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魔王の世界征服日記
第76話 なまえ。


「名前を差し上げますわ」
 それは唐突な申し出だった。
 狩りを終えて交渉に入ったロウとバグを放置して、シータはさっさと箱船に戻ってきた。
 そして、先程の場所――二人がリビングと呼ぶ場所だ――に入ると、紅茶を煎れて少女にそう言った。
「え」
 勿論少女は面食らってしまって、思わず間抜けに応えた。
「名前ですわ。あなた、何時までも物みたいに呼ばれたいのですか」
 なら結構ですけれど。
 彼女は気分を害した風もなく、ただ淡々とお茶を飲む。
「そ、そんな。……でも、その」
 少女が困った顔をしていると、シータはすっと目を閉じて紅茶をおいた。
「――名前は、大事な物。魔物にもそれぞれ名前が付けられている。それには意味がありますでしょう?」
 つい、とゆっくり目を開くと、すました顔で彼女は僅かに、まるで覗き込むような暗い沈んだ瞳で。
「精霊は名前で契約を交わす。存在を縛る真の名を与えることで隷下に置くのですわ。きっと、今失われたあなたの名前は」
 ふんわりと漂う紅茶の香り。
「あなたという形を保つことをあなたに強要してましたのよ。でも、それでは多分これからには似合わないのですわ」
 多分ここでにこりと笑えば、それなりに決まったのかも知れない。
 でも、彼女は笑うという仕草の気配すら漂わせることはなかった。
 平坦な声で、能面のような顔のまま淡々と。
 だから少女は冷たくゆっくり断言するその言葉をもう一度反芻した。
――形を保つことを、強要……
 何となく彼女の言いたいことが判る気がした。
「まもの、の話なんだけどさ」
 でも少女は即答する事を避けた。
 はっきりした意志があったわけではなかった。
 理由も、多分聞いても判らない。
「何ですの」
 シータも敢えて聞き直そうとは思わなかったらしい。
 一口茶を含んで、喉を湿す。
「うん。先刻のヒト、狩ったまものを買いに来たんでしょ?それで生活してるの?」
 ぱちくり。
 シータは不思議そうな顔で二回瞬くとゆっくり小首を傾げ、思い出したように元に戻す。
「……違いますわ。あなたの思っているような事ではありませんの」
 あっさり否定すると、まるでそこにいるのを見えるかのように一度振り向き、顔を少女に戻す。
「バグ=ストラクチャ氏は、特殊な魔物に興味がおありになる方。好事家ですわ」
「とく……しゅなまもの?」
 魔物に一般的なものと特殊な物があるのだろうか。
 また、彼女は真顔のままゆっくり首を傾げる。だが彼女が反応するより早く少女が言う。
「もしかしてっ!雑魚もんすたーとボスキャラ?」
 嬉しそうに立ち上がって。勢いよく元気に。
 一瞬頭の中で、ぷにぷにした丸っこい魔物と、ドラゴンの二種類が浮かんでくる。
 シータはぶんぶんと頭を振る。
「なんですのそれは。……私も詳しくは判りませんの。バグ氏が詳しいのですが……」
 契約云々でこの箱船に、ロウが入れる事はない。
 むう、と眉を寄せて少女は顎を引いて、自分の右人差し指を立てて頬に当てる。
 考え込んでいるようだ。
「『狩る』際も、バグ氏からの情報が元なのですわ。あの……『Daemon』以外を見たことはありませんが、彼は良くご存じですのよ」
 小さく彼女のカップが音を立てると同時に、扉が開いてロウが姿を現した。
「おかえりなさいまし。お茶を煎れて参りますわ」
「いや」
 ロウの返事は早く、そして落ち着きがなかった。
「行くぞ。――もう一匹、来る」

「いやあいやあ、たまたまですよたまたま」
 非難の目、いや、殺されそうな殺意の目を向けられているというのに、それでもバグはひるんでいなかった。
 嬉しくてたまらない、そんな貌で笑って手を叩いていた。
「まさか、引き取りにくるのと重なるとは思っていませんでしたが。多分[Daemon]を叩いたせいでしょうねぇ。はっはっは」
 彼の胸元、右のポケットからはみ出した、赤い色の光沢。
 大きさは掌の半分ほどのそれは、小指より小さな突起をはやしている。
 彼曰く、アンテナなのだそうだ。
 彼の欲しがる魔物の情報を手に入れる事のできるレーダーだとか。
「……今までとどう違う」
 ロウは先刻よりもさらに低い声で威嚇するように言う。
「今まで?はて。……そんな怖い貌をしなくても良いではないですか。要は絶対数の問題ですよ」
 普段であれば、魔物の出現、群の行動パターンから時期・場所を概ね指定される。
 ロウはそれに従って魔物を狩って来た。
 尤も、それは依頼された分だけだが。
 それはここを守ることと同義。
 魔物を狩る必要のある人間にとっては、食事に同じ。
 だから予定外の襲撃は今までは起きなかった。
 今回狩りの後のお茶にこの男がいるのは、何も招待したわけではなく。
「――つまり、私達を体よく利用したと」
 シータの冷たい声に、ロウの眉が吊り上がる。
――そう、箱船内部リビングルームで尋問中という状況である。
 実際襲いかかってきた魔物を事前に察知できたのはこの男の御陰なのだが。
「利用だなんて」
「都合良く『ヘカテ』が来るわけだ」
 ばきん。
 先刻まで眠っていたはずのE.X.Caliberが突然音を立てる。
 ばりばりと起動状態になる。
「判りました判りました。判りました説明しましょう、私だって本当に偶然だったんですよ」
 流石に困った貌をした彼は、両手をなだめるように前後させた後、続けた。
「想像するに、[Daemon]がこの周辺で極端に減ったから、[Hekate]が調査に来たというところではないかと。まあE.X.が有るから気にする必要」
 すちゃ。
「今度から情報は正確且つ的確に、迅速且つ適時に。……これでいいですか?」
 流石に鼻先に、ロウの剣を突きつけられれば素直になるようだった。

 ずずー、とお茶をすする音がしばらく漂う。
 初めこそ尋問だったが、彼の話が終わるといつのまにか全員卓を囲んだお茶モードになっていた。
「お代わりは?」
「戴きます。なかなか、お茶の煎れ方がお上手だ」
 話が終わった直後、ロウは完全に黙り込んでしまった。
「確かに、私はさらに上位層を解明したいと思ってますよ。でも、あなた達の能力を無視する訳はないでしょう?」
 わざわざ騙して魔物を狩らせるような真似をしたって、何の得もない。
 第一それなら危険を冒して取引に来る必要性もない。
 彼らもどの魔物がどこに徘徊しているのか、そこまではわからないのだそうだ。
 そこで、予定される場所と時間、出現しそうなタイミングに『餌』を用意する。
――そして、餌に食い付こうとする魔物を、彼が狩る。
 どんな魔物が来るのか、それは来るまで判らない。
「それだけは事実ですわ。貴方達がどれだけ知識を持っているのか、『それが裏付けのない予測できる知識』だとしても教えていただけないんですの?」
 静かな質問口調。彼女は淡々と感情を見せない話し方しかしないせいで、まるで興味のない事を確認しているようにも思える。
 グザイが、バグより早く応える。
「技術屋の集団だとすれば公表する気はないでしょうな。のぉ?どうせ名前も偽名だろう」
 勿論バグはにこやかな笑みを絶やさず、全く感情もその裏側も感じさせない。
 またしばらく沈黙する。
「……ね」
 だから少女は少しだけ身を乗り出して、バグの目を覗き込んだ。
「何でしょう?小さいお嬢さん」
 彼は、少女に向かって笑みを向けた。少なくとも見たことのない少女なことだけは確かだが。
「なんで魔物を集めてるの。あの魔物は何処が違うの?」
 言われて、流石に目をぱちくりさせて驚いたようだった。
 目をシータとロウに向けるが、二人ともつーんと視線を逸らしていて全くとりつく島もない。
「……貴方はどなたですか」
「しらなーい。わすれたー♪」
「ホントですわ。今朝そこの海岸で拾ってきましたの」
 ずず。
 にこにこ。
 それは或る意味脅迫というか。
 ぽむ。
――記憶がないから色々知りたいことが有るに違いない
 見たところ子供だし、色々不安なんだろう。……多分。
 彼はそう結論して、納得したようだった。
「お嬢さん。貴方が何を聞きたいのかは判りませんが、私は、魔物の行動を調べているのですよ」
 マセマティシャン。彼は聞き慣れない発音でその言葉を紡いだ。
「丁度このトクシマには、色んな生態を持つ魔物がおりましてね。彼らを調べて、魔物の行動の理由や原理、果てはその予測をしようというのが目的です」
 はぇー、と間抜けな声で驚いたように目を丸くする。
「そ、そんなんでわかるの!あ、えと、ましましゃん?」
「真島じゃありません。マセマティシャン、ですよ」
 くすくすと笑うと、カップの中身を一気に呷る。
「じゃあ私はこの辺で失礼しますよ。[Helate]を早くバラしてみたいですしね」
 バグは慇懃に一礼して、部屋から立ち去った。誰も声をかけることも、止めることもなかった。
 がん。
 ロウが机を叩いた、金属的なその音だけが彼を見送っていた。


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