魔王の世界征服日記
第74話 剣
「狩り、って」
少女の言葉に、シータはやはり能面のような顔で応えた。
「魔物を狩るのですわ。ご存じありませんの。それが、ここで生きていく術ですわ」
当然のように言い、彼女はロウの後に続いて部屋を出る。
「え、えーと」
「彼らは、今からすぐ側の魔物を狩るのでございます」
あたふたとしている少女の側をグザイは、ついとよどみなく立ち上がって彼女の手を取る。
「え」
「ごらんになりますか」
一瞬の躊躇。
しかし、グザイはそれ以上強要することなく、また否定することもなく。
ただ静かにそこに佇み、彼女の様子を窺うよう――いや、ただ彼女を見つめるだけでそれ以上なにも言わず。
少女は果たして逆に、彼女自身の意志を問いつめられているような気分になった。
でも何も難しくない。
何も困るほどのものではない。
「うん。見せてよ」
グザイは、にっこりと微笑んで彼女の手を握り応え、少女を引いてシータの後ろを追った。
トクシマの『遺跡』は、過去の遺産ではない。
現在も確かに稼働している『施設』だった。
何百年もメンテナンスフリーで動くモノか。
いや。逆の考えもあるだろう。
メンテナンスフリーでなければならない建造物がこの世には存在する。
それはこの遺跡に代表されるモノだ。
既にこの世界の何処を探しても存在しないモノがここでこうして稼働していながら、誰の目にも触れることがない。
それはおかしな事実だ。
「聞いても良い?」
金属光沢を忍ばせる、痛みの分からない旧い通路を歩きながら少女は言う。
グザイは振り返ると小首を傾げ、彼女の言葉を待つ。
「どうぞ」
「なんで、こんなところでこんなふうにしてるの。……それが不思議なんだけどさ」
唐突な質問。
しかし、彼は不思議そうにもう一度首を捻る。
「そうでございますか。だとすれば、いかほど貴方は幸せであったことか」
グザイは立ち止まり、しかし振り返らず言葉を紡ぎ続ける。
「このほか、全く選択肢がなかったので御座います。いいえ、選択肢があっただけまだましだというもの。何故なら、選択できない人間も多いのですから」
そしてくるりと振り返ると、彼の目の前には不思議そうに目を丸くした彼女が立っていた。
「……貴方は、一体どこから来なされたかは存ぜぬ。恐らく、今貴方も知らない事でしょうが」
そして再び彼は彼女の手を引いて歩き始める。
彼の手の中で、彼女は小さくきゅっと力を込める。
「ここトクシマという国はそういう世界なのです」
少女は黙って彼の言葉を聞いていた。
なにも、それを信じる手だてがないとは言え――嘘だとも思えなかった。
では自分はどうだったのだろうか。
何不自由なく暮らしていたのだろうか。
もしかすると、姫か王家だったのかも知れない。確かに、今のこの状況は違和感がある。
――しかしよく考えてみれば、ここまで過酷な人生もまずないだろう。
そう思い返して、少女は自分を思い出す手がかりを失った気がして、小さなため息を付く。
「でもさ」
だから思ったことをいってみた。
「でも、こんなにすごいもの、見たことも聞いたこともないモノがあるのに?」
口元が歪む。
予定調和のような彼女の質問に、苦笑が――思わず失笑してしまいそうなこの感覚に、グザイはやはり振り向かずに言う。
「誰も理屈が判らない、そんなこんな危険なモノを利用しようなんざ、笑える冗句でございます」
しかし選択はこれしかなかった。
今のシータを救い、ロウを仲間にしてこの綱渡りのようなバランスを保つことができるのは、この『箱船』だけだ。
箱船とグザイが呼び、姫が城と呼ぶこの最下層――ロウはここをコキュートスと呼んだ。
「第1第2拘束具展開、起動準備」
淡々と、少女の声が響き金属音がこだまする。
それはロウにとってはいつもの儀式。
シータの目の前には大きな箱が横たわっている。
棺桶――子供がすっぽり収まってあまりある箱だ。
但しその箱は継ぎ目がぴたりと合わさっており、本当に箱なのかどうか疑わしい程だ。
だが蓋であることを主張する金具に、革ひもがくくりつけられている。
「キーの入力。『闇』『色』『狭間』『蒼』『穹』」
金属光沢のある、角をきちんと削った、まるで黒い水晶が劈開したような美しい平面。
そしてその暗い光沢の中に、彫り込まれた文字がある。
やたらと硬質で、人間の手によるものではないことは殆ど明らかだ。
その文字――英語は、箱の中身に何が入っているのかを示した、『名前』だった。
Extirpater of eXistence Caliber
シータの詠唱に合わせ、細かい金属音が数回叩くように弾ける。
かきん、と甲高い音を立てると、革ひもが弾け、ひとりでに蓋が開く。
「E.X.Caliber起動」
彼女の声に合わせ、箱の中身が一瞬光った。
丁度雷の光に似ていた。
ゆっくり開く蓋を無視して、ロウはまだ影の中にあるそれに手を伸ばした。
いつもの、手に馴染む感触。
分厚い柔らかい革製の感触に、冷たく染みこんでくるような液体のイメージ。
それと同時に、甲高い楽器を打ち鳴らしたような音が響き、彼の手の中で『それ』が形を変える。
影から姿を現したのは、奇妙な物体だった。
丁度剣で言うところの鍔の部分から45度ぐらいに曲がって、棒が伸びている。
握りは、丁度彼の手に収まるようなサイズで、指の形に合わせて若干波打っている。
人差し指に触れているものは、柄から独立したスイッチになっているようだ。
そして、棒状に伸びた中央付近に、これまた直角に伸びた鍔がある。
位置として不自然。
よく見れば。
棒状に伸びた『剣』はスリットが刻まれていて、3つの面を持つ。
同等の形状の3枚の板がかみ合わされた『棒』……切っ先に当たる場所から望むと、正三角形に刻まれた中央の穴、頂点から伸びるスリット。
そして、棒に見えたのは台形状の同型の三つの板が張り合わされている事に気づくだろう。
スリットに合わせて、箱と同じように面取り――それも過大に――しているため、台形とは言えなくなってしまっているが。
我々の言葉で言うなら、それは――長大な銃身を持った銃。
彼はそれを胸元まで引き寄せて、『鍔』を、手前に引き絞る。
がしゃん、と派手な音を立て、きぃん、と甲高い何かが音を立てたと思うと。
ば しゃ んっ
機械的な音を立てて三枚、同心円上に『それ』が開いた。
きりきりきりと音がして、ちかちかと根本、そして開いた接合部に光が灯る。
鈴虫が奏でるような音が必要以上にまとわりつくのを確認して、彼はそれを右手に提げた。
「……」
「起動終了、点検確認了解」
シータが呟くように言うと、始めてそこに現れたように。
ぼん、と彼女を中心に光が、爆発するように灯り。
一瞬でかき消えてしまう。
「……行くぞ」
「判りましたわ、行きましょうロウ」
最下層の出口――エレベータががしり、と奇妙な音を立てた。
シータが近づくと、まるで躾られた僕のように扉を開ける。
「シータ」
ロウの言葉に、ついと頭を向ける。
闇に沈むような姿で、ロウはそこにいた。
「何ですの」
ロウは僅かに立ち止まっていたが、思い出したように再びエレベータに向かった。
「――お前は、後幾つ狩れば、気が済むんだ」
エレベーターは音を立てて閉まり。
地の底は再び闇に染まり、僅か一度だけ走った小さな稲妻が、完全に閉じた金属製の箱をてらし上げた。