魔王の世界征服日記
第81話 ふたり
ぱちぱちと枝が爆ぜる音。
きちんと乾いた枝でなければ、甲高くいい音を立てて燃える事はない。
生木なら火をおこす事も出来ない。
これは、ビヴァークの常識。
特に凍てつく大地に身を置くサッポロ防衛軍のサバイバル訓練には、まず火をおこしてこれを維持する事が必須条件となる。
意外と、寒すぎて水が完全に凍るサッポロでは、乾いた木を手に入れるのは楽だった。
――……いい音……
だから、たき火の音だけは自信があった。
かまくらをつくって、その中でたき火をたいて、寝泊まりする位はできなければならなかった。
酷く懐かしくて、どこか落ち着ける――彼女にとってはそんな音だった。
だから、決して五月蠅いとは感じなかった。
「……ん?」
目覚めた理由はそんな物じゃない。
妙な違和感に目を開けて――そこがかまくらでもなければ家でも、まして見知ったどこかの風景でもないことに驚いて。
そう、そこは岩肌がむき出しのどこかのほらあなのような、いわば避難所だ。
訓練を受けた時に説明を受けたような場所だ。それでようやく嵐の事を思い出した。
「痛っ」
「あ、体起こすなよ。あーこらっ、だから起きるなっ!」
なんでー、と聞き慣れた声に反発するように半身を起こして、彼女は声の方向に顔を向ける。
たき火が見えた。
その向こうに、見覚えのある後頭部が見えた。
――あれ?
先刻まで叫んでいたんだから、こっちを向いていたはず。
不思議に思って。
「ナオ……っ!」
キリエは、その時やっと自分の周囲の状況に気が付いた。
「ふーっ、ふかっこーりょくって奴だからなっ!べ、別にっ、何もしてないからなっ」
そこは何処か判らないが洞窟で。
二人きりで、たき火を焚いていて。
周囲は――多分洞窟の中だからというわけではないだろう――薄暗く。
そして彼女は体を起こしたせいで、上にかけられていた薄手の布がはだけていて。
まあぶっちゃけ。
下着姿をさらしていた。
「着替えたぞ」
寝ている間にナオが乾かしてくれていた服を着込んで、キリエは洞窟の外に声をかけた。
「……なんでここまでなぐられにゃならんのだ」
「五月蠅いっ!」
洞窟入口の下で、いじけるように座り込んでいた彼は、恨めしそうに声の方を振り返った。
貌の半分がはれ上がっていた。
奇声を上げて襲いかかったキリエは、下着姿のまま(錯乱していたからか?)彼の前に回ってぼかすか顔を殴った。
「みるなー」と叫びながら。なら正面なんかにまわらなきゃいいのに。
ナオは逃げる事も出来ずただひたすら殴られていた。
マウント・ポジションで(笑)
「ちぇ」
傲慢で押しつけがましくて五月蠅い姉に比べれば。
ナオはどうにかフユやアキというとんでもない姉と比べることで腹に収めることができた。
尤も二人の姉を嫌っているわけではないのだが。
彼も丈夫でなければ多分死んでたはずなんだが……。
ともかく、話すことも目をあけることもできず、ただ指だけでなんとか服を乾かしている場所を指さして。
彼女が気づいてよたよたとそちらに向かって歩いていくまで、殴られ続けた。
着替えている間、これ以上はもう勘弁と入口に待機していたわけだ。
「飯も用意してる。腹へってるはずだから喰っとけよ」
口の中が切れてるようだったが、彼はそこまで言うことができた。
やっと今まで通りに戻った――と、ナオは思った。
気を失っていたキリエは二日間眠り込んでいた。
生きていることは判っていたが、目が覚めるか心配で仕方なかった。
嵐を乗り切って、どうにかこの島に打ち上げられて、はぐれなくて良かったとも思ったが。
多分ここはシコクだろう。
ナオはキリエをこの洞窟で寝かせておいて、食事を狩りながら一度海岸を見て回った。
かなり広いので、半日では探索し切れなかった。
少なくとも小さな無人島ではない。
「――」
声が聞こえて、ナオは振り返った。
「どうした?」
「……その、これ、喰えるのか?」
串に刺さったトカゲの姿焼き。
腹を割いて内臓を抜いただけのかえるの丸焼き。
「うまいぞ」
「ぜ、贅沢は言えないけどさ」
キリエは苦い貌をしてその肉にかぶりついた。
すこし筋張っててかじるのは大変だったが、臭くもないし苦みもない。
「……味は、そこそこだな」
「だろ。お前、二日間飲まず食わずだからゆっくり食った方がいいぞ」
興味本位、という風にそれらに手を伸ばして、彼女は彼の言葉に目を丸くした。
「え……俺……」
「足、何とか動くか?」
聞くまでもない。先刻奇声を上げて飛びかかってきたし、服だって着替えて居るんだ。
しかし一応だ。あの時は錯乱している。
何より本人から直接、『大丈夫』という言葉を聞きたかったのかもしれない。
彼女は驚いた貌のまま、彼女は自分の両脚を見て、空いた左手で撫でるようにしてそれを確認する。
「痛いけど。歩く位ならできるさ」
強がりも含まれているだろうが、歩けるのは確かなはず。
「ふんばれないけど」
走って逃げたり、戦うのは無理だろう。
ナオは口を真一文字に結んで頷くとにっと笑みを浮かべて応える。
「傷跡は残るだろうけど、腐ってもないしちゃんとくっついてるから安心しろよ」
もっとも、中身は彼にも判らない。
ただ、傷が広がらないように巻いて置いた布が功を奏したようだった。
乾かす為に解いた所、疵痕総てかさぶたになっていて出血もなく、ほぼふさがっているようだった。
動かせばその限りとは言えない。
「きついだろうけど、また巻き直してあるから大丈夫」
「……うん」
キリエは浮かない貌でそれだけ答え、しばらくもそもそと食事を続ける。
ぱちぱちと爆ぜる音が響き、洞窟の外からは潮騒の音が聞こえてくる。
しばらくの沈黙が、今度は不快には感じられなかった。
「ちょっと今までと環境が違うけどさ」
それに暖かい。
野山の小動物というよりはここなら魚介類の方が恐らく豊富だろう。
残念ながら二人にその知識はないが。
木の実や、草の食べ方は訓練で憶えている。
魔物だったら食用のものも、食べ方も戦場で憶えたから――不思議なことに、ここには食べられそうな魔物自体いないのだが。
少なくともそれを考えればここがサッポロではない言えるが――無人島ではないことは言い切れない。
それは不安だが。
「何とか生きてる」
そう。――彼は口にしてようやく、その実感を取り戻した気がした。
安心した事と、二日間話す相手もいなくて黙っていたせいで、どうでもいいことなのに言い訳のように言う。
「早くユーカ達と合流しないとな」
目を向けると、キリエは食べ終わったのか、串でたき火をいじっている所だった。
気づいて、彼女は上目で彼を見る。
今までに一度も見たことのない、彼女の貌。
いつも張り合って、逆八の字に吊り上がった眉と元気な貌を見せてた彼女が、不安そうな色を残したまま苦笑いを見せる。
「なんだよ」
「……なんでもねーよ」
ふい。
ナオが顔を背けたので、キリエはむと口を歪めた。
立ち上がると、ナオの真正面であぐらを組んで、どっかと座り込む。
「ナオ」
「なな、なんだって!俺何か悪いことしたかよっ!」
先刻殴られてはれた場所を押さえて思いっきり叫ぶ。
驚いて、後ろに飛び退こうとするが、そこは洞窟の壁面しかない。
で、へたりこむ。
「ごめん、もう殴らねーって。……ありがとな。二日……看病してくれたんだろ」
流石にキリエは苦笑を見せて、そう言った。
自覚はあるらしい。結構落ち込んでいるようだ。
「海岸からお前を背負って、この洞窟を探して」
両肩をすくめる。
「別に。……お前でもするだろ」
ここがどんな場所か判らない。
落ち着ける場所で、なんとか回復をしなければならない。
――第一、あんな貌見せられて放ってられる訳ないし
自分を追って飛び込んだ挙げ句、動けないと哀しそうな貌をしたキリエを思い出す。
どうして。そんな言葉をかけようものなら、すぐにでも泣き出しそうなあの時の彼女の貌。
海岸にたどり着いた時のキリエを担ぐことに重さも躊躇も全く感じなかった。
「もう無茶するよな」
おかしくなって、ナオは笑う。
「だってそうだろ。お前、足ずたずたになってたのに、俺を追って海に飛び込んだんだぞ」
「だ――」
顔を一気に赤くさせて、立ち上がりかけたキリエ。
でも、そこでそのまま顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「だって」
「…………」
今度は思わぬ反応。
――え、えと。どうすればいいってんだ……?
ナオは今までに見たことのない彼女にどう対応して良いか判らず、だらだらと冷や汗が流れ始めるのがわかった。
普通なら今ので怒鳴りながら蹴飛ばされても文句を言えない。
はず。いつもなら。
先刻みたいに無茶苦茶に殴られたって、イヤだけどそれが普通だ。いや、普通だったのだ。
「だ、だって?」
結局オウム返しに聞き返さないと、微妙な沈黙に耐え切れそうになかった。
その質問が彼女を追いつめるような効果しかなかったのだとしても。
「……あ……」
たき火の向こう側なので、良く判らない。
ナオはずりっと体を動かして、彼女の横に回ろうと座ったまま移動する。
「……」
ちらちらと目を泳がせて、時々ナオを見る。
何を言い淀んでいるのかとますます不思議になって、ナオはさらに寄る。
「あーっ」
すると。
突然かんしゃくを起こしたように叫び声を上げて。
「うるせーっっ!」
すぐ側に寄った彼の右頬に、全力の右拳をたたき込んだ。
「はぁーっ!はぁーっ!な、ナオのばかっ!おー、お前が悪いんだこのっ」
げしげし。
何も悪くないだろう、と突っ込みを入れる人間なんかいない。
ナオは最初の一撃で完全に昏倒し、倒れた体に浴びせられる拳の雨もただ受け止めるしかなかった。
合掌。