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魔王の世界征服日記
第79話 ロウ


 昼食は黙々と終了した。
 カナとシータは流しに並んで、二人で食器を片付けている。
 カナにとってはこの作業は、面白いものにしか映らない。
 スポンジできゅっと音を立てて、皿をひとなですればすっきり綺麗に汚れが落ちる。
「へえー、きれいになるんだねー」
「ならなければやりません」
 相変わらず淡々と答え、特に面白味もなさそうに作業するシータ。
 まあ特に面白いものでもないとは思うが、カナは楽しそうに鼻歌まで歌っている。
「……楽しいですの?」
 だから、手を止めて思わず顔を上げた。
 もうのりのりでくるくると皿を回しながら洗う彼女は、にこにこで答える。
「たのしーよぉ。ほら、こんなにぴかぴか」
 そう言って水を切り、くるりと皿を裏返して見せる。
「それは……良かったですわ」
 何か言いたそうに言うと、やっぱりそのまま作業を続ける。
 仲が悪いように見えなくもないが、シータはこれが普通なのだ。
 別に機嫌が悪い訳ではない。
「明日からは全部お任せしますわ」
「え」
 機嫌は、きっとわるくないとおもう。
 山のように積まれた食器を見ながら、カナは引きつった笑みを浮かべて笑う。
「それはちょっと」
「楽しいのではなかったのかしら?」
 心底不思議そうに首を傾げる。
「楽しいのなら、お譲りしましょうと思いましたのに。そうですか」
 かちゃかちゃ。
 どことなく寂しそうに聞こえた。
――でも!
 ここでうんと言うと次からぢごくが待っている。
「いやその!」
「……なんですの?」
 くるり。
 能面のような彼女の顔が、カナの方を向く。
「うー。ううん、何でもない何でも。さー、早くおわらせよー」
 その後ろで、ロウはグザイを睨み付けていた。
 こちらも別に喧嘩をしているわけではない。
 グザイも、彼がこうやって険しい顔をするのは別段いつものことで変わりはない。
「グザイ」
「……ロウ様。もう少し落ち着けませんか」
 食後のコーヒーを片手に、落ち着いた口調で彼は言う。
 ロウとは極めて対照的だ。
「ああ落ち着いているさ。俺は落ち着いているさ――グザイ」
 だが彼は腰を下ろさず、逆に身を乗り出してテーブルに右手を付く。
「いいか?一体俺はいつまでこんなところでこんな狩りを続けなければならないんだ!」
 それは彼にとっては正しい疑問だった。
 指定されなかった期限については――今は目をつぶっても良いかも知れない。
「本当に聞きたい事は、それだけですかな?」
 じろり、とグザイはロウを睨み付ける。
 僅かに眉を吊り上げ、八の字に眉を歪めるとグザイはは僅かに笑みを湛える。
「どういう意味だよ」
「姫の――限界はあとどれぐらいなのか、などは、お好みでは御座いませんかな」
 ばき。
 水音だけが一瞬その場に満ちた。
 音に驚いて振り返った二人も、ロウが机に拳をめり込ませているのを見た。
「え?」
「……ちょっと、お願いしますわ。よろしくて?」
 ざっと水で両手を流すと、返事も待たずに喧嘩をしているような雰囲気の二人の元へと、シータは何の躊躇もなく歩いていく。
「あ、あのえっと」
 両手で洗いかけの皿を抱えたまま、カナは目を泳がせた。
 けど、取りあえず。
 それを水ですすぐことにした。
 じゃばじゃば。

「ロウ。昼食は終わりましたわ。早く自室にお戻りになって」
 少し熱くなりすぎていた。
 すぐ側でその声が聞こえるとは思ってもいなかったので、ぎょっとして彼は――シータを見た。
「あ……あ、ああ。判った」
「二時間以上の休息と、僅かで良いので睡眠を」
「判ってる。判ってるから!」
 そして彼は逃げるようにして自分の部屋へと駆けだしていった。
 いい加減にして欲しかったから、我慢ならなかった。
 グザイは彼を見送って、肩をすくめるとゆっくり自分のコーヒーをすすった。
「グザイ」
「姫、いえ。特別何も。少し戦闘後で興奮が残っているようでしたが」
 シータは無言でじっとグザイを見つめている。
 彼はそれを何処吹く風で、自分のコーヒーを楽しんでいる。
 ふと気が付いた、彼はそんな風に目を向けると、それでもシータは先刻と同じように黙って彼の方を見つめている。
 勿論顔色なんか変わりはしない。
 変わるわけがない。
 何も怖いはずがない。
「……何か」
「どうして、ロウは」
 多分シータも、先程のカナの一件があったからだろう。
 いや。
 カナの存在を名前で取り込んだとでも言うのだろうか?
――ほう?
 グザイは今までにない『姫』の様子に口元を僅かに歪め。
「あのように疲れ果てるまで戦闘を行うのですか」
 やれやれ。
 グザイは彼女の様子にため息がでそうになった。
 だから、無言でコーヒーを一口呷り、乱暴にそれを机に降ろす。
 とん、と拳が机を叩く。
 僅かに机が揺れても、シータは揺れない。
「違います、姫様。E.X.caliberがそれだけ体力を無理矢理消耗させる代物なのです」
 彼の答えは、勿論シータの望むものではなかっただろう。
 すぐにシータは言葉を継ぐ。
「そこまでして、何故ここで魔物を狩れるのですか。姫は」
「姫。ロウもまたここにいるべき人間ではありません。姫がここにいる必要がないように」
 しかしグザイもロウの総てを知ってる訳ではない。
「彼に、話す理由と意志があるなら私達にも何かあるでしょう」
 ただもっともらしい事を応えると、彼はそれ以上何も言わなかった。

 マセマティシャンは。
 ロウはシータに言われたとおりベッドに横になっていた。
 彼の部屋の中は、ベッドと、もう一つやけに大きな物が横たえられている。
 普段はこのベッドで眠れば事足りる訳だが、危険な場合はこの円筒形状のものを使わなければならない。
 と、グザイに聞いている。
――マセマティシャンは、俺達を利用しているだけ
 所詮はマセマティシャンも『リロン』研究者集団だ。
 ロウやシータとは明らかに違う、世界の外側にいる連中だ。
 どこかの誰かはそれを異端と呼んだ。
 違う。アレは異端などではない。
――異端とか、異端ではない、など……基準があるだろう
 もしそうなら。
 もしアレが異端ならば、自分達はまだまだ人間のうちではないか。
 魔物、それが一体何であるか、なんか、関係ないだろう――そこまで考えて、彼は疑問がわいた事に気づく。

 魔物がなんであるか。

 邪魔な、殺すべき物。それだけだ。別に疑念を抱くほどのものではない。
 彼は即座に生まれた回答に満足できた。
 魔物は世界を滅ぼす、食いつぶす、人間をただただ暴力的に蹂躙するためだけの存在。
 だから殺す。だから壊す。それは良いことだ。なんとしても滅ぼさなければならない。
 E.X.Caliberを手に入れてからというもの、既に何体も倒せるはずがなかった魔物を屠っている。
 いや、手に入れたのではなく。
 シータと出会った時、彼女が『オプション』として持っていた物だ。
 先程のグザイの貌を思い出して、彼は拳をベッドサイドに叩きつけた。
 がつん、と音がして、拳に痛みが走った。金属を叩いたのだろう、だが痛みとして彼は感じたくなかった。
 だからもう一度振り下ろした。
 がつん、がつんと。

  姫の――限界はあとどれぐらいなのか、などは、お好みでは御座いませんかな

 派手な音がして、彼の隣で何かが倒れた。
 いや、叩きすぎて壁から張り出していた棚がへし折れて、床に転がったのだ。
――畜生、どっちが餌なんだよ、馬鹿野郎、馬鹿野郎っ……
 彼は自分の額を右手で押さえて、ぎりぎりと歯ぎしりをしながら。
 消耗した体力に、意識を奪われていった。
 次に気が付いたのは、扉の開く音だった。
「ロウ、夕食ですわ」
 それはシータの声だった。


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