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魔王の世界征服日記
第66話 かんぱんにて


 揺れる船内では、階段を昇るのも一苦労だ。
 まおはユーカに支えられながら、何とか狭い階段を上っていく。
「うぅうぅう、何時になったら出られるのぉ」
「結構長いから、少し我慢しろ。何、三階建ての建物の階段を上る位だ」
 がーびーん。
「ぃえぇえええ」
 目の前がくらくらするのに、意識がくらくらと飛んでいきそうになった。
「もーいーよー、帰って眠りたいよー」
「いいからいいから。全く我慢の効かない娘だ」
 ユーカはまおを後ろから抱きしめるようにして、逃がさない恰好になる。
 こうなると逃れるより、ただされるがまま上った方が楽だ。
 無理矢理、というかその抵抗すら出来ずにとてとてと上っていく。
「こらこら、自分で歩け」
「はーい」
 と応えながらも、ぬくぬくと暖かいのを振り切るのが嫌で、身体を預けたまま上っていく。
 ユーカも言葉では言う物の、突き放すような真似はしなかった。
 登り切ると、廊下が続いていて、丸窓の付いた扉が幾つか並んだホテルみたいな場所に出た。
「ここが特等船室だ。これだけしかないが、中は宿と変わらない」
「はぇ」
 それを横目で見ながら、廊下の端にある、やっぱり丸窓を填めた大きな扉まで行く。
 ユーカがぎこぎこと音を立てるそれを開くのを、彼女は黙ってみていた。
 風は、以外に弱く、今は櫂をこいでいるんだろうと感じさせた。
 だらんと力無く垂れ下がった帆に、マストに立つ水夫。
 そして、特等船室を見下ろすような艦橋が備わっている。
「はあーっ、すごいやー」
 そこは、見たことのない空間だった。
 周囲には水しかなく、まるで永遠に続く水の中にそびえるように、木造の建築物がある。
 そんな風に見えて、まおは周囲をぐるっと見回した。
 ユーカは先刻までふらふらしてた子供が元気になって、おかしくてくすくすと笑う。
「風がなくても関係なかったな」
 ため息をつくと、彼女は穹を見上げた。
 雲一つない蒼穹。特にこれと言って不審はない。
「ねねねーねねー、ねぇねーってば」
「ねばっかりでわからん。何だ、どうした」
 マストを指さしたり、艦橋を指さしたり。
 ともかくしばらくはこれで元気だろう。
 簡単に相手してやりながら、まおが揺れに慣れる事を願った。
「あんまり端に行くなよ」
 一応、甲板のへりには落ちないように柱が立ててあるが、ともすれば気休めだ。
 尤もさほど荒れてもいないし、大丈夫だろうが。
「うん」
 風は冷たくも暖かくもない、不安を消してくれる優しい感触。
 遙か眼下に見える海面の白い波は、暗い水面は吸い込まれそうなぐらい小さく見えて。
 嘆息するばかりで言葉が思いつかない。
「不思議だな」
 ユーカは彼女の真後ろから声をかけた。
「まおは本当に魔術師か?」
 びくっ。
 振り返らない。
「他の連中は魔術を知らない。だから気づいていないのか、そう言うものだと思っているのか気にしないが」
 否。振り替えれないのだ。
 まおの真後ろ、振り返ろうにも振り返るだけの余裕がない。
「魔術師は、あのウィッシュとかいう女だけだろう。確かに、『珠』かも知れないが魔術が扱えるとはどうしても思えない」
 見下ろすまおを閉じこめるように、両腕が柵を握る。
 これで横にも逃げられない。
 まお、ぜったいぜつめいのぴーんち!
「……実は貴族のお嬢様か、何かなんだろう?ヴィッツってのはお付きのメイドってところか」
「え?」
 ユーカは別にまおを問いつめる気はなかった。彼女自身、疑問だったから確認しておきたかった。
 まおはイレギュラー。
 ユーカは会うべくして彼女に出会ったはずなのだ。

 彼女に会うことで、より何かの真実に近づく。

 知りたいことが目の前に有ったとしても気づかないよりもそれはしあわせなことだ。
「答えなくて構わない。別に、まおが何だとしても良い。何故シコクへ向かう?」
 もう、まおは完全にユーカの腕の中にあった。
 この体勢なら、海に落ちる以外に逃げる手段はない。
 これだけ身体が近いなら、言葉にしなくても動揺も伝わる。
――シコクに向かう理由なんて、ない
 まおは答えようがなかった。
 別にシコクに目的があるわけじゃない。
 ついでにいうとシコクは怖い場所では有り得ない。彼女にとっては。
「魔術師ではないまおがシコクに向かうからには、守るべき相手が増える。最低限度それだけは考えておかなければいけないだろう」
「あ、あの」
 振り向こうとして、今度は動けないように押さえつけられてしまう。
「答えなくて良い。ただ人間がこれだけ動いているんだから、もう止めることもできない。多分今度こそ、世界が動く」
 まおは身じろぎも出来ず、頭の上から聞こえる声に耳を傾けるだけ。
「まおは何を求めて何をしているのか、私は知らないし知ろうとしない。ただ、間違いなく私はまおに会わなければならなかった」
 殆ど独白に近いかたちで、彼女が呟くのをまおは海面を見下ろしたままで。
「私に?」
「――まおがシコクに向かわなければならない。多分そう言うことなんだろう」
 ユーカが占いによりシコクに舵を取ったのは、彼女達が動くことで『動く事態』を起こさなければならなかったから。
 それが、まおがシコクに向かう事、なのだとすれば。
「謝るべきなのか、謝らなくても構わないのか判らない」
 いつの間にかユーカはまおを背中から抱きしめる形で、海を覗き込んでいた。
「まおを見ていたら、私がまるで悪い人間のような気がしてきたよ」
 彼女の言葉に返す言葉はなかった。
――ユーカのせいで、私がシコクに向かう?
 『思いこみ』だと言うべきだろうか。
 多分、それを理論的に否定して論破してくれる。彼女はそう言う存在だ。
 まおは珍しく、回転しない鈍い頭をバターにならない程度に回して、何とか理解しようとしてみる。
 ……無理だった。
 ユーカの考え方その物が、想像できない。
「判らないけど」
 だから、自分の目の前で交叉している腕を、まおはつかんだ。
「ほらほら、さどおけさがもうけたら風邪をひくっていうでしょ?気が付くだけでもやさしーとおもうな」
「……風が吹いたら桶屋がもうかるんだろう」
 ユーカが震えるのがまおには判った。
「そ、そーともいうね!」
 今度こそ、間違いなく吹き出していた。
「だから、誰かが何かをしたらきっとそれは、どこかで何かの切っ掛けになるんだと思う。別にそれは悪い事じゃない。きっと」
「ここで団扇をあおいでたら、サッポロで台風が発生して三百人もの死者が出たとしても?」
 明るい声で、無茶な冗談を言う彼女に、まおは頷いて答える。
「もしかしたら、団扇であおがなかったせいで干ばつになって、二千人の死者が出たかも知れない」
 ああ。
 ユーカは思わず納得した。
 そして、言葉を継ごうとするまおをそのまま抱きしめる。
「……ゆーかさん?」
 不思議そうに声を出して、振り仰ごうとするが、勿論彼女は見えない。
「世界ってのはままならないし、まだまだ理解しなければならない事も多くある。……絶対生き残ろう」
 袖振り合うも多生の縁。
 まおは返事の変わりに、もう一度彼女の手を握り返した。

 とはいえ。
 実際にまおは少々考え込んでしまった。
 別にシコクに向かわなくてはならない訳ではない。
 気が付いたら確かにずるずるとシコクに向かってしまっていた訳だが。
――むー、むむむ。まじーとかちゃんとしてるかなぁ
 いつの間にか敵だったはずのウィッシュやヴィッツとも、仲がいい訳ではないが、決して争う程の関係ではなくなっている。
 放置するには気がかりだが、このまままおだけ引き返したって問題はなかった。
「どーしてるんだろーなぁ」
 いつもの位置にいないマジェストを思って、少し心配になった。
 もう随分と会ってない。
 ここでいきなり居なくなっても、多分問題ないだろーし。などと考えながらもとの船室でごろんと横になっていた。
 昼食を終えて、ゆっくりと日が傾き始める。
 殆ど眠りについているのか、静かで、会話そのものも少ない。
「どぉかぁしたのぉ」
 思わず出た声を聞きつけたのか、ミチノリが声をかけてきた。
「んあ?あ?うん、ちょっとね」
 なんて説明しようか、一瞬戸惑って言葉に詰まると、彼はにこぉっと笑みを浮かべたまま話を続けた。
「さびしい?」
「え?」
 どきっとした。
「うんー。みっちゃんねぇえ、まおちゃんみてたらぁ」
 と、わきわきといつの間にか装備していた巨大な手袋を動かして見せる。
「抱きしめたくなったから」
「こらこらっ」
 びし。
 彼はその巨大な人差し指を立てて見せると、小首を傾げた。
「とぉいうのはぁ、冗談でぇ。ずーぅっ……と気を遣ってぇなぁい?」
「え」
 すと彼の雰囲気が、いつものほわんとした暖かいものから変わる。
「時々きぃになぁったからぁ」
 うん。
 まおは思わず頷きかけて、自分でも本当はどうなのか判らなかった。
「みっちゃんをおにぃさんと思ってぇいいよ」
「思わない。別に」
 いきなり即答を喰らって思いっきり寂しそうに部屋の隅に向かうミチノリ。
「しくしくしくしく」
「あーうっとうしいっ!夕食にするぞ夕食!」
 相変わらずキリエに怒鳴られる彼だった。


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