船の上で娼婦などと言う存在が、妊娠もせずに全うに生活する為には何が必要で、何が必要でないのか――
「えへぇへぇ」
「はー……離せこらっ」
 ぶん。ばたり。
「ふぇぇ」
「――っ、おー、お前ら、下いけ下っ、金目の物探してこいっ」
 ボスの一喝でさっと部下が散っていく。
 まるで嫌な物を見た、というか、普段ならここまでさっさと姿を消すことなんかないだろうに。
 こんな時に限ってあっという間に船室に消えていく部下達。
「あぁらあぁら、大丈夫?ミチノリ」
「だぁいじょぉぶぅだけぇどぉぉ」
 にっこり。
 ミチノリの笑みは、勿論普通の、いつもの笑みだったが。
「――――が――――」
 ボスの顔を引きつらせるのには充分なようだった。

「どうにかいきましたね」
 どう見たって子供の恰好のヴィッツは、それでも冷や汗を垂らして座り込んでいた。
 取りあえずすぐに手出しするのは諦めた(全員男か女かはっきりしないから)のか、そのままユーカ達は船倉の奥に押し込められてしまう。
「成功率は八割ってところだったから、良くやったほうかな」
 えへへへと笑うミチノリに、ユーカはため息を付いて言う。
「……残り二割は」
「全員は信用していないから、何時襲われてもおかしくないって事だよ、ヴィッツ」
 ふふん、と嬉しそうな声で笑うウィッシュを奇妙な目で見て、ヴィッツは黙り込んだ。
「シコクの連中は、犯罪組織と言ったって或る意味肥えた連中とは違う。問題は餓えてるか否かだったが」
「所詮この程度の仕事は下っ端でしょう?だったら『ノーマルでさほど餓えていない』と思うべきです」
 もっとも。
 彼女はそれ以上の言葉は口にしなかったが、喩えユーカが反対したとしても、ミチノリが喜んだとしても。
――巧くいかなければひねり潰しましたけどね
 人間風情になんか。彼女はおくびにも出さず上機嫌に鼻歌を歌う。
「後は」
 シコクに着いたら、この船をどうやって脱出して、キールと接触するか。
「ええ、後は簡単です。――私に任せてください」
 ウィッシュは何故か、怖ろしく爽やかに、嬉しそうに応えた。


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