魔王の世界征服日記
第75話 狩り
長く見える、闇の一部が欠けた廊下。
その向こう側に、ちらりと姿が見えて、続いて思い出したように足音が谺する。
「準備なさいましたか」
「かかる物でもない」
グザイが声をかけ、少女はその姿を凝視する。
明らかな異形、彼の持つ武器らしきそれに視線を奪われる。
剣、ではない。
しかし、その形状が武器であることを明確に表現している。
無骨で、あまりにも鋭利なその面影は、武器――いや、兵器としてのそれを大きく周囲に誇示するかのようで。
少女は怖ろしく感じた。
どんな大きな剣でも、どんなに強力な攻城兵器でも、それらの持つ力は恐ろしさを感じさせる物ではない。
むしろそれを扱う者に安心感を与え、力強く感じさせるだろう。
しかし――それだけは異様だった。
「ご心配ですか」
グザイは、彼女のそんな様子に声をかけた。
だが、彼女はゆっくり首を振った。
「う……その。うん、あの、しんぱいじゃないわけじゃなくてさ」
おろおろする彼女の側を、ロウは何もないかのように素通りし。
「ついてきますの?」
そんな彼女に、先程と変わらない調子で声をかけるシータ。
少女は彼女の言葉に一瞬眉を顰めるが、彼女が顔を背けても少女は彼女を見つめ。
「行きましょうか」
というグザイの言葉に頷いて、二人の後を追った。
『箱船』は強固な金属で出来た、簡単な表現をすれば『城』だ。
出入り口も同じ金属で出来ていて、この『箱船』の総てのドアは同じ構造の、ノブのない特殊な物だ。
つまり、魔物の出入りはかなり困難だと言える。
少女の記憶(といっても白紙な訳だが)にも、何処にもない。
一枚の金属が、シータやロウが触れるだけで開く奇妙なドア。
「たまたま、みんなの選択が、ここに留まる事だったの?」
恐る恐る少女はグザイに聞いた。
グザイは、ちらりと少女を見て眉を寄せ、今度は前にいる二人を見る。
「ここにいるのは必然でしょう。でも、ここに留まろうと思ったわけではありません」
かしゅ、と音がして空間が矩形に切り取られる。
差し込んでくる陽光。
四角い白い壁の中にとけ込んでいく二人。
「偶然という名の必然でございましょうな、この状態というのは――」
かしゅ、とまるで隙間から空気が漏れる時に立てる音が響き、彼の手元で剣が唸る。
E.X.caliberは普通の剣より余程重い。
可動部分が存在し、重心位置が剣よりも手元に近いためだ。
但し取り回しは充分楽な物だ。
だがこの『剣』は、そのなまくらな剣身でもって切り裂くことは到底不可能だ。
箱船の外に二人が出ると、彼は左手で柄を引き絞る。
がしゃ、と音がして剣身が開く。
そして人差し指を軽く添えると、柄の内部がうなり声を立てて稼働し始める。
ゆっくりその音が甲高く変わり行くと同時に、柄の振動が激しくなり、開いた剣の中央に光が灯り始める。
これで準備完了――彼の口元に僅かに笑みが浮かぶ。
とん、と言う軽い足音に、彼のすぐ側に少女が居場所を作る。
「――ロウ、右手上方――二体」
彼女の言葉に、ロウは左手を剣に添える。
同時、ばりと、まるで何かを引き破ったような激しい音を立てて、剣身に光が灯る。
脈動するようにゆっくりと大きくなる。
彼の視界にはまだ何も見えない。
だが、彼女の言葉通りに視線を向けて、稼働中の刃を向ける。
ぎしり、と彼の周囲で何かが軋むような、そんな気がした。
彼らがまだ見えない魔物に対して戦闘態勢を整えているのを、僅かに後方で、二人が見つめている。
少女とグザイだ。
「ねえ」
少女は不思議で仕方がなかった。
何よりどうしても想像も付かないし、理由が判らなかった。
彼女の記憶が戻らない――自分のことも判らない今の状況では、今を、ここを、この状況をせめて把握したいから。
「ここって、街じゃないよね」
「はい」
ぐるりと四方を見渡しても、何も見えない。何も存在しない。
せいぜいあるのは――この遺跡周辺に、同じような金属塊が転がってる程度で。
「ヒトのいる場所って、かなり遠いんじゃないの」
少女はグザイに視線を移すと、彼はうすら笑いを浮かべるように彼女を見返す。
「遠いですな。トクシマから出ないことには、人間が住める状況ではございませぬから」
尤も。
グザイは続ける前に一度言葉を句切り、大きく息を吸う。
「――その方が好都合なので御座います故。お嬢様、彼らが狩りを続けるのは何も」
ばさり、とどこからか羽ばたく音が聞こえて。
ロウの口元が吊り上がり。
「自分の身を護る為、ここを安全化するためだけでは御座いません」
魔物を狩ることで生活する。
「魔物はいわば、材料であり栄養なので御座います。端的な言い方で有れば、魔物を『食べて』いるのです」
ざわり。
少女の顔が蒼くなる。
当然だろう。思わず朝食のメニューを思い出して口に手を当てる。
「まものを食べるって」
「食用の魔物は存在しますからおかしな話では有りません。前線ではごく普通で御座いますが、実際に食べている訳ではありませんがね」
筋張っているがねこかぶとは美味だと言われるし、いぬむすめも鍋にして料理として出す店もあるそうだ。
グザイは目を細め、少女を眺めるようにして言葉を選ぶ。
「もっと精確に……魔物を分解して、必要な要素を抽出しているのです。――一部はお金になると言えば判りますか」
「あ、うん。判る」
羽ばたきが大きくなる。
何とか、目で捉えられる大きさに見えた。
もう近い。
「ですから――」
ロウは一歩踏み込み、大仰に両手で握りしめた剣を振り上げる。
それは、狩りというよりも単純で、大雑把で、明確な物だった。
「でも」
少女は小首を傾げて人差し指を自分の頬に押し当てて唸る。
ひとしきり唸ると、グザイに言った。
「んー、お金ってどうしてるの。ここ街じゃないし、お金なんか必要ないんじゃないの」
お金になる、というのは何処の部分なのか。
またどうやってお金にしているのか。
「はい。『取引相手』が受け取りにきます故に」
ロウの目には既に目標になる魔物が見えていた。
今日の獲物は――できれば、いつも狩っている魔物ではない方が望ましい。
確かに何度も『天使』を狩った。天使は彼らの望んでいる魔物だ、悪くはない。
しかし、彼らは何度も同じ魔物はあまり嬉しくないのだという。
――贅沢な話だ
天使は悪くない。だがそれより近い存在を。
天使は良かった。だからそれ以上の存在を。
まだ米粒のような大きさの「それ」は、ここトクシマでは珍しくもない魔物だ。
ロウは無言で、それを思いっきり振り下ろした。
同時に人差し指に当たるものを、引き絞る。
ばしんと大きく平手打ちしたような音が響き、まるで刀身が太陽の光を弾いたようにも見えた。
実際には――刀身が、光の刃を打ち出していた。
ばりばりと空気中を音を立てて走り、通過した総てを破壊するようなそれは、真っ直ぐこちらに向かう物へと走る。
そして、まるで――バターでも斬るかのように何の抵抗もなく光の刃は真っ二つに魔物を引き裂いた。
「次」
シータが声を上げるまでもない。
既に振り下ろした刃を、逆袈裟に構えて切っ先を下から上に――
もう一度、今度は空気を震わせるような音を立てた。
ばっと地面の砂が舞い、刃はちりちりと嫌悪感をまざまざと残して走る。
ご ぅ
迫る天使。
恐ろしい速度で突っ込んでくるその姿は、まるで二人を避けるようにして勢いよく二つに分かれて。
返り血すらこぼさずに地面に『ひらき』になって倒れた。
切断面はなめらかで、粘土のように何もなく、それが生命体である事をまるで否定しているようだった。
その死体の真ん中に立ち、彼は構えていた剣を降ろす。
剣は余韻のように静かに低い音で唸ると、柄のような作動桿が音を立てて切っ先の方へと戻り、開いていた刀身も元通り閉じる。
それは完全に沈黙した。
狩りが終わりを告げたのだ。
「他にいないか」
「……いえ。……『同じ』魔物はいません」
シータの言葉を聞いて、ロウはグザイと少女の方に目を向けた。
白々しい拍手の音が聞こえる。
「えへへへ」
少女は何がなんだか判らず拍手を――これではない。
彼女の隣、グザイを見下ろすような男が一人、彼らを見て笑顔で手を叩いている。
「相変わらずの腕前で」
グザイの言う、取引相手の男だった。
ぴしりと着込んだスーツに、蝶ネクタイ。長い髪は先端を紐で縛っている。
気取った白手袋という恰好は、あまりに意外性があり、風景にとけ込もうとしていない。
不自然。
「ですが、またこのタイプの『Daemon』ですか。あの、できれば」
「今のところこれしか見ていない。――他にはどんなのがいるっていうんだ」
スーツの男がロウの元へと歩み寄りながら、話を始める。
「ねえ」
彼が拍手を始めるから思わずつられたが、少女は困った顔でグザイに聞いた。
「先程話した、魔物を買い付けにくる方ですよ。名前は」
「巫山戯るな蟲野郎!」
突然叫んだロウの言葉に、少女はびくっと肩を震わせて二人を見る。
だがスーツの男は全く動じることなく、どこか涼しげな笑みを湛えたまま応えた。
「ええ――私はバグですからねぇ」