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魔王の世界征服日記
第78話 シータ(後編)


 ルール違反。
 グザイはカナの側を抜けて、一度流しまで向かう。
「その前に少し時間を下さいますか。コーヒーを煎れたいので。……呑みますか?」
「グザイ、紅茶を」
 まるで返事を待っていたように、シータはごく当たり前に言葉を重ねた。
 彼は口元に笑みを作ると、目だけカナに向ける。
「あ、私も紅茶に」
「判りました。お待ち下さい」
 しばらく沈黙の中、流しでグザイの作業だけが水音を立てる。
 シータはいつもと変わらないように見える。
 彼女はじっと座ったまま、時々顔を動かしている。
 何かを考えているような仕草にも見える。
 カナは彼女と、グザイを見比べていた。
 確かにこの人達には助けられた。というより、拾って貰った。
 食事も貰った。
 ただ彼女は不安のような不信感を持っていた。
 ここが、まるで終着点のような錯覚だ。
 お通夜のような雰囲気、棺桶のような部屋。
 これだけ閉鎖的に生活していながら、『家族』ではないと言い切る。
――ここは一体、どこなんだろ
 逆に、だからカナのように唐突な来訪者を家族のように迎え入れてしまうのだろうか。
 そんなに割り切れなかった。
 そう言う意味では先程の『ルール』という言葉、これには何故か信頼できるものがあった。
――何故だろう
 ルール。法律・守らなければならない決まり事。守らなければ罰が待ってる。
 そう言う何か代わりのもので縛られているという事実に安心できるのだろうか。
 カナはそこまで理解していなかったが……少なくとも、お茶ができるまで待つことにした。
「さあ、どうぞ」
 濃い香りを放つコーヒーを片手に、彼は二人の間にお盆毎紅茶を置いた。
「レモンスライスを用意しました。良ければ、呑む前どうぞ」
 彼は、二人をテーブルに挟んで向かいに座り、自分のコーヒーの香りを楽しむようにしてから切り出した。
「まずは――一番最初の質問の回答から、した方がよいでしょうな」
 何を言われたのか、理解できなかった。
 言葉の意味は判るが、『最初』とは何か。
「私達がここにいるのは――私は、この箱船を理解する人間だからです」
 そう言って彼は大きく両腕を広げ、自分の服を眺めるように顔を動かす。
 麻でできた、簡素なつなぎ。作業用の服だ。
「この箱船の構造を知り、ある程度触ることができる私が居なければ、この船の中での生活は洞窟よりも危険なモノになるでしょう」
 それは彼の自負というよりも、純粋な真実のように聞こえた。
「知らなければ危険な要素の多い――旧いカガク技術の代物ですから」
「カ、ガ、ク……技術?って、何」
 一言一言区切って、確かめるように重ねると、彼は両手をくるんと上に向けて肩をすくめて、元の姿勢に戻った。
「さあ。そう呼ばれていますが私も何の事やら。あ、これは本当に知らないんですがね」
 少し大げさな彼の仕草は、どこかおどけた風で。
 何故かおかしかった。
「ただ、私は昔リロンの研究をやっていた人達と一緒にいたので、理解していなくても判るんですよ」
 話を聞きながら、シータとカナは紅茶に手を伸ばした。
「うぇええ」
「……カナさん、レモンは紅茶に入れてください」
 説明してなかったせいで、お茶請けと勘違いして口に入れてにがーい顔をするカナ。
 無言でレモンを紅茶に入れるシータ。
 紅茶は、まるでレモンに色を吸い取られるようにすっと色が引いていく。
「今はどこでどうしているのか判りません。あのバグ氏も、同じような研究をやっているのでしょう」
「……じゃあ」
 カナの言葉は、すぐ宙に溶けてしまう。
 しばらくそれぞれの飲み物の香りが満たされた空間で、何かを待つように沈黙する。
「シータが、ここにいなければいけないから?」
 一瞬目を丸くしたグザイは、すぐに笑みを作って一口コーヒーを飲む。
 彼の呑むコーヒーはエスプリで、非常に濃い匂いが口中に立ちこめる。
「それは詭弁ですわ」
 かちん、とカップが不機嫌な音を立て、シータは口を開いた。
 視線はカナに向いている。
「姫がここにいなければならない訳ではございませんもの、グザイがここを調べたかったのが本音でしょう?」
 いやはやとグザイは後頭部をかきながら応える。
「姫はここにいる必要はございませんから」
 どこか強気で、いつもの無感情な彼女とは雰囲気が違って見えた。
「ちょっと、シータ」
 だから、カナは慌ててなだめるように声を上げた。
「ああ、カナさん。姫君の言葉は間違いではありません。姫、訂正申し上げます」
 シータは無言で紅茶のカップを手にする。
 グザイは顔色を変えない。
「私は私の意志でこの船に来た。――たまたま、ここを使いたいという姫と、騎士殿がおられた」
「ロウも姫の騎士なんかではありません」
 何故かシータの受け答えが冷たい。
「いいよ、うん。……そんな事きいてなかったし」
 話がこじれるなら聞きたくない。
 カナは、明らかに怒っていると思うシータの様子に、グザイにくぎを差した。
「姫は」
 彼は、しかし聞いていなかったようにそのまま続ける。
「類い希なる才能を持った精霊使い――『だった』のです」
 だった。
 その過去形はどこにかかるのか、カナが理解するよりも早く、シータが言葉を継ぐ。
「精霊は、名前を記憶したモノの意識に取り憑きますわ。そうすることで精霊を取り込み使役する」
 意識の中にある『言葉』という形で、精霊を中に誘導する。
 近しい波が引き込み現象を起こして一つの波になるのと、そう大きく代わらない。
 この名前を覚える事が、精霊使いにとっては難しい必須の技術なのだ。
 言葉を覚えるのではなく、『ことば』として受け止める波導を刻み込むのだ。
「でも逆に言えば、それだけ自分を削って精霊に置き換えている、ということではなくて?」
 彼女の言葉は、まるで自分の死を淡々と説明しているような、感情を感じさせない言葉の羅列だ。
 なのに、泣き叫んでいるような錯覚を受ける。
 いや――本当は、きっと今、シータは叫び声をあげようとしているのだろう。
「リロンを研究する連中によって、二つ目の精霊を引き込まされてから、姫君は精霊使いから世界初の『浸透者(penetratee)』と呼ばれるようになりました」
 多分。
 カナは、何がなにやら理解する事の方が難しくて困っていたが。
 はっきりいうと何を言ってるか八割方わからなかったが。
 多分これだけは、理解できた。したのかもしれない。
――普通に、生活したかったのかな
 特別な力を持つと言うことは、それそのものは決して良いこととは言えない。
 優れた力を持つが為に、その周囲によって矢面に立たなければならなくなる。
 異なった大きな力を持っている為に、平穏が乱されてしまう。
 それを望まない人間にとっては不幸なことだ。
「あ」
 だから名前なんだ。
 唐突に理解できた。
 名前も記憶もない、本当に何もなかったカナに、せめて、『意味』が欲しかった。
 それが彼女の利己的な話なのか、カナを思っての事だったのかそこまで判らない。
 判らないけれども。――シータの不安は、何なのか理解できた気がした。
 グザイの言った『できればそうしてもらいたいと思ってる』の意味も。
 だから名前なんだ。
「グザイさん。シータの名前って」
 カナは思わず質問したが、彼はただ口元の笑みを湛えたまま応えた。
「姫君は姫君でございます。カナさん」
 グザイはそれだけ言ってコーヒーを呷る。
「……姫君。出過ぎた真似をしました。お許し下さい」
 グザイは立ち上がって一礼するとすっとカップをもって流しへと歩いていった。
「あ、あの」
「いいですわ。姫は気にしていませんもの」
 シータの様子は変わらない。
 カナは、酷く後味の悪い感じがして、ばつの悪い顔をしていた。
「本当ですの」
 だから、彼女は貌を上げて言った。
「姫はカナの、……好きなようにして欲しいですわ。でも」
 何故か彼女は口ごもるような、どもるような、不器用な物言いを繰り返す。
「一つだけ、約束、して、ください」
 たどたどしく、言い慣れない言葉を探して話している――それが、彼女にとってどれだけ真剣なのか。
 口調などそれすら判らないのか、それは表情だけで追えなくても判る。
 彼女は――今更だが――感情が表現できないのだ。
 ただ出来ないだけで、こうして観察すればよく判る。
「カナ。最初に会った時の貌は、二度としないでください」
「あう」
 びくっとカナは、驚いたように奇声をあげる。なみだ目で。
「それって泣き虫だって遠回しに言ってる?」
「言ってませんわ。止めてくださいと言ってる側からそんな顔しないで下さい」
 カナには、彼女が答えて紅茶をすする様子が――笑っているように思えた。


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