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魔王の世界征服日記
第82話 神話


 サバイバルは苦手ではない。
 むしろ好きな訓練だった。何故なら、笑いながら色々できたから。
 たき火を起こして、小振りで薄手のナイフで獲物をさばく。
 さばいた獣の肉を、串に通して、香味の強い草に包んで遠火で焼く。
 取れたて捌きたての肉は、肉汁も張りも違う。
 肉には串を二本差して、地面に突き立てる。
 二本というのは肉が回らないようにする事と、地面に立てやすくする工夫だ。
 尤もそんな技術を役立てるのは、戦場と、今みたいな状況なのであって。
「何だか、信じられないよな」
 じゅーと肉汁が沸騰する音に、キリエはにこにこしながら地面に差した肉をひっくり返す。
「俺はお前が信じられないよ」
 同じように、地面の肉を回して呟くナオ。
 朝に目覚めると毛布の下敷きになっていた彼は、昨晩の記憶がキリエの一撃以降なかった。
 ある訳ない。アレで彼はまた死にかけたのだった。
「も、もぉいいだろ。悪かったから。……もうしないから」
 ちなみに、泡を吹いてぴくぴく痙攣するナオに気づいたのは充分彼を殴ってからの事で。
 それから大慌てで色々蘇生させようと頑張ったのだった。全く。
「おー……憶えてないんだろ?」
「だからそうだって言ってるだろ。ホントに死にかけたんだよ」
 ぶすっとむくれて怒りもあらわに言ったのに、キリエは嬉しそうにうんうん頷いて肉をくるくる回している。
「……おまえ、なにしてんだ」
「なにって、ひゃ」
 彼女の手の中にあった肉は、回しすぎて落ちて岩の上でのたうち回っていた。
 もうどろどろ。
「それ、お前の分ね」
「えー……くそ、洗ってくる」
 と、キリエが立とうとするのを片手で制して、ナオが立つ。
「俺が行くよ。後ろで見ててくれ」
「ば、馬鹿いいよ。お前が後ろについててくれって。大した事じゃないだろ」
 第一、と彼女は付け加えながら右の人差し指で鼻の頭をかく。
「何かあったら、今、何とかできるのはナオだけだろ」
 彼女は肉を拾うと、ゆっくり立ち上がる。
 普通に歩いているように見えるが、実際はかなり苦痛のはずだ。
 天使の羽は彼女の足を何カ所も貫通したのだから。
 ひょこひょこ歩く彼女を見て、彼はその光景を思い出す。
 まだ足だけで良かったとも思う。
 咄嗟に庇ったのだろう、両腕の御陰で致命傷にも至らなかったし、腕は貫通していなかった。
 武器の御陰もあるんだろう――まさか天使が狙って足を攻撃したとは思いたくない。
「そうだな」
 だから、肉の反対側の腕をとって自分の肩にまわしながら応える。
「こらっ触るなっ」
 手首をひっつかんで肩に回したので、暴れて解こうとしても無駄。
 あんまり強情なのでナオは苦笑して言う。
「このぐらい良いだろ。……何だか罪悪感あるんだよ。我慢しろ」
 今彼女を歩かせたくなかった。
 きつい口調ではなかったが、キリエはぴたりと暴れるのを止める。
「……うん」
 その代わり、黙り込んで顔を背けた。
 この洞窟は手頃な川と森が近く、避難所として立地条件は抜群。
 どれぐらいか判らないが、しばらく生活をしなければならないことを考えればこれは非常に良い条件だ。
 無言でキリエは、ナオに肩を借りて川までくると、両膝をついて川に手を伸ばした。
 澄み切っていて綺麗な水だ。
「魔物、いないか見ててくれよ」
 ざばっと両手を一気に突っ込んで、肉の泥を落とす。
 まずそうだが……どろどろの肉を食べるよしましだ。
「判ってるって」
 じゃばじゃば。
「結構冷たいなー。泳ぐと気持ちよさそうだけど」
「後で体を洗いに来ればいいだろ。なんだか海に使ってから体がべとつくというか、変な臭いするし」
 きっとキリエは鋭い視線を向ける。
「見るなよ!」
「判ってるって」
 今更――と言いかけて彼は命が惜しくなって言うのを止めた。
 一応、服を脱がす時に否応なしに見てしまってるんだが。
――まあ、じーっと中身見た訳じゃないし、良いよな
「……何だよ」
「?」
「お前顔赤いぞ。変な想像すんなよスケベ」
 にや、とキリエは笑いながら立ち上がると、まるで絡むようにしてまた肩を預ける。
「何だよ、色気のない女に言われても何とも思わねーって」
「ちぇ。うるせー。……」
 気にしてるんだぞ。
「……何か言ったか?」
「言わねーよバーカ」
 ふん、と顔を背けて、でも預けた肩は離さなかった。
 もうこれでもかというぐらい体重を預けて。

 午前中は周辺を探索して、午後は食料を調達しながら海岸と方角を確認した。
 水平線の向こうは見えなかったが、太陽の方向でこの海岸の向きが判る。
 想像に過ぎないがシコクに程なく近い島か、さもなければここはシコクだろう。
 二人はそう結論した。
「間違いないって」
 キリエは力説して、たき火を引っかき回す。
 ぽん、ぽんとたき火の中で枯れ木が音を立てて燃える。
「そうだろうな」
 少なくとも小さな島ではない事は確かだ。
 周辺、とは言った物の、この洞窟がある山も大きくてまだ周り切れていない。
 山がこの島の中央にあるものだとしても、海岸線から見た限りかなり大きな島になる。
 シコクである確信はないが。
「問題はどこかだ」
 地理的・地勢的な知識も、まして地図もない。
 想像だけしか出来ない。
「ユーカが魔術でどうにかしてくれないかな」
 ふと思い出したようにナオは呟く。
「うーん……俺も良く知らないからなぁ」
 キリエの方がユーカ達との付き合いが長い。
 でもキリエにもその知識があるわけじゃない。
「でも占いとか得意だったぜ。見つけてくれるよ」
 そう信じようと思う。
 でも、キリエも判っているが、ユーカ達が無事だとは限らない。
 船が無事で生き残っていたとしても、シコクがとんでもない『犯罪国家』なのは承知だからだ。
 二人は無言でたき火を見つめる。
 今は生き残って、信じるしかない。
「いいよ。もう寝ようぜ」
 ナオは自分の後ろに置いてある毛布にくるまると、くるんと横になった。
 無言で、キリエも毛布にくるまって。
「……もう少しだけ、話しよう」
 こてり、と彼の頭の側に、自分の頭を寄せて横になる。
 ナオは――その時は向こうを向いていたが――体を半回転させて、天井を見た。
「寝付くまでな」
 彼女の吐息が、聞こえた。
 思ったよりも近い。
「うん」
 ず、とそばに寄ってくる音がして、焦って彼はもう一度向こう側に寝返りを打つ。
 寝返り位で距離が開くような物でもないが。
「かみさまのお話は知ってる?」
「かみさまって……神話だろ?」
 ぶす、と明らかに拗ねた彼女の気配がする。
「一緒だろ。一緒。……知ってるよね」
 何だろう。
 ナオは子供の頃良く聞かされるおとぎ話を思い出そうとして、首を捻る。
 比喩であって本当に首を動かしたわけではなかったが。
「知ってるよ」
 天地創造の話。
 神が天と地を想像し、そこに人間を住まわせた。
 この神ってのは、一人ではなくて、何人もの集団だった。
――よな。たしか……。うーんと……
 天と地を作った神々は、することがなくなって退屈をしていた。
 だから、『魔王』という悪い魔物を作って、ヒトと戦わせる遊びをすることにした。
「神様って何人だった?俺、十二人だと思うんだけど」
「えー。えっと、十三人だよ。ほら、最後に穹を意味する神様がいるかいないかで人数違うんだよ。知らないの?」
 妙に詳しい奴だ。そう思って、ナオはくすくす笑う。
「知らない。俺は、子供の頃の話は忘れてるかもしれねーわ」
「な、何で笑うんだよそこで」
「馬鹿、怒るなよ。……俺の知ってるかみさまの話って、ろくな話じゃない気がする」
 魔王を、天使と一緒に遣わして世界を征服しようとした。
 何故?答えは簡単。やることがなくて退屈だったから、自分が作った世界を滅ぼしてみようと思った。
 滅びてしまえばもう一度作ることができるから。
 破壊のための創造。神は生まれながらにして破壊神だった。
 わがままで傲慢だった。
「魔王を作ったのが神様だって話……」
「そうそう。酷い話だよな」
 子供は、だから産まれた頃から自分達の生きる道を標(しる)される。
 それは魔物との戦いの道。神などに頼ることの出来ない、ヒトがヒトとして戦い生き抜く道。
「そうかな。俺、そこはよく判らない」
 キリエは子供の頃聞いた『かみさまのはなし』を良く憶えていた。
 多分子供の頃から聡明だったのかも知れない。記憶力だけじゃない。考えてその上に積み重ねることのできる娘だった。
「魔王は人間を滅ぼすために作られた。魔物も。でも、神様は俺らを直接壊せばいいのに、それをしない」
「……めんどくさいし、その過程を眺めていたかったんだろ?」
 む、とナオの言葉にふてくされる気配がする。
「黙って聞けよ」
 彼は肩をすくめた。
 キリエは続ける。
「判るよ。そう言う理由もあるんだろね。それにさ。神様は魔王って存在に意味を作ったけど、人間には意味を作ったって話はないだろ」
 この神話は片手落ちだ。
「おかしくないか?」
「……おかしいのか?」
 だが、それをナオは判らない。そんな事、拘ったこともないからかも知れない。
「神様のうち一人は裏切って、それがこの世の最初の勇者になって魔王と、そして他の神々を滅ぼした。……だから、俺のしってる話は十三人だよ。裏切るのが穹を意味する女性なんだよ」
 ナオは曖昧に頷いて、大きく伸びをする。
「ま、その辺の遺跡がこのシコクにあるってんだろ」
「そうそう。なんだ、良く知ってるじゃん。そうだよ」
「神話時代の魔物に殺されかけて、のーてんきに良くもまあ」
 そう言って、彼女の方向に寝返ろうとして、何かが視界を横切るのが見えた。
 気づいたときにはもう遅い。
 キリエの腕が、彼の頭に絡みついて押さえ込んで、身動きとれなくする。
 体は勢いで止まらなくて。
 ぎりぎりぎりぎり。
「いっでででででででで」
「五月蠅いこらっ!何だよ、全くヒトが話してるってのに」
 ぎりぎりぎりぎり。
「ねじ、ねじれっ、くび、くびいたいって、し、しぬっ」
 ナオは本当に生きて帰れるんだろうか。
 合掌。


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