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魔王の世界征服日記
第65話 ガレー


 ガレーシップというのは奴隷船である。
 帆船なのだが、基本的に船の中央に仕掛けられた穴を通した櫂をこぐことで前進する。
 しかしそれでは奴隷が幾ら居ても足りない。
 そう。そこで考案されたのが魔物を動力に用いる方法だった。
 オオアライを出航するガレーは、その動力として飼い慣らされたいぬむすめを使用する。
 いぬむすめは見た感じとかなり違い、比較的頑丈で力持ちである。
 知能は犬並なので、躾れば充分エンジンとして使える訳である。
 ついでに説明すると、この船は上から特等、1等、2等船室とホテルのような配置になっている。
 まともな部屋なのは特等船室だけだが。
 後は施設がどうなっているかで分配されている。
 2等船室は毛布と枕が後で配分される。
 1等船室はベッドが備え付けられているが――カーテン程度のしきりしかなく、個室風なだけである。
「ねぇゆぅちゃぁん」
「巫山戯るな。お前ら特等で何で俺達が2等船室で雑魚寝なんだ」
「だったらお前達も特等船室で」
「何故俺とナオが一緒なんだよ」
 とまぁ。
 乗る前からごたごたと騒がしい連中である。
「まお様、ボク達は特等船室で」
「望姉。そんなお金の持ち合わせはありません」
 まおがお金を持っているわけがない。
 そもそも、まおうは魔王なのに財政が逼迫した魔王軍を率いている。
 何故か宿に泊まる金すら出ないような感じなのだ。
 人間と同じ通貨単位で同じお金を何故使っているのかはひみつだ。
「というか、なんでお金持ってるんだよ」
「あ。……まお様、それを今ここで言っていいんでしょうか」
 何故かにやりと笑うウィッシュ。
 じとり。
 嫌な予感がして、まおはぶんぶんと首を振った。
「賢明な判断で御座います」
「だとしても望姉、お金足りないのは確かです。ここは二等船室しか選択できませんというか選択肢は有りません。そもそも」
 わいのわいのとチケット売り場で騒いだ挙げ句、全員同じフロア同じ場所の二等船室へと向かう事になった。
「……そろそろ暴走してもいいか」
 ユーカはミチノリをぎゅっと横抱きにして歩きながら、ナオを見て言う。
 彼は額を揉みながら、呆れた顔で呟く。
「聞いて良いか?ユーカ。最近お前、なんか違わなくないか」
 ミチノリは彼女にぶら下がるように、引きずられるようにしてくっついている。
「ああ、多分生理だ」
「こらこら」
 キリエがジト目で睨み付けながら、腰に手を当てる。
「下品だ!少しは考えろよ」
「すまないキリエ」
 ナオは思った。もしかするとこのユーカが本来のユーカなのかも知れないと。
「人間何でも限界は良くないんだなぁ」
「何の話をしてる」
 ナオが納得したように呟くのを、キリエが聞きとがめて眉を寄せる。
「それより、胸当ては外すなよ。動く時はすぐ動けないと困る」
 キリエは自分の胸当てをこんこん、と叩きながら言う。
 肩当ては有った方が良い、程度だが胸当ては違う。
 胸の筋肉は腕の動きを支える働きがある。心臓を守る理由もある。
 そして胸当ては首を守るための襟を取り付けられる為、最低限度付けておきたい防具である。
「あー、それだけどよ。どっちか夜半起きておこう。夜魔物が出られたら厄介だ」
「そうだな」
 ぽてぽてぽて。
 まおの前で相変わらずわいわいと騒ぎながら、二等船室に向かうナオ達。
 楽しそうに見えなくもない、その様子を見ながら壁を眺める。
 木で出来た船室の廊下。
 時々、地図や船内配置が書いてあったりする。
「わあ」
 額縁に入っているそれらはもう古びて黄色い色を浮かべていて、触ったら壊れそうだ。
 うずうず。
 ぺり。
「きゃーきゃー」
「ああ、まお様は子供ですねぇ」
「まったく」
 ちらりとヴィッツを見ると慌てて手を後ろに隠す。
「ヴィッツ?」
「え、何ですかお姉さま、私は額なんか触ってないですよ」
 触ったようだった。

 航海はおよそ三日。今晩オオアライを経つガレーは、一路南へと進路を進め、夜のうちに西へと進路を変える。
 後はゆっくりと南西方向へ、シコクへ向けて二日後の朝に到着する予定だ。
 一日目は何事もなくただ夜が訪れて、丸窓から差し込む朝日に全員が目覚めた。
 個室と言うほどではないが、カーテンで区切られた絨毯の部屋の中に全員が車座になっている。
「こういうのも悪くないですね」
 ぺたんと座り込んで、自分の腰まわりに毛布を巻いてぬくぬくと座り込むウィッシュは、どこかぽやんと幸せそうだ。
「私この揺れがきらい」
 大きな船と小さな船の違いは、体感する揺れ方だろう。
 ガレーシップクラスの大きさだと、寄せては返す緩やかな揺れになる。
 船酔いはむしろしにくいもので、小さな激しい小刻みな揺れに比べて周期も長い。
 嫌いな人間はどっちにせよ嫌いなのだが。
 まおは蒼い顔をして、寝ることもできずにふらんふらんと身体を揺らしている。
「取りあえず横になってなよ。多少違うだろ」
 ナオは壁を背に、手元に斬魔刀を置いてマントを羽織るようにして座り込んでいる。
 今キリエが熟睡中である。別に夜昼関係なしで、寝ずの番をするためだ。
「うー、ねてたらねてたでおなかが妙に動くからぁ」
 ぽてり。
 座っている苦痛に耐えきれなくなったのか、それでも横に倒れてしまう。
 うーうー唸っているが、夜は寝ているから今寝れないのだが。
「子供が居るみたいな感覚か?」
「それはぜんぜんわかんないよぉ」
 ちなみに聞いたユーカも判らない。
「冗談はともかくとして、気分が悪いなら甲板に出た方がいい。風に当たれば多少違う」
 むにー。
 眺めるというより、何とか頑張って目を向ける、と言う方が正しい。
 まおは草臥れた顔でユーカを見上げる。
「ほんとー?」
「ああ。連れて行ってやるから起きろ。立てるか?」
 ちなみに一応説明しておくと、全員が殆どグロッキー状態だ。
 ここに来るまでの旅の疲れで眠り惚けている。
 起きてると行ったって元気に見て回る程も元気がない者と、元気をため込んでいるナオ達を除けば、まおとユーカぐらいしか行こうと思う者も居ない。
「気を付けていけよ。落ちても誰も助けられないからな」
「ああ。落ちたらそれまでだって覚悟していくことにする」
 立ち上がりかけていたまおは、蒼い顔でもう一度ぺたりと座り込んだ。
「やだいかない」
 ぷい。
「冗談だ、冗談だって。わざわざ落ちに行くことはないだろう」
 そう言いながら、まおの両肩をぽんぽんと叩いて、彼女を引き起こす。
 のろりと立ち上がる彼女は、それでもやっぱり気分が良くなさそうだ。
「危なかったらユーカを蹴り落としていいから。風に当たってこい」
「ああ。落ちたらナオを恨んで三代祟る事にするさ」
 まおの肩を抱くようにして、そのまま二等船室を出ていく。
 ナオはそれを見送って、部屋を見回した。
 ちょこりと座るウィッシュ以外は、殆ど眠っている。
 朝食は済ませた。ちなみにヴィッツは食べてないそうだ。
「ナオさんも眠ったらどうですか。魔物は夜現れるんでしょう」
 ウィッシュはにこにこと笑いかけてくる。
「いや、何時出てきても良いように準備しておく方がいいだろ」
「でてきそうなら、私が起こします。こう見えても結構魔術は使える方ですし」
 にこり。
 自信があるのか、それともただ安心させようと言うのか。
「……じゃあ居眠りしても大丈夫だな」
 ナオが口元を歪めると、くすくす笑って応える。
 ヴィッツが寝返りをうって、ミチノリは寝言なのかむにゃむにゃと何か呟く。
「賭けてもいいですよ。貴方達が無事でなければ、私達は安心できませんでしょ」
「なら賭けなくてもいいだろ。そっちの一人勝ちだ」
 くすくす。
 ナオは、少し張りつめていた気を緩めて、伸びをする。
「ふふ、すこしは落ち着きました?」
「緊張してるみたいに見えたんだ」
「いえ、これから魔物の巣窟に向かうでしょ?緊張しない方がおかしいですから」
 そう言えば、とナオは、彼女の言葉に逆に訝しげに眉を寄せて聞く。
「おま……ウィッシュ達はどうなんだ?何故シコクに向かう?」
 ウィッシュは、そうね、と言いながら右手の人差し指を頬に当てて首を傾げる。
「シコクにはね、ちょっとしたものがあるんですよ。魔術に欠かせない石が。『命の雫』ってごぞんじありません?」
「あ、ああ」
 命の雫は、貴重な宝石である。
 ナオが知っている限り、魔力をため込んだ塊のようなもので、ユーカに至っては持ってるらしいが見せてくれすらしない。
 持つ者に膨大な魔力を提供する宝石で、握り拳ほどのサイズがあるという。
 流通しているのはこの『欠片』のレプリカだが、それですら個人で所有する事は出来ない値段が付く。
 本物の『雫』クラスの宝石は世界に一つあるかないかと言われている。
「……元々、アレはシコクに有ったものらしいのですよ。塊では人に扱いきれるものではなくて、今あるようなサイズに切り出されて配分されたとか」
「ふぅん。そうは言ったって、危ない所にいくんだろ?怖いとか思ったことはないのか?」
 くすくす、と再び笑うとおかしそうに右手を振る。
「だから一緒させて貰ったでしょう?もう。占いによれば、シコクに行く兵士がいるから付いていったら安全だって、卦がでてたんですよ」
「あれ?まおは何か隠し事してるっぽかったけど、そんな簡単に言っちゃって良いの?」
「ええ、もうここまで来たら隠しても仕方ないでしょう。確かにあんまり言うべき事ではないですから」
 確かに。
 もし、本当に雫の在処を知っているのであれば、金に目が眩んだ人間ならどうなるか判らない。
 尤もそんな人間だとしても、喉元まで危機が迫るこの位置では、言うことを聞かざるを得ないだろうが。
 ナオは少しだけ不機嫌に口を尖らせて、肩をすくめた。
 その言葉には真実味があり、納得するだけの理由があったから。
 まさかそれが嘘だとは思えなかった。


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